北海道苫小牧東高等学校 矢嶋 裕之
《key》 | 『数学基礎』 『生活単元学習』 生活経験 調べ学習 プレゼンテーション |
この時代のテーマ『遠足』は、遠足に行く目的地をどう選ぶかという最も基本的な内容から始める教科書が多い。現在の学校では、遠足の目的地を学校の先生方が決める事が多いが、この時代を考えたとき、これら学校生活の1つ1つの行事までもが教材になっているところに大きな差異を感じる。そして、目的地までの地図の読み方、目的地までの距離や乗り物などの経路、列車などのダイヤグラム、所要時間、所要金額……など現実に即した内容で構成されている。加えて、その目的地に行ってどういう所を見てくるかを考えるために、目的地周辺の産業などにも目を向けさせる構成で作られている教科書もある。また、さらに遠足の費用の積み立て方を扱い、利子の計算や金融のあり方にまで話題が展開されている教科書も多い。このように、当時は『生活経験』に基づいて教材などが配置されているため、どのようなテーマを扱ってもこのようになるのは当然なのかもしれない。しかし、内容を見ていくと、社会科で教わるような内容も含まれており、今の教科書、特に高校で用いられている教科書、とは大きく異なっていることがうかがえる。また、教科書によっては『〇〇君の発表』(図3参照)と題して各自の調べまとめた(今で言う『調べ学習』)ことを発表しあう(今で言う『プレゼンテーション』) 展開となっている教科書もあった。前述で地図の見方についても内容的に含まれていると述べたが、等高線といったお馴染みの内容に始まり、鳥瞰図の作り方について生徒が調べて発表する内容となっている(図4参照)教科書もあり、この時代の教育がどんなに生活体験重視を貫いていたかがよくわかる。一方、この遠足に関した教材をこれから使う場合、『数学』という枠組の中で昔同様に扱えるのだろうか、やや疑問である。社会科などと共通(共有)部分が大きいからである。なお、教科書の出版年度や出版社による差は若干あるが、当時、テーマ『遠足』や『交通機関の発達』などで内容として盛り込まれているダイヤグラム(あるいは、ダイヤグラフ、列車運行表)は新科目『数学基礎』でも取り上げられている可能性が大きいと聞く。昔の扱い方とどのような違いを見せてくれるのであろうか、大変興味のあるところである。
図3 『中西君の発表』 | 図4 『鳥瞰図についての説明』 | |
図5 『ダイヤグラム』 | 図6 『遠足の単元の扉』 | |
図7 『遠足の準備』 | 図8 『遠足のために考える内容』 | |
図9 『遠足の反省と費用の積み立て』 |
(2)住まい(三角比)について
教科書の出版社の違いによりタイトルに多少の違いがあるが、図形的内容の一つとして、又は、三角比に関連づけて自分たちの『住まい』について取り上げる単元がある。ここで、特に関心を引くのは、教科書によってはその章の扉の部分で『住宅の不足』を取り上げた記述があることである。全部の出版社というわけではないが、このような記述があることは、現在の物質が飽食した時代と異なり、戦後まもなくの物のない時代といった時代背景が偲ばれて大変興味深い。全てにおいて物のない中で、どのような住まいが理想であるか、単に『間取り』という側面からのみではなく、『家具の整とん』と題しどんな家具をどこに置けばよいのかを図を交えて説いている教科書もある。これらの内容は現在では中学校の技術・家庭や高校の家庭一般の中で扱われる内容であるが、こうした家庭科的な内容の他に屋根の傾斜角度やひさしの付け方など三角比に関わる内容を前後して配置している教科書も多い。中でも『すじかい』や『ほおずえ』など建物の骨組みについて解説し、丈夫な家にするにはどうしたら良いかを考えさせたり、地震に対する備えとして屋根を軽くすることの必要性を説き、身近な町にはどんな形の屋根が多いのかを調べさせるなど『調べ学習』を促進させる内容のものもある。実はこの『身近な町の屋根の形調べ』は私が大学時代に実習(レポート)させられた(確か、夏か冬の休み中の課題として、どんな科目の課題だったかは忘れたが)内容であり、昔の教科書に同じような記述を見つけ、やや驚いた次第である。それらの事例を以下の図で示すことにするが、そのどれもが現実の生活経験に裏付けされ、より良い生活を求めるためのもののように思われる。
図10 『住居の改良』 | 図11 『屋根の傾斜角と三角比』 |
図12 『屋根のひさし』 | 図13 『家具の配置』 |
図14 『屋根の重量』 | 図15 『屋根の形調べ』 |
このテーマは、以前、私が楽しい教材作りをしていた際にも利用した内容である。すぐ思いつくのは、カロリー計算を題材とした方程式や連立方程式の教材作りがあげられる。この家庭科的内容を元にした教材は、当時の生徒たちにもなかなか評判の良かったことを覚えている。しかし、このように生徒たちが意欲を持って取り組む教材事例は沢山あるわけではなく、教材研究をしていた当時の私も頭を悩ませていた記憶も残っている。今回の新科目『数学基礎』でも、これら方程式関連の内容としてこうした題材が利用されることは十分考えられ、どのような(家庭一般とは違った)味を出しながら展開していくかに関心を持っている私である。
(4)数学史について
昭和20年代後半の教科書の数学史に関わる単元の扉の部分をそのまま次に引用する。まずは、読んでもらいたい。
「 単元8 文明の進歩に数学はどんな役割をしたか
現在私たちは高度に発達した文明のなかに生活しているから 数学が私たちの生活にどんなにたいせつであるかといわれても、電気がどんなにたいせつであるかといわれたほどには実感が出ない。一般に、私たちが絶えず使っているもののありがたさを忘れやすいのは、空気や水や日光のありがたさに気がつかないようなものである。私たちが絶えず使っている加減乗除の計算や、算用数字による数の記読、簡単な幾何学的な論もこれと同じで、その重要さに気がつかないのである。
このようなことの重要さを知るためには、それが発明されなかったころのことを、または発明された当時のことを考えてみればよい。たとえば日本では室町時代の末、ヨーロッパでもほぼそのころに当たるルネッサンスの初期において、計算はむずかしい技術であった。豊臣秀吉のころの………… 以下省略 」
よく数学を不得意にする生徒たちから『数学って役に立たないものっ』て声を聞くが、昔の教科書ではその辺のところもきちんと教えていたようである。前述の引用部分の単元は数学史に関わるものであり、今回の新科目『数学基礎』の1つの内容であることは昨年度の教育課程研究協議会の際の話題でも明らかになっている。昔の教科書で、数学史を扱ったものは多く、以下の図のようなものがある。そして、内容の展開の仕方としては、現代風な数学史の扱い方とも共通性のある数学を発展させてきた数学者たちにスポットをあてた数学者物語風なタイプと、同じ歴史を扱いながらもどのような時代背景が新たな数学を生んできたか(あるいは、新たな数学を生まざるを得なかったか)といった側面を強調した生活歴史物語風なものとがある。後者は、数学の教科書というイメージではなく、社会科とか家庭科の教科書に近い。そのため、新科目『数学基礎』で数学史を扱った単元はたぶん前者に近いものになるのではなかろうか。また、昔の教科書では、単に数学の発達の歴史を説明するだけではなく、古代ギリシャの歴史や遺跡について調べさせたり、古典天文学の歴史を調べさせるなど、ここでも調べ学習を展開するものもある。科学的な知識が誤解されて迷信になっている例をあげさせるなど、やや高度な内容までも設問に載せる一部の教科書まであり、出版社による差異もかなり見られる。数学史そのものはおもしろい内容とは言い難いため、新しい教科書ではどのように扱われるか、これも大変興味のある部分である。
図17『数学はどんな必要から生まれたか』 | 図18『測量はどのように研究されてきたか』 |
図19 『ギリシアの数学』 | 図20 『課題研究』 |
図21 『課題研究』 |
(5)戦後という時代だからか?(蛇足部分)
実は今回のデジタル写真は、北海道大学附属図書館の許可を得て同図書館の書庫の中の教科書のみを保存してある小部屋の中で写したものである。時間がなかったので、写し方が粗雑であったが、昭和25年度〜昭和29年度の生活単元学習の頃の教科書の膨大な量の画像を収集してきた。その撮影がだいたい終了かと思われた頃、ふと妙なことに気がついた。それは、同じ出版社から発行された同じ教科書であるにも関わらず、わずか2年の違いで教科書の厚さがかなり薄くなっていることであった。表紙をみると『修正版』となっており、最初はある程度内容が精選されて薄くなったのだろうと思ったが、両者の目次を見比べると総ページ数は変わらず、私の予想とは異なっていた。また、文章表現や例題・問題などもほとんど変わっていない。どうしてなのか不思議に思い、図22のようにデジタルカメラで写し終えたとき、その主たる理由がわかった。それは、教科書に使われている紙の厚さの違いということであった。昭和26年度の教科書の方が紙の厚さが厚い。戦後の間もない時期なので、十分に物資が生産されていなかった昭和20年代前半から数年で技術改革が進み、少し薄い紙が作られ使われるようになったのであろうか。この研究の本質とは全くはずれるが、ふと疑問に思った私であった。
平成12年8月21日
生徒が戻り、いつもの歓声がひびくパソコン教室にて