真 鍋 和 弘  
(数学教育協議会会員)

 はじめに

 指数関数の導入にマンガ「ドラえもん」を用いる授業については多くの楽しい実践があり,生徒に強い印象を与えるようである。それは指数関数のもつ恐るべき性質が,かれらの世界観を大きく変えてしまうからである。

 「ドラえもん」の話の概要は次のようなものである。くりまんじゅうを腹一杯食べたいというのび太の願いをかなえるため,ドラえもんは躊躇しながらも,5分ごとに個数が2倍にふえていく「バイバイン」という薬をかけてしまう。最初は喜んで食べていたのび太も,しだいに食べきれなくなって,あわてたドラえもんはくりまんじゅうを風呂敷につつみ,ロケットで宇宙のかなたに捨ててしまう。

 マンガはここで終わってしまうが,増加するくりまんじゅうのその後を考えさせることが,この関数の大切な性質を学ぶうえで重要なポイントとなるのである。「ドラえもん」はとてもよい教材だと思うので,ここではこの話を現代物理学で考えるととうなるかということについて,実践してみて気がついたことを述べることにする。


 生徒の疑問

くりまんじりうが宇宙を埋めつくすまでの時聞を,1個の体積を100cm3とし,仮に宇宙を半径100億光年の球として計算してみると,その時間は予想に反して極端に短く,約23時間後(およそ1日後)となる。

 予想されることであるが(今年の授業でもでてきた),埋めつくされたその後の宇宙はどうなるのか? という質問がだされることがある。これにどう答えるか(またはごまかすか)は教師の力量が問われることになるが,そのためには現代宇宙論の知識を必要とする。この分野は最近非常に発展しており面白いので,授業でもおおいに使えると思う。


 現代宇宙論

 まず断っておかなければならないことは,くりまんじゃうが無から生じることは物理法則(エネルギー保存則)に違反するということである。これから物理学の考え方を使って話をすすめていくが,この部分は架空の話としなければならない。

 さて現代宇宙論によれば,この宇宙は「果て」がないとされている。その理由は,もし「果て」があるとすればその先はどうなっているかを考えなければならなくなり,宇宙の定義に反するからである。集合論でいえば宇宙はちょうど全体集合にあたる。

 宇宙の大きさ(体積)については,今のところ3つの可能性があると言われている。その説明にはいる前に,現代宇宙論について簡単にふれておかなければならない。

 現代の宇宙論はアインシュタインの一般相対論を基礎につくられていろ。大きなスケールでは,宇宙を支配している力は重力であり,重力を記述できる理論としては一般相対論以外にないからである。

 もう 1つの基礎は観測事実である。観測によれば今の宇宙は膨張を続けており,しかもその速度はわれわれからの距離に比例している(ハッブルの発見)。地球が宇宙の中心であるという持別な理由はないから,この膨張は宇宙のあらゆる場所で同じように起こっていると考えられている。また,宇宙の非常に遠い部分からやってくる電波の観測から,宇宙はほぼ等方的でかつ均質,しかも遠い過去には宇宙は非常に高温であったことが確かめられている(ベンジャスとウィルソンの発見)。

 これらをうまく説明できると考えられているのがガモフのビッグバン(宇宙の大爆発)理論である。この理論によると今の宇宙は約100億年前に大爆発を起こしたとされている。

 しかし単純に宇宙の半径を100億光年とすることはできない。相対論によれば,光より遠く進むことができないので,われわれが知ることのできる範囲が100億光年以内ということである。


 宇宙のトポロジー

 ビッグバン理論の標準的モデルとしてよく知られているが,ロシアの数学者フリードマンによって発見されたフリードマンモデルといわれるものである。彼が見つけた一般相対論の方程式の解は3通りあり,それぞれが異なった宇宙のトポロジーに対応している。このうちどれが正しいのか今のところはっきりしないが,現在の宇宙の物質の平均密度が重要な決め手となる。

 この平均密度がある臨海値より大きいと,宇宙に存在する物質による重力により宇宙の膨張をくいとめることができ,宇宙はある時点から収縮をはじめ再崩壊(ビッグクランチ)をむかえることになる。その解を,第1の解とよぶことにすると,その特徴は,強い重力によって空間がくるっと曲げられてちょうどゴム風船の表面に似たものになっている。この宇宙は「果て」がなく体積は有限である。幾何学の言葉では3次元球面と呼ばれるもので,曲率は一定のプラスの値をとる。ただしこの球面は時間とともに膨張と収縮をおこなっている。

 第2の解は平均密度が臨界値より小さい場合である。この場合宇宙の膨張はしだいに緩やかになっていくが,永遠に膨張が続く。この宇宙は曲率が一定でマイナスであり,「果て」がなく体積は無限である。幾何学では3次元ロバチェフスキー空間(馬の鞍型空間)と呼ばれる。

 第3の解は第1の解と第2の解のちょうど境目にあたる。この宇宙も決して膨張が止まることはないが,曲率はゼロである。この宇宙はわれわれが一番良く知っている3次元ユークリッド空間である。この宇宙も「果て」がなく体積は無限である。

 これら3つの宇宙のうちとれが現実の宇宙の姿を示しているのかは,残念ながら現在の理論では決まらず,観測によらなければならない。観測によると宇宙の平均密度は臨界値(2.0×10-29g/cm3)のおよそ 1%程度である。これが正しいとすると,第2の解が実現されていることになる。しかし宇宙には暗黒物質が存在するという説があり,しかもその量は目に見える物質の10倍から100倍もあるという可能性もある。暗黒物質をめぐっては現在も研究が続いており,宇宙のトポロジーを決定できる日はまだ先のことになりそうである。


 現代物理学で考える「ドラえもん」

 ビッグバン理論をつかって「ドラえもん」の話のその後を考えてみる。宇宙の平均密度が臨界値に等しいかそれより小さい場合,宇宙の体積は無限大となるので,くりまんじゅうが指数関数的に増えていっても宇宙全体がくりまんじゅうでいっぱいになることはない。ドラえもんの行為は正しかったことになる。

 これに対し平均密度が臨界値より大きい場合,宇宙の体積は有限なので,いつかはくりまんじゅうで埋めつくされてしまうだろう。この宇宙に「果て」はないので,埋めつくされる最後の様子は何か壁のようなものにぶつかってくりまんじりうの膨張が止まるのではなく,突然,まわり全体がくりまんじりうによって満たされるように見えるだろう。2次元で考えれば,たとえばゴム風船の表面にマジックでくりまんじゅうの絵をかいていけば何となく理解できると思う。

 この宇宙は強い重力によって空間がくるっと曲げられているので,宇宙がくりまんじゅうによって埋めつくされるまでの時間を計算することはそう簡単ではない。空間が曲がっているために宇宙の体積を単純に半径をRとして4/3πR3とすることはできないからである。よく知られているように3次元球面の表面積(実際は体積)は2π2R3となる。われわれは3次元球面の表面に住んでいるので,このRを知ることは容易ではない。しかも,一般相対論によれば宇宙に存在する物質が宇宙の構造(トポロジー)に影響をあたえるので,話をさらに複雑にしてしまう。

 宇宙の体積が無限大になる場合,すなわち宇宙が開いている場合に,くりまんじゅうの固まりが宇宙にとのような影響をあたえるのかについては,よくわからない。もしかすると宇宙のトポロジーに大きな変化を与える可能性もあるかもしれない。

 ここまでの議論で,実は,重大なことを見落としている。それは光速度最大の原理に関するものである。前にも述べたように,とんな運動も光速度を越えることはできない。くりまんじゅうの固まりが常に球状を保つとして,固まりの増大するスピードが光速に達するまでの時間を単純に計算してみるとおよそ11時間後となる。このときの半径は約4億kmである。この時,何らかの力がはたらいてくりまんじゅうの増大はストップするはずである。起こりうることのなかで最も可能性が大きいのはブラックホールになってしまうことである。そのようすを詳しく調べるには一般相対論を使った計算が必要となる。


 おわりに

 ビッグバン理論によって「ドラえもん」のその後を考えてきた。その基礎となる現代物理学は,まだこの宇宙を完全に解明できるほどには完成していない。しかし,かなりの程度にまでこの宇宙の誕生から今日までの変遷を明らかにしてきていることも事実である。

 最後に,ビッグバン以前の宇宙に関する問題について簡単に触れておく。ビッグバン理論だけではうまく説明できない事実(宇宙全体はなぜ同じ温度なのか? また宇宙になぜこれほど多くの物質があるのか? など)を説明するために,インフレーション宇宙モデルというものが提唱されている。この理論によると,ビッグバン以前に宇宙は急激に膨張(指数関数的に)していた時期があったと考えられている。

 この膨張は「真空のエネルギー」と呼ばれる特殊な力によって引き起こされ,1秒のわずか何分の1かの間に宇宙の半径が1030倍になったとされている。「ドラえもん」の話が実際の物理学の理論として存在しているというのも面白いことである。

 現代宇宙論をはじめとする現代物理学の考え方が,われわれの宇宙に対する認識を大きく変革する時期にきているのである。(本稿をまとめるにあたり北海道大学理学部宇宙物理学研究室の羽部朝男氏に貴重なご指摘をうけました。あらためて深く感謝いたします。

 (注)原文は雑誌「数学教室」国土社 1993年3月号


 [参考文献]