数学基礎の教材事例をめぐる考察(1)

北海道苫小牧東高等学校   矢 嶋 裕 之

はじめに

 1986年(昭和61年)、北海道立教育研究所(以下、道研)が新しい研修のスタイルとして、『自主研修講座』という4日間日程の旅費のつかない研修講座を作った。この年の夏休み、私は以前から集中して調べてみようと思っていた戦後当時〜昭和20年代後半の教科書の研究のために、この研修講座を利用した。そして、道研の教科研究部教育方法研究室長(当時)であった上山功夫先生のご協力とご紹介を経て、北海道教育大学札幌校(以下、教育大)の図書館で数少ない貴重な資料となっていた戦後当時の教科書について調べることができた。このときの研究は、大学時代からの教育関連研究テーマの一つである教育課程の変遷という観点と、当時の勤務校で教科書すら持ってこない生徒を相手にした毎日の授業の中で、いかにして学習の動機付けをするかといった差し迫った状況から生まれた研究であった。そして、教育大の図書館でいろいろ調べているうちに、当時よく耳にした『授業書』というものに内容的に近い大昔の教科書があることを知り、その後、自分の実践の中に取り入れたりしていた。それから15年余り、現在では母校の教壇に立ち、昔と違ってさっぱり勉強しなくなった後輩(生徒)たちの姿に嘆きながらも日々忙殺される程の仕事量をこなしている。

 さて、最近発表された新しい教育課程における高校数学の目玉は『数学基礎』の存在である。しかし、発表当時はどのような内容を扱うのか全くわからなかったこの科目の構成について、上磯町で開かれた北海道教育委員会主催の教育課程研究協議会に参加したり、前回(第31回)の数実研で講演を聞いたりして、詳しい内容がわかってきた。ところがそれにつれ、私の頭の中ではかつて自分が教育大で実物を見て注目していた数学の教科書と類似性があることが気になり始めた。現在、各教科書出版会社も新しい教科書の編集作業中であるため、この疑問が解決するのは今年の秋と思われる白表紙本の出現の頃と思われる。そこで、今回は、自分の過去の発表レポートからこれらの関係部分を再構成し、自分の疑問点をまとめてみた次第である。


第1章 昭和20年代の教科書について

 当時は、教育大が現所在地への移転を間近に控えた旧校舎時代末期であったため、移転の準備もあり、私が実際に調べることができたのは蔵書のほんの一部にすぎない。加えて、本章で述べようとしているのは、実際に関係資料をある程度コピーする事を許された中学校の数学の教科書である(後述するように、当時の高校用の教科書で私の求めているようなものは見あたらなかった)。

(1)戦後直後の教科書について

 戦後直後は、教科書出版会社からは出版されておらず、全ては文部省著作教科書であった。表1は、昭和21年から昭和24年にかけて発行された教科書のリストである。○印は発行を示し、数字は教科書番号を示す。また、−印は継続発行を示している。教育大で私が実物を見れたのは、昭和22年の中学1年生用の教科書と昭和24年に発行された教科書であった。内容的には特に目新しいものはなく、現在用いられている教科書のような教材の扱い方をしている。どのような教育課程のもとでこういった教科書を用い、どのように教えていたのか関心のあるところではあるが、手元にそれらを調べる資料がなく、わからないのが実際である。

表1 発行教科書リスト(文部省著作教科書)
教科書名/使用年 昭和
21
222324252627
T 中学数学 第1学年上      
     〃        下      
U   〃   第2学年(1)  上○800  
   中○     
     〃        (2)  下○801  
V   〃   第3学年(1)  上○900
   中○     
     〃        (2)  下○901
  数表 2年用       
  数表 3年用       
T 中学生の数学 第1学年用(1)    700
        〃         (2)    701

(2)昭和25年〜昭和29年

 この時代の教科書が『生活単元カリキラム』に沿った教科書といえる。教育大にはこの時代の教科書は比較的たくさんあった。
 本節では、各教科書出版会社が昭和25年以降、初めて出版した(中学校用数学の)教科書についてのみまとめてみた。

(ア)教材の配列について

 昭和26年度に使用された某教科書出版会社の中学1年生用の数学の教科書は、次のような教材配列となっている。

《上巻》

《下巻》

 上記の内容は、現在の中1の教科書にあるものもあるが、内容によっては現在高校で教えているものもある。中2、中3になるに従い、現在の『数学T』にあるような内容が多くなっている。しかし、その扱い方はどの内容をとっても日常の生活から選ばれており、現在の教科書よりは親しみ やすく思われた。なお、中学2〜3年の教科書については、目次から単元名のみを下に列記しておくが、現在の高校の数学の教科書と異なり、社会の教科書ではないかと疑いたくなる程の違いがある。

【中学2年】

《上巻》 単元T 産業の復興
単元U 都市の建設
単元V 文字を使って計算しよう
単元W ものの大きさ
単元X 比例するもの、しないもの
《下巻》 単元Y 地図と案内図
単元Z 方程式はどのようにして解くか
単元[ 経済と数学
単元\ 気温の調べ
単元] 負の数と計算

【中学3年】

《上巻》 単元T 国の財政と国民生活
単元U 数の世界
単元V 形とそのあらわし方
単元X 図形と計算
《下巻》 単元Y 連立方程式
単元Z 形と大きさ
単元[ 測量
単元\ 社会と数学

 他の出版社の教科書も教材の配列の順序や単元名に若干の違いはあるものの、おおむね傾向は同じであった。総じて、社会等の教科書を連想させる。

(イ)具体的な教材について

 教材の全部について述べるには時間がかかりすぎるので、目をひいた内容をいくつか選び、それに関係する教材事例についてのみ紹介したい。

 以上のように、現在の社会や数学や家庭科や計算事務などといったように、各教科の教科書をひとあわせにした感じもするが、それだけにこの時代の教科書は日常生活にそった作り方をしている。このような教科書でどれだけの数学力がつくか、という議論があるかもしれないが、私たちが求めている親しみのもてる数学という観点では、より多くの材料を提供しているように思えた。

【以上1章は、巻末の引用レポートよりの再構成です】

第2章 今後に残された課題

 冒頭の部分でも若干ふれたが、昭和61年当時の私の教科書の研究は『数学基礎』の出現を予想して行ったものではなく、日々の数学教育の実践の中で親しみのある数学を求めてのものであった。しかし、それから15年余り経ち、今回の新しい教育課程における『数学基礎』の教材事例について話を聞けば聞くほど前述のような疑問(大昔のリバイバルではないかという)が頭の中から消えない私である。当時の調査ノートをもとに、私が最近考えている疑問点やこれからの研究の方向性を整理して、今回のレポートを閉じたいと思う。

(1)なぜ、『生活単元カリキラム』は長続きしなかったのか?

 巻末にあげた『教科用図書目録』や『教科書大系』などをもとに大昔の教科書を見ていくと、昭和29年頃からは、現在のような教科書になっている。従って『生活単元カリキラム』が実際に機能していたのは昭和25年頃から29年頃というわずか5〜6年程度にすぎない。では、なぜ、この『生活単元カリキラム』が長続きせずに次の教育課程、いわゆる、数学教育の近代化(あるいは、現代化)に移行していったのか。それは、(断言はできないが)『生活単元カリキラム』では数学力の向上が図られなかったということによるらしい。しかし、この辺も当時はそんな問題意識を持っていなかったので、本当にそれだけが原因なのかどうかは今のところわからない。加えて、私の大学当時の『教育原理』など教職関係の科目の講義ノートを見ても、この昭和20年代の教育課程についてはほとんど授業でもふれられていなかった。今後、時間があれば、終戦直後の教育の様子や『生活単元カリキラム』といわれているこれらの時代の教育課程や、もう少しグローバルな視点からこの時代の学校教育について調べてみたいと思う。これらのことについては、この稿を書き上げてから、友人などの協力も仰ぎながら何らかの方法で調べていきたい。

(2)『中学校の数学=高校の数学』ではないはずだが?

 これも当時は、生徒の学習の動機付けということだったので気にしていなかったが、冒頭でもふれたように、本稿で用いた数学の教科書は全て昭和20年代の中学校用の教科書であった。本来は高校用の教科書で探したいと思っていたが、高校用の教科書が見あたらず中学校用の物になったのである。しかし、三角比など教材によっては全く現在の高校で使っている教科書と同じ記述をしている物もある。『戦後』ということは、教育体制的には今とそう変わりがないはずであり、中学校を卒業した者が進学して(当時はごく一部の者だけだったろうが)高校で学んでいたはずである。なのに、なぜ、現在の高校の内容と同じような物が中学時代の教科書で扱われているのか。また、当時の高校の数学の教科書はどのようなものであったのか。これを明らかにするには、戦後の数学教育の変遷の歴史を根本的に勉強し直す必要がありそうである。

(3)まとめにならない『まとめ』

 上磯町で開かれた教育課程研究協議会で、断片的に『数学基礎』の内容についての説明を聞いていた時に、ふと、頭をよぎった1つの疑問が、今、現場の教師が調べるには(研究環境が劣悪という意味で)とてつもなく大きな研究テーマであることがわかってきた。本稿でふれたように、新しい教育課程の高校数学の目玉である『数学基礎』は私が述べたように大昔の教科書と内容的に近い物であるならば、なぜ、ここでリバイバルさせるのか、『数学基礎』を提唱した方に私は聞きたいと思う。ただ、部分的に似ていたり同じであっても、全体を通してみると大昔の『生活単元カリキラム』の頃の教科書とは違った印象を受けるのではないか、という可能性もある。これらについては、各教科書出版会社が編集作業を終えないと結論は出てこないと思う。

 以上のように、これからの研究するべき課題を残したままとなったが、『数学基礎』の教材事例をめぐる疑問や考察をお話しするには十分なレポートになったのではないかと思う。時期をみて、残った点についての研究をまとめたいと思う。


おわりに

 今回、新しい科目である『数学基礎』の教材事例についての私の疑問などをまとめてみた(まとめ終えて、久々の数実研での発表であることに気づいたが)。日々、6冊(『数学T』〜『数学C』)の教科書で大学受験を目指している生徒たちを教えていると、いかにして学力を身につけさせるかということばかりに目がいってしまい、数学教育の大きな変遷までに目を向ける余裕は生まれてこない。冬季休業に入り、課外講習を終えるとすぐに今回のレポート作成にかかったが、第2章でまとめたように今後調べてみないとならない事項が副産物としてたくさんできてしまった。ただ、中には自分だけでは調べられないような内容もあるので、他の方の協力も得ながら少しずつこのテーマについて研究を進めていきたいと考えている。それてしても、偶然とはいえ、何か大きなテーマに出会ってしまったように思えてならない。諸先生方からの助言なども得ながら、今後も生徒のために研鑽を深めていきたいと考えている。

【平成12年1月2日、自宅バルコニーから、センター入試の苫小牧会場となる
苫小牧駒澤大学のキャンパスを見ながら脱稿する】

【参考文献】

【引用レポート】