思考する力=数学する力

〜サッカーロボット製作を通して生徒が得たもの

北海道苫小牧東高等学校  矢 嶋 裕 之

概略

 マイクロキャット・マイクロマウスの大会が流行ったのは私が大学生時代であり、今から15年くらい前のこととなった。最近、室蘭工業大学が大学祭などで『サッカーロボットコンテスト』というコンテストを実施するようになり、2年前からは『大学長杯』の競技大会として一般からの参加者(中学生以上)も含めて実施されるようになった。毎年、正月明けから実施される同コンテストは、室蘭・登別地域の市民には有名となっており、会場となるデパートには沢山の市民が訪れて競技大会の様子を見守っている。このコンテストは理系離れし始めた生徒に理系学問の面白さを体験させるのを趣旨として出発したため、昔のマイクロマウスのような自走型ロボットの部門もあるが、参加者の多くはむしろ有線や無線で動かすロボットといった製作しやすいタイプのロボットに集中している。本校のパソコン同好会でも参加しようということになり、昨年の秋以降、計画していた活動の合間にその準備にあたってきた。しかし、参加を薦めていた顧問の私の多忙さが主たる原因で気がついたときには、すでに12月になっていた。参加の態勢だけはできていたが、ロボットを作る材料も工具も何もない。本稿はそんな状態から1ケ月間の短期間でサッカーロボットを製作した本校パソコン同好会の活動記録である。この取り組みを通じ、施設も設備も不十分な中、ロボットを製作することの難しさや完成したときの喜び、そして、簡単だと思われた操縦法の難しさなどを生徒は体験した。一方、マイクロマウスなどの製作経験等はあるものの(とは言ってもかなりの部分忘れてしまったが)、製作環境の違いに唖然としてしまった顧問の私。生徒と一緒になって(時には生徒のほうが良い案を出したりして)作った(GATA)2号、来年は目標である自走型に挑戦したいと思っている。

第1章 サッカーロボットの本体部分の作り方について

 今回は、同好会ゆえ何もない中で始めたため、工具の全ては顧問である私の私物を使って製作するしかなかった。これが製作当初、面食らった部分である。加えて生徒会予算もないため、ラジコンキット(プロポセット)を購入できなく、苦肉の策として値段の安い赤外線リモコンのキットを購入して作るしかなかった。今回、ロボットを作るのにあたって使用した物は下記の物である。

【使用した物】

 ◆材料


  ※これだけでも1万円以上はかかる。

 ◆工具など(最低限使う物)


 今回製作したロボットは細工しやすいアクリル板(厚さ5ミリ)を使用し、下記の寸法に切って組み立てた。寸法の数字の単位はミリである。

[見取り図](単位:ミリ)

【注意事項】

 アクリル板を切って、金ヤスリで削って、ドリルで穴を空け、ネジ山を作り、アクリル板を組み立てる迄は、そんなに日数がかからない。今回は、1日2時間程度で2日間で本体自体は仕上がった。有線で操作する方法ならば、この後、モーターなどをつけ、スイッチで操作すればよいのだから、全部で1週間もあれば完成しただろう。ところが高校生以上になると、無線型と自走型しか部門がないため、この本体完成後の部分が実は予想外に大変だった。

第2章 無線操作に関わる部品製作(4ch赤外線リモコンの製作)

 普通、無線型で操縦するにはラジコンのプラモデルを操縦するときに使用する無線機セットを使う。しかし、4chで数万円程度の出費を必要とし、とても新規に購入できない。生徒の誰かがそういう物を持っていれば別だが、そういう状況にもなかったので今回は使用できなかった。後になってわかったことだが、本校の科学研究部では1セット持っているようだが、運悪くこの時期科学研究部でもモデルを製作していたので借用できなかった。
 私たちが購入し、製作した赤外線リモコンは株式会社イーケイジャパンから発売されているキットで4chの赤外線リモコンで受信機と送信機で約6000円程度のものであった。ただし、キットであるので、自分で配線図を見て部品を基盤に固定し、半田処理しなければならず、組み立てるのに受信機・送信機に各々1日ずつかかった。幸い、中学校時代の技術の得意だった生徒がいたため、スムーズにいったもののそうでなければ倍以上の時間がかかったのだろうと思われる。今回、製作した赤外線リモコンの回路図は次の通りになっている(説明書より縮小コピーしたものである)。

【各chの割り当て】1ch…右車輪・前進
2ch…左車輪・前進
3ch…アームの回転

第3章 何とか参加するためのロボットはできた。しかし、……そこには難題が。

 悪戦苦闘の末、2週間ほどで4ch赤外線リモコンで動くロボットはできた。しかし、それからが実際には一番大変だった。完成直後に問題となったことは次のことである。生徒とのやり取りをもとに簡単にまとめると……、

 どの一つをとっても初めての経験ゆえ、知識がないために起きたことだろうと思う。この頃になると生徒たちも自分たちが思っていたほど簡単ではないことを自覚するようになってきた。しかし、すでに冬休みに入っており、一日一日と大会が迫ってきた。こうした緊張感からか、生徒たちは自分たちで考えて行動するようになり、自分たちでパソコン教室の床にプレーするコートの大きさの練習場(2m×3m)を作り、ルールを見ながら動かす練習を始めた(欲を言えば、もう少し早くから操縦法の練習をしてほしかったが)。なかなか自分の思うように動かないロボットに焦りを感じて来た彼ら、取り組み始めたころとは全く違う真剣そのものな表情に変わり、大会直前数日間は夜遅くまで残ってパソコン教室の『コート』で練習していた。バックが思うようにできないため、壁ぎりぎりまでいった場合の解消法がなかなかうまくいかないようだった。

第4章 大会参加で学んだ多くのこと

 前日のミーティングでは勝敗のことは一切口にせず、とにかく『コンテストに参加して自分たちのやってきたこと(ロボット作り)の自己評価をすること』と、『自分たちの取り組みで不足だったこと』を発見して帰ってくるようにと話しをした。いわば、初参加の今年は『参加することに意義がある』といった構えであった。一週間前に実施された有線型部門のコンテスト(中学生)を報じた新聞記事のコピーを配り、『とにかく最後まであきらめずに頑張ろう』と誓い合い当日を向かえた本校のパソコン研究同好会であった。
 前からわかっていたとはいえ、本校以外の参加チームのロボットは1年前から作り始めた物ばかりで秋に行われた前哨戦(大学祭)でも戦っている物ばかりであった。1日目は、いわば予選であり、5分間以内に5つの発泡スチロール製のサッカーボールをゴールにシュートするといったものであった。1分もかからずに全部をゴールした室蘭工業大学の学生さんもいれば、本校チームのように1個も入れることのできないチームもあり、力の差は歴然としていた。また、各チームのロボットはいろいろとアイディアが施され、本校生徒にとってはいろいろなロボットを目の当たりにすることによって今後の改良の参考になったことは間違いない。1日目を終了して10位(13チーム中)で本戦に臨んだ本校チームだが、2日目の朝に大きなアクシデントにみまわれた。朝、軽く試運転をしていたところ、アームを軸に固定していたプラスチック製の軸受けが壊れてしまい、片方のアームが使えなくなってしまったのである。一同、目の前が真暗になり、一時は『リタイヤか』と思われた。しかし、前日のことを思い出し、片方のアームをガムテープで固定したまま、参加することとした。結果は書くまでもなく敗退であった。しかし、棄権せず最後まで努力したことだけは評価できると思われる。今にして思えば、予備知識を持たないパソコン研究同好会の生徒にとってやや無謀な取り組みだったのかもしれないが、パソコン本体はあるものの他の物は何もない中で活動を継続させるためにはこのような方法しかなかった。しかし、生徒たちは常にひたむきに活動しており、今後に期待がもてる状況である。

おわりに

 このようにして、1月18・19日に登別サティを会場に開催された室蘭工業大学主催の第3回サッカーロボットコンテストに本校のパソコン研究同好会は参加しました。自走型のロボットを作るためには8万円程度もかかり、すぐには作れないこともわかったが、今回の体験を来年の同コンテストへの参加の際に役立てたいと思っています。生徒にとっても、最初は『プラモデル?』という感じが各自にあったようだが、作っていくうちに大変時間のかかる物だということがわかり、加えてアイディアしだいでいろいろな物が作れることもわかり、興味をもってきたようである。今大会終了直後から次回大会に向けた改良を話し合っており、ここまで指導してきた私にとっても一応の効果はあったように思われます。
 さて、本稿も前レポート同様、本校のパソコン研究同好会の活動記録をまとめたものであり、数学の授業とは直接関係ありません。しかし、この取り組みも自走型の走行制御などをし始めるとき、三角関数などの内容も必要になります。数学はそうした『生活するための学問』であることを生徒にわかってもらえたらなあ、と常々思っている私ですが、現段階ではそこまで到達しておりません。毎日の授業では、生徒と問題をどう料理するかとディスカッションしているレベルで、さらに一歩進んだこういったことまでふれる余裕はないのです(進度の関係で)。ただ、私と一緒に行動しているパソコン研究同好会の生徒たちは、最近かなり奥深い考え方をするようになり、今後が楽しみです(ただ、受験勉強の妨げになっているかも?)。
 今後も無理せずマイペースでレポートを作って参りますので、よろしくお願い致します。

1997.1.23  誰もいなくなった職員室にて