北海道苫小牧東高等学校  矢嶋 裕之

《key》『数学基礎』   インターネット   北海道立図書館
苫小牧市中央図書館    国立国会図書館  『総合的学習』

はじめに

 私の前作のレポート『Is this a revival?  数学基礎の教材事例をめぐる考察(1)』では、書き上げた1月2日の時点での数学基礎の教材事例についての疑問などをまとめた。しかし、その直後の1月中旬から下旬にかけて、友人である成田雅博先生(山梨大学助教授)からの助言などもあり、前レポートの疑問点はほぼ解消(解決)され、前回1月30日開催の第32回数実研での発表の通りとなった。しかし、その時点では、疑問は解消されたものの、いわゆる証明に相当する考察部分においては何もないに等しい状態であった。それから約半年の間、道立図書館や国立国会図書館、そして、道内の国公立大学の図書館などで、昭和25〜29年頃の資料集めを進めてきた。そして、当初難しいと思われていた『検証作業』の可能性が見えてきた。本稿は検証作業をまとめた次のレポートへのアプローチとして、地方都市に住む私にもできた資料集めの方法についてまとめたものである。数学によらず基礎研究をされている方の参考に少しでもなれば幸いである。

第1章 資料集めで知った様々な状況について

 今回の新しい学習指導要領で『数学基礎』が半ばリバイバル(もちろん、約1割とされている総合的学習もからむため、昭和20年代の教育内容の復刻とはならないだろうが)に近いものであることは、ある意味では的を得ているらしい。これは、私の友人で現在、山梨大学教育人間科学部附属教育実践研究指導センターの助教授である成田雅博先生から私に届いた私信の中でも『……緑表紙教科書のころや生活単元学習のころのリバイバルではないかという趣旨は、ある面ではその通りです。ただ、今回は、「総合的な学習の時間」という、全体の1割程度という時間枠を設けたので、以前とは展開が少し違ってくると思います……』と述べられていることからも確かであるようである。しかし、私としてはその裏付けとなるものが何もないに等しかった。それで、この時期(1月中旬)から最近までの間、苫小牧市中央図書館の全面的な協力を得ながら、北海道立図書館・北海道大学附属図書館・北海道教育大札幌校附属図書館・国立国会図書館といった公立図書館のいくつかに昭和20年代の教科書に関する資料の照会をし、資料を取り寄せながら基礎研究を進めてきた。まず、この章では、地方都市に住む私にできた資料の集め方についてふれたい。

(1)苫小牧市中央図書館

 私が中学生や高校生ぐらいだった頃と違って、最近の図書館は、苫小牧市に限らず、メディアセンター化している。苫小牧市中央図書館ではホームページを公開しており、インターネットを利用して利用希望図書の有無や貸し出し状況を調べることができる。昨年の秋頃からそのような利用の仕方が可能であることを知っていたが、なかなか自分の身の回りでインターネットを利用できる環境が整わなかったので、延び延びになっていた。しかし、今回の研究を皮切りに積極的に利用を始めている。苫小牧市中央図書館のURLは、http://lib.tomakomai.or.jp である。ホームページの扉は次のようになっており、同図書館にある図書の検索や図書の貸し出し状況を調べることができる。ただ、同図書館はメールアドレスを持っていないため、館外図書の貸し出し依頼や各種の照会内容をメールで送ることができず、日中に直接図書館へ行くか電話やFAXを使って職員の方に依頼するしか方法がない。昔と比べて開館時間が長くなり、日曜祝祭日も開館するなど市民サービスは向上しているが、私の勤務実態からすると間に合わないことが多い(正規の勤務時間終了後、すぐに行くのならほとんど毎日利用できるものの、現実には仕事が一段落するのは午後7時以降になることが通常であり、そういう観点から間に合わないという意味)ため、同図書館の開館中に行けるように仕事の優先順位をやり繰りして利用しているの が実態である。早く、メールでやりとりできるようになればいいと思っている(そうすれば、24時間開館に近い形になる)。今回はこの苫小牧市中央図書館の協力により、いろいろな資料を複写したり(もちろん、中には有料の複写サービスを依頼しないとコピーできなかった資料も多数含まれていたが)、いろいろな調査をすることができた。ただ、いろいろと調べいていくうちに、札幌のような中央都市に住む人には簡単にできても苫小牧のような地方都市に住む者にとっては文献の閲覧などは難しいことを実感し(昔よりは使い勝手がよくなったとはいえ)、距離間の問題がなくなる『情報革命』が早くこの分 野でも起きないものかと思っている。

【 苫小牧市中央図書館のホームページ扉 】【 苫小牧市中央図書館:図書検索画面 】

(2)北海道立図書館

 やはり北海道の中心的な図書館だけあって、今回の調査の中枢的な役割を果たしてくれたのがこの図書館であった。しかし、インターネットでつながっていないため、やや不便であることは否定できない。また、道立図書館の蔵書に関しての照会作業は苫小牧市中央図書館を経由して行われるため、日数もかかる。ただ、北海道の公立図書館の要として、国立国会図書館(次節でふれる)の図書貸し出し等についての業務も行っており(ただし、複写は許されないことが多く、居住地の公立図書館で閲覧後、有料の複写サービスを受けなくてはならないのだが)、私は今回、後述のように初めて国立国会図書館から図書の貸し出しや複写サービスを利用してみた。  なお、道立図書館では、蔵書の複写サービスを実施しており、書籍名や複写部分(何ページから何ページまでかということ)がはっきりしている場合は、居住地の公立図書館からその依頼をすることができるようである。また、直接、道立図書館へ立ち寄って下のような『複製申込書』に記入をすれば、著作権法上問題が生じなければ有料(コピー代のみ)でコピーできる。今年度になって、出張で札幌まで出向くことの多くなった私は、先日、仕事の帰り、道立図書館へ初めて立ち寄った。職員の方の対応も丁寧で、近隣地に住んでいれば研究もはかどるだろうと思いました。

【 複写資料の郵送時の文書 】

(3)国立国会図書館

 国立国会図書館と私の関係は、教員になった初期の頃からなので、もう20年近くになる。と、言ってもこれまでは私の若かった頃に、各種雑誌や学会誌等にコラムやエッセー等を書き送っていた際に、搭載された雑誌等が国立国会図書館の保存対象になっていたという程度のものであり、今回の研究で本格的に利用することとなったとい     うのが真相なのですが。  さて、地方の公立図書館になくて、都道府県の代表的な公立図書館にもない蔵書がこの国を代表する国立国会図書館には蔵書として保管されている場合、北海道に住んでいる私たちは道立図書館を経由して書籍の貸し出し(と言っても、居住地の公立図書館内で閲覧することが許されるだけ)を依頼することができます。ちなみに、国立国会図書館はインターネットで結ばれていますので、自由に蔵書の検索をすることはできます。今回、昭和20年代後半の教科書の研究をし始めた1月下旬頃、苫小牧市中央図書館から道立図書館を経由して、国立国会図書館の図書貸し出しやその後に資料複写申し込みをしました。私のこの一連の作業で関係した書類を紹介いたします。この時は、生まれて初めて中央の図書館に複写を依頼したため、その手続きがやや面倒に感じましたが、繰り返して依頼作業をしているうち、煩わしさも消えました。(蛇足:今回の研究ではいろいろなところに複写のサービスを依頼していますが、国立国会図書館の複写が一番費用がかかっています。)

【 北海道立図書館内で複写を希望する場合の申込書 】

【 国立国会図書館への蔵書の問い合わせ時 】【 国立国会図書館からの複写料金の請求書 】

【 居住地の公立図書館で閲覧後、複写を希望する時の申込書(郵送用) 】

第2章 北海道大学附属図書館の利用について

 昨年度の末、北海道大学附属図書館を訪れ、今後の研究のため、継続的に利用できないものかと問い合わせたところ、意外にも私たち(公立学校の教員)の場合は、所属長(つまり、勤務校の校長)が紹介人にとなる『図書資料利用希望者の紹介について』という書類(右の物)の提出さえあれば、以後、大学の学生や研究者と同様に図書館で研究作業が進められることを知りました。1回や2回程度の利用であれば、その都度、所定の用紙に記入すれば、その日に限り閲覧することができます。しかし、一般の開架閲覧だけでは用をなさないため、書庫の奥の方にある書籍などの利用を含めて考えるとこの手続きをして、学生と同様に磁気カードを所持しておくと便利なようです。北大の場合、学術研究をしている者には大変好意的で、現在も大変助かっています。また、つい、最近ではデジタルカメラでの書籍の撮影についても理解を示していただき、今後のレポート作成に大きく弾みがついています(ただし、著作権の関係で問題が生じないか、現在各所に問い合わせ中ですが)。

【 図書資料利用希望者の紹介について 】

おわりに

 1月末から3月1日の卒業式まではあっという間にすぎてしまった。特に2月は、情報教育に関したレポートを書き、本校卒業式実行委員会の生徒と一緒に卒業式で上映する10分程度の思い出の8ミリテープ作品を作り、そして、自分のクラスの卒業記念文集の作成とクラス会(同窓会)用のCDRの作成準備(構成部分の決定と画像ファイルの元になるアルバム用の写真のネガの写真館からの借用など)をしている間に20日ほどが経ち、卒業式が数日後と迫っていた。加えて、この期間にパソコン同好会の生徒と一緒にweb作品の仕上げをしたりもした(だから、この頃は毎日午後11時過ぎまで学校での作業が続いたのであった)。残された数日間で卒業式に向けたメモリアル企画の準備をし、感動の卒業式となったのであった。 3年間受け持った学年であるから卒業式の日にはどんな学校においても感動はする。しかし、今回、母校で最初に担任をした学年であるためか殊の外強い印象(感銘?)を残したように思われる。もしかして、2月に異常なほど仕事に没頭してしまったのは、生徒たちと別れることの辛さを紛らわす私の自己防衛本能の現れであったのかもしれない。それほど愛した生徒たちと別れ、3月1日の晩からの『寂しさ』は強烈であった。このレポートをその次の日の未明から一気に書き出してしまったのもその『寂しさ』を何とかしようとした業なのか………私情が長すぎた(注:第1章と『おわりに』のここまでは3月4日頃書き上げた)。

 『はじめに』でも述べたように本稿は前回のレポートの続編をなし、いわゆる検証部分にいたる資料集めの段階で感じたことをまとめたものにすぎない。当初は、その検証部分をもまとめたものにしようと考えたが、『おわりに』の第1パラグラフを書き上げた後、3月末の仙台での協議会の準備が始まり、気がついたらそれから3ヶ月が経っていた。このままにしていたら、いつ完成するかわからないことと、画像が沢山入りそうで大変重いレポートになりそうなので、小さく分割することにし、本日、投票を終えてから一気に完成させたものである。

 昨日まで、その用意をしていなかったため、いつものように不十分なものにしかなっていないことと思われるが、コーヒーブレークに一読していただければ幸いである。

【平成12年6月25日】