数学言語とみた場合の数の求め方
場合の数の求め方の指導の段階で、生徒が最初につまずくのは組合せの考え方である。
教科書通りに展開していけば、組合せは順列の後の指導となるが、組合せの個数をx通りとして、
x×r!=nPr
から組合せを間接的に考える。こういう考え方は数学的であるといってしまえばそれまでだろうが、結果から原因を推測しているようなもので、生徒にとってみればその思考法はやはり釈然としないものが残り、随分それ以降の考え方にしこりを残してしまっている。例えば、異なるn個のものを円形に並べるものを円順列というが、本来異なるn個から異なるr個をとり円形に並べたものと考えるべきであろう。場合の数の思考過程は、体系的な組み立てを考えるとき、取って(組合せ)そして並べる(順列)のが自然であり、組合せの直接的な概念指導は避けるべきではないと思うのである。
そこで、本レポートは、、数学なる言語学の立場に立って、場合の数を組合せから導入する方法を、指導の一事例として考察してみよう。
Step1)等位接続詞の翻訳
場合の数、確率の問題は、日本語を集合論(記号論理学)を介して数学語に翻訳する作業である。基本的には句を結ぶ接続詞は、当位的な関係を表わす「または」、「そして」しかないわけで、樹形図、辞書式配列を使って和の法則、積の法則を指導する段階でこの数学語への翻訳を徹底させる必要があるだろう。
<日本語> <数学語> または(or) ⇒ 和の法則 ⇒ + そして(and) ⇒ 積の法則 ⇒ × |
Step2)倍率による組合せの翻訳
<日本語> <中間言語> <数学語> 異なるn個から異なるr個をとる場合の数 ⇒ n個からr個とる組合せ ⇒ nCr |
日本語と数学語の対応を述べた後で、では、nCrの実際の計算方法は?ということになる。そこで、「選ぶ」ということを「倍率」という手法を使って説明をしてみよう。
問い)定員400名のN高校のある年の受験生は480人である。その倍率を求めよ。受験を意識させた指導はよくないのかもしれないが、身近なものだからこそこの問いに対して答えられない生徒は少ない。
では1名が決まった後の倍率は?と聞いても、すぐにというように答えが返ってくる。この倍率は、合格する400名の各個人の点数を問題にしているわけではなく、480人が定員400人に集中した場合の割合だけを意味するわけであるから組合せと考えてもよいのである。1名ずつ400人になるまで選んでいくとき、その場合の数はどうなるか。これを次のように数値を簡単にした例で説明する。
例)8人から5人を選ぶ場合の数を求めよ。この考えがしっかりと定着するように演習を何題かしてから、次に計算の効率化を図る。最初に選ぶ人の倍率は、である。以下、2番目、3番目、4番目、そして5番目の人を選ぶ倍率は、それぞれ となるから、8人から5人を選ぶ場合の数は、
当たり前のような計算かもしれないが、生徒が最初に左辺のようにイメージすることと右辺のように考えることでは大きな違いがある。右辺のような計算を徹底させることで、計算思考が単純化されることはもちろんであるが、この指導にはもう一つ大きな意味がある。それは、「倍率の概念を忘れさせる指導」であるということである。
矛盾したような言い方であるが、「倍率」の考えは組合せの場合の数の求め方の導入として使われるべきであり、その求め方にある程度納得いったら数学語nCrとして計算を切り替える必要がある。これは倍率を意味する比率と確率との混同を避けるという意味でも大事なことなのである。
次に組合せを一般化する。
異なるn個から異なるr個をとる場合の数を順番に倍率を考えながら選んでいくと、
と計算されるのは明らかである。ここで、
と階乗を定義すると、(この際、5!=120であることは覚えさせたい)
が得られる。
Step3)異なるr個を並べる(順位づけをする)場合の数の求め方
問い)40人に順番をつける方法は何通りか。これを倍率で考えると、1番になる人の倍率は、である。次の残り39人から2番になる人の倍率を考えるとであるから以下同様に求めていくと、その場合の数は、
以上よりr個を一列に並べる方法は、r! となる。
なお、前述のように倍率の考え方は余り強調されるべきではないから、r個の並べ方は教科書通りの説明でもいいのかもしれない。
Step4)順列の文章読解としての指導 この段階での指導は、nPrの計算方法ではない。基本的には、順列という考え方は組合せと階乗が理解できていれば必要としない。ここでの重点目標は、文章読解である。「選び」そして「並べる」ことの指導を徹底する。
ex1)5人から3人を選んで並べる方法は何通りか。このex2)をみると、選ぶのは席であり、並ぶのは人である。順列の一般的な定義は、「異なるn個から異なるr個を選んで一列に並べる」であり、この連続操作は、選ぶr個と並べるr個を同じものであると仮定する。ex2)のように異種のものに対する場合は考えられない。順列の定義は、接続詞(and)によって結ばれた従属的な連続操作であるが、本来は独立的なものも配慮された連続操作と考えるべきであり、その意味でもandは、等位接続詞なのである。だから順列を優先した指導は、この部分の説明が難しくなりex2)を5P3と解釈することができなくなってしまうのである。これは、ex3)についても同様のことがいえ、もともとの定義に当てはめるとその発想の飛躍は馴染めないのである。
5C3×3!ex2)5つの席に3人が座る方法は何通りか。
5つの席から3つの席を選び(5C3)
そして(×)3人が座る(3!)から、5C3×3!ex3) 男子5人と女子4人が1列に並ぶとき、女子同士が隣り合わない並び方
まず、男子を並べる(5!)。次に男子同士の間4個所と両側の2個所合わせて6個所から4つの場所を選んで(6C4)、
そこに女子4人が割込んで並ぶ(4!)と考えれば、
5!×6C4×4!=5!×6P4
Step5)意訳としての順列の定義 「選び」、「そして」、「並べる」ことが理解できたら、次にいよいよ順列の定義をする。
数学語 nCr×r!で表わされる言葉をn個からr個とる順列といい、nPr で表わす |
すなわち、
nCr×r! =nPr ………(*)
である。
日本語では「選んでそして並べる」ものを順列と定義するということである。ここで、「選ぶ」ことと「並べる」ことを結ぶ「そして」という接続詞は等位の関係であることに注意して欲しい。必ずしも選んだものを並べるということではない。「選んで」「そして」「そこに(何かを)並べる」ということである。
(*)は、異質の言語の翻訳(日本語から数学語)を考えたときに、左辺が直訳であるのに対して、右辺は文章内容を把握した後の意訳としての翻訳とみるということである。したがい、これから順列は操作の一手順として処理されるべきではなく、操作完了段階の結果を表わす状態と捉えるべきものいえるだろう。
結局、順列の指導は、大雑把にいえば文章読解ということになる。「選び」「並べる」思考訓練を通して、緩やかに、徐々に、意訳ができるように指導していく過程の中で、「順列的な力」<意訳力>が身につけばよいのである。
では、この意訳の観点から同じものを含む順列について説明してみよう。
ex)a,a,a,a,b,b,b,c,cを一列に並べる場合の数を求めよ。
並べる場所を9つ分用意しておき、文字aをいれる場所4つをえらび(9C4)、そして並べる(×1)。
同様に、b,cと入れていけば、
9C4×1×5C3×1×2C2×1=9C4×5C3
となる。では、これを意訳するとどうなるか。
上述の直訳の中の4つの文字aをみな異なるものとして並べる方法は4!である。b,cについても同様に考えると、3!,2!となる。これは、異なる9個の並べ方9!に等しいから、
9C4×5C3×4!×3!×2!=9! より
と意訳された式がでてくる。
Step6)数学語としての文章読解の指導 場合の数を求める問題の構文は英語でいえばSVOであることが多い。さらに主語は、人(自分)と見なせば考え易い。これを基本型と考えて、数学語として文章読解を進めていく。
ex)(1) 5人が3つのホテルに泊まるとき、泊り方の総数。
(2) 5つのポストに3通の手紙を投函する方法。
この2つの問題を並列して出すと混乱する生徒は多いのだが、主語の捉え方ができればなんでもないことである。(1)の主語は5人の旅行客とし、客を基準に泊り方を考えると各々が3通りであるから、35通りとなる。
これに対し(2)はよくポストを基準にして35と誤って考えがちであるが、これが間違いであることを説明するのに
「5つのポストをA,B,C,D,Eとして、どのポストにも3通(仮にa,b,c)のどれをいれてもよいと考えると、A〜Eまでのどのポストにも手紙aが入るケースがあり明らかに矛盾する」として、否定性を強調して53(35か、53かどちらしかないわけであるから)を誘導する方法がある。
だが、(2)の主語を考え、投函するのが人間であることに気がつけば、
「3人の人が(それぞれ1通の)手紙を5つのポストに投函する方法」
と読み替えると、(1)と同様に簡単に53通りと判断できる。
このように、文章読解は、主語を人間とみて、さらに自分に置き換えて考えると見通しがよくなる。その典型が円順列の指導である。
円順列は、並べるものの1つを自分と考え、自己中心的に自分の周りの順列と考えた方が応用問題についても考え易い。
n個からr個とる円順列は、と考えるよりも、異なるn個からr個とり、取り出したr個の1つを基準とした順列とみて、nCr×(r-1)! とすべきであろう。
最後に文章読解としての例を1つ挙げてみよう。
ex) 4人乗りのタクシー2台に5人を分乗させる方法は何通りか。
<直 訳>
(1) 2台のタクシーをA,Bとし、タクシーに乗る人数の分け方を(A,B)のように表わすと、
(A,B)=(1,4),(2,3),(3,2),(4,1)
それぞれの場合における人の選び方を考えると、
5C1×4C4+5C2×3C3+5C3×2C2+5C4×1C1
(2) (1)の人数の分け方に対してA,Bのタクシーのどの座席に座るかを考えていく。
例えば、(A,B)=(2,3)のとき、
Aのタクシーに乗る2名を選び(5C2)、その1名の座る座席を決め(4C2)、そしてその座席に座る(2!)。そのあと (×)、Bのタクシーには残り3名が、座る座席を決め(4C3)、その座席に座る(3!)。
同様に、(A,B)=(1,4),(3,2),(4,1) について計算すると、
5C1×4C1×1×4C4×4!+5C2×4C2×2!×4C3×3!+5C3×4C3×3!×4C2×2!+5C4×4C4×4!×4C1×1
=5C1×4P1×4P4+5C2×4P2×4P3+5C3×4P3×4P2+5C4×4P4×4P1
<意 訳>
《あとがき》
「私、死んでもいいわ」。
樋口一葉は、「Ilove you」をこう訳したといわれる(と聞いた記憶があるのだが)。
上手い表現だと思う。何が上手いのかというと言葉の「活かし方」が絶妙なのである。愛を死に結びつけるなどは愛に破滅の匂いを含みもたせる日本人の情念的な感情表現であろう(今の日本人はそうではないかもしれないが)。だが、そういう婉曲的表現を好む日本語で数学が語られるから、日本語との接点が多い離散的確率のようなものは考えにくい。前述のポストへの手紙の投函問題のように、数学に日本語の理解まで要求してしまうことがある。多分、確率が分からない生徒の何割かは、日本語の文章をしっかり読み取れない生徒なのだろうと思う。だから、より単純な表現形式に読み替えることが必要になるのだが、順列の場合、単純にn個からr個の順列ならよいが、円順列、同じものを含む順列と進めていくと、ずいぶんギャップがあるのである。それは、思考過程の中で、「仮に順番をつけると〜となるからダブリの分で割って」という割り算の操作の介入である。もちろんこういう考えも大切だが、「ダブリの分で割る」ということは順列から組合せを考えることであり、手順としては逆なのである。掛け算より割り算の方が生徒は扱い難いのは当然であろう。だから割り算的な発想は極力避け、指導の後半にもってくるべきなのである。
「倍率」の考えもそういう意味では割り算的発想である。ただこれは組合せを理解するには止むを得ない方法であると思う。実は、倍率の手法で場合の数の問題の大半は求めることが可能ではある。
例えば、a,a,a,a,b,b,b,c,cを並べる同じものを含む順列は、次のように考える。
主語を人と考え、1列に並んでいる6人が、a,b,cの文字の書かれているカードを取りにいくとする。誰かがカードaを取りにいく倍率は、であり、以下、となる。同様に、カードb,cについても考えると、
が得られる。
このように、重複順列や円順列も説明がついてしまうが、これは説明してはいけないことだと思う。この方法は数学語の基本文法に則っていないからどこかで行き詰まってしまうのである。基本はあくまでシンプルでなくてはいけない。文章を最初から意訳するのではなく、直訳されたものが頭の中のフィルターを通して意訳されるべきであろう。さらに、確率との関りも重要である。比重としての倍率と確率はどうしても馴染めないところがある。場合の数は確率計算を将来的に主目的とするわけだから、早いうちに倍率的思考は切り捨てる必要があるだろう。
倍率は覚えたら忘れろ!
忘れさせることも大事な指導のひとつだと思うのである。
さて、このあと場合の数の指導は、確率へと発展するが、数学文法はさらに複雑になる。時間の介在により、時を変数とする確率過程(random process)の捉え方がkey-pointとなってくる。高校数学で確率は、過去から現在、そして未来への時の流れを体感できる唯一の分野である。時間という膨らみをもった立体的思考は、数学言語学の醍醐味といえるだろう。それだけに、組合せ・順列の指導には入念に体系的な組み立てを考えていくべきなのである。