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札幌新川高等学校   中村 文則

譲れないものを譲らない為に……

 数学の習得の過程には、譲れるものと譲れないものがあると考える。

 数学Aでは、因数分解(乗法公式)の暗記は譲れないものといえる。単に展開すれば、これらの公式の証明は簡単なのだが、だからといって、理屈で覚えるものではない。公式は頭の中に叩き込まなければならないのだ。そして、その暗記を前提に初めて、等式、不等式の証明のような、「考える」場面の問題に取り組めるのである。

 だから、大雑把に言えば、譲れないものは「知識」であり、譲っていいものは「知恵」ということになるのだろうし、知恵が知識を上回ることは一般にはありえないのである。

 ところで、数学Tの二次関数の平方完成(一般形から標準形への変形)も、譲れないものである。軸の方程式や頂点が分かってこその放物線のグラフであり、平方完成ができなければ何一つ問題は解けない。だが、実はこの譲れないものはなかなか手強い。歯痒いまでに、思うような定着には至らないのである。だから毎年、教師の苦悩は、五月病とともにここから始まる。

 その憎き平方完成との悪戦苦闘の指導を、思考(試行ではない)錯誤的にまとめてみよう。

○理想的変形法

一般に、標準形への変形法のスタイルは次のような流れになる。

 2次式の変形は、
    2次の項 ⇒ 1次の項 ⇒ 定数項
の順にその係数の値を微調整していく。具体的には、
    (2次の項の係数)=1,(1次の項の係数)=2の倍数,(定数項)=平方数
といった手順である。この計算がある程度慣れてくると、A,B,@を省略していくようになり、いきなりCに飛べれば拍手喝采ものだが、基本はあくまで、2次、1次、定数と、リフレインしながら降巾の順に係数を調整していくことである。これだけのことなのだから、教師の立場からは譲りようがないという気もするのだが、生徒にとっては実に難題なのである。

Note)

 こういう計算をする生徒は、2次の項の次に定数項の調整をしてしまったためであり、頭の中でのリフレインがうまくできなのである。

○インパクト的変形法

 平方完成で使われる公式は、

 であるが、これは、完全平方式とみるべきではない。

とみて、二乗差の公式とみる方が自然であろう。平方完成は、2次、1次の項まで調整できれば、定数項はおまけにぶら下がっているみたいなもんである。さらに、p=2a とおけば、

この左辺から右辺の変形を

       半分引く2乗

ということばで印象づけてみよう。

 半分引く2乗と唱えつづけていればなんとかなるのだが、実際に生徒にやらせてみると、括弧で括って括弧をはずすという作業がいまいち上手くできない。特に、2次の項の係数が、負数であったり、分数であったら(負数の分数だったら最悪)お手上げである。何とか2次の項の係数を意識しないで計算できないものかと考えたのが次の方法。

○スリム的変形法

両辺を2次の項の係数で割ると、

 この変形法は、変形の流れからみれば、両辺を割るという操作から、計算の過程が1ステップ遅れるものであるが、その計算内容は極めて単純で、確実なものである。

 半分引く2乗のイメージがあれば誰でも間違いなくできる。2次の項が、負数であろうが、分数であろうがまったく支障はない。括弧の取り外しのように頭を痛めることはないのである。何となく全体を2次の項の係数で割ることに、定数項の計算が面倒になるような印象を受けるが実際は、むしろ計算は楽な場合の方が多い(いろいろとやってみた結果からの結論)。

 ただ、最後の段階で、2次の項の係数を元に戻すのを忘れる生徒がいるという危険性が高いのが難点ではあるが。

○バイパス的変形法

 単純に平方完成をしてしまう手を一つ紹介。

 これは、xの恒等式であるから、右辺のxに適当な値を代入すれば、qは求められる。

 以上のことより、次のような平方完成が考えられる。

 とりあえず、を計算して、完全平方式を作る。

とする。あとは、@,Aのxに適当な数値を代入し、その差をとればqの値となる。

例えば、Aの括弧内の値を考慮して、x=−1を代入すると、

となる。

Ex)

    
 このときx=0の場合が通常の平方完成の過程で得られる計算であるが、それに比べ、x=1を代入した方が計算は随分楽なことに気がつく。要領さえ、呑み込めてしまえば、簡単に平方完成ができるのである。知識としての平方完成が、「代入する最適な値を考える」という知恵の部分にちょっと傾いた変形法といえるだろう。

○末期的変形法

 以上のいずれの方法も拒絶してしまう生徒も残念ながらいる。そういう場合は止む終えない。

 これを暗記しろということになる。この暗記はそう難しいものではない。判別式、軸の方程式といろいろな要素を含んだものだから、将来的にも暗記しておいた方が役にたつ。ただ、実際にこれを使って平方完成の計算してみると、意外と定数項の計算が厄介な場合が多いのである。例えば、aの値を分数値と考えてみれば分かるだろう。計算力がなく、理想的変形ができない生徒に結局は計算力を要求してしまうことになる。

あ と が き

「円って、円盤でしょ」
「えっ?、中身があるんですか」
「難しい問題ですねぇ」
 小・中学校の先生とお話をする機会があったときに円の定義が話題となった。

 円盤と応えたのは小学校の先生。小学校では、定義というよりは円を「認識」させるという立場において、視覚、触覚という感覚の面で指導せざるを得なく、切り抜かれた形としての図形的な捉え方となる。これが高校になると、すこぶる概念的なオブジェクトに変容する。円は、半径と中心という要素が与えられたときの点の軌跡であり、 なる方程式が表わすものは、円の皮(円周)であり中身は抜け落ちる。三角形も然り、放物線も然り。要は図形そのものがどう代数的に表現されるかということが論点なのである。

 さて、「難しい問題ですねぇ」と疑問を投げかけているのは中学校の先生。その立場は実に微妙である。具象概念的な図形としての円から抽象概念的な軌跡としての円への橋渡しをしているのが中学であり、生徒の個々の精神的発達を考慮しながらの指導となる。それは、生徒の理解力云々というより、脳の想像的な領域の許容量の問題である。右脳は感覚脳といわれるが、その領域での円の認識は容易であり、なんら問題もない。しかし、安易に認識できるからこそ、論理的思考脳としての左脳への切替えが困難になる。そうして、いつまでも右脳にしがみついていると、論理的に夢見ることを左脳が論理的に拒絶してしまうのである。そのタイミングを個々の生徒を観察しながら推し量り、指導することは精神面での低年齢化が叫ばれる中、極めてその判断が難しく大変なのが現状であろう。さて、譲れるものと譲れないものもこの関係に似ている。放物線という親しみやすい言葉はいつの間にか「二次関数のグラフ」にデフォルメされ、放物線の変化がどう二次関数の各項の係数に関与するのかがそのテーマとなっている。両極に位置している感覚的な放物線と論理的な二次関数は、バランスを取りながら問題解決の中で双方向に行き来し、その天稟の軸を担っているのが平方完成の変形なのである。だからこの部分を譲ることは、論理と感覚を分断することであり、その結果、生徒の教材に対しての興味、意欲は急速に冷え込んでしまう。

 その譲れない平方完成の指導の中にも、感覚的な部分と論理的な部分があるような気がする。例えば、理想的変形法は論理的思考の色合いが強い。だが、この論理的思考にも感覚的な遊びの部分がないと平方完成の作業は意欲の面で行き詰まってしまう。これに対し、スリム的変形法の「半分引く二乗」は、感覚脳に訴える言葉の遊びであり、両辺を2次の項の係数で割り、作業の単純化、効率化することも、右脳への働きかけのひとつといえるだろう。そうして問題の本質をスリム化しながら、論理的に平方完成を叩き込んでいく。スリム的変形法は感覚的思考のものといえる。だが、この変形法が、数学論理の中で一貫性を保てるかどうかは疑わしい。

 最終的には、

というダイレクト的な変形でなければ問題解決への障害がどこかに残るのである。この変形は、理論が成長した知覚のものといえる。

 スリム的変形法では、5月病とともに始まる平方完成指導における教師の苦悩が、ほんの少し先送りされただけなのかもしれない。