大学入試にあまり出題されないからという理由で,背理法と数学的帰納法をカットしている進学校も多いと思われるが,彼らが将来必要とする数学的素養はきちんと学ばせるべきだと思う.さらには,理工系の大学に進まない高校生にとっても,@背理法と数学的帰納法の考え方は面白く誰にでも理解できる内容であり,A背理法と数学的帰納法とは,数学という人類が生みだした文化のなかでもひときわ輝く遺産のひとつであるという理由で,普通の高校生にも教えたいというのが本稿の趣旨である.もしこれを扱うとしたら,精神的成熟を考慮してやはり高校3年次がふさわしいと思う.
背理法がなりたつのは数学的命題が次の排中律を満たすときだけである.高校教科書では排中律と背理法は以下のように別々に説明されているが,これら2つが同値であることがきちんと示されていない.また矛盾とは何かということもきちんと示されていない.
排中律(low of excluded middle)
背理法(昔は帰謬法 reduction to absurdity と呼んだ)
「このように,その命題が成り立たないと仮定して矛盾が生じることを示す証明法を背理法という」1).つまり,背理法とはPの否定が偽であることを示すことにより,Pが真であるこどを導く(間接的)証明法のことである.しかし,背理法は排中律から導かれる定理であり,生徒が納得して使えるためにば,背理法が正しいことをきちんと証明しておくこどが必要である.
矛盾
これらの言葉の定義が理解できたからといって,ただちに背理法が使えるようにはならない.数学の理論をすべて正確に論理的な言語(数式)に書き換える必要がある.この訓練を十分にやらないと,背理法とは何かということがよく理解できないのである.
例えば,
単語 | 否定語 |
---|---|
かつ(∧) | または(∨) |
任意の(全称記号∀) | ある(存在記号∃) |
すべての | 少なくとも1つの |
〜である(肯定) | 〜でない(否定¬) |
= | ≠ |
< | ≧ |
> | ≦ |
有限個 | 無限個 |
素数 | 合成数 |
有理数 | 無理数 |
代数的数 | 超越数 |
実数 | 虚数 |
収束 | 発散 |
背理法の例
[命題1]すべての人間は動物である.
(証明)この否定は「少なくともl人の人間は動物でない」である.この命題は明らかに偽である.なぜなら,少なくとも1人の植物人問が存在することになるから.よって,すべての人間は動物である. ■
[命題2]素数は無限個ある.
(証明)2) 世の中にば有限個の素数p1,p2,・・・,pnしかないとする.そのとき
自然数全体の集合Nが満たすべき性質は,次のペアノの公理(1889)として知られている.
[ペアノの自然数の公理5)]
Nを自然数全体の集合とする.Nの任意の要素nに対して,n'が定義されており,n'のことをnの後者(successor,Nachfolger)と呼ぶ.n'=n+1と書かれることもある.
Nは次の5つの公理を満たす.
(1)1はNに層す.
(2)nがNに属せば,n'もNに属す.
(3)nがNに属せば,n'≠1.
(4)n'=m'ならば,n=m.
(5)数学的帰納法の公理
MをNの部分集合とする.次の2つの条件
@1はMに属す.
AnがMに属せば,n'もMに属す.
が満たされれば実はM=Nである.
公理の(2)(3)(4)は,写像:n→n'がNからN\{1}の上への全単射であることを示している4).
公理の(5)は数学的帰納法と全く同じ形式であり,数学的帰納法の公理と呼ぱれている.自然数の集合に限らず一般の集合が@,Aを満たせばその集合は継承的であるという.例えば,有理数の集合Qや,実数の集合Rなども継承的である,自然数の集合NはRの部分集合の中で最小の継承的集合であることがわかっている5).
さて,数字的帰納法はふつう次のようなかたちに書かれる.
(6)数学的帰納法
自然数nに関する命題P(n)が次の2つの条件
(a)P(1)は真である.
(b)任意のnに対し,P(n)が真ならばP(n+1)も真である.
を満たせばすぺてのNの要素nに対し命題P(n)は真である.
数学的帰納法の公理と数学的帰納法とは命題として同値であることを証明しよう.
(証明)
数学的帰納法の公理を(5)と記し,数学的帰納法を(6)と記す.まず(5)⇒(6)を示す.
P(n)が真となるnの集合Hを考えると,HはNの部分集合である.Hが(5)の@,Aの条件を満たすとする.すなわち,
@1はHに属す.⇔ P(1)は真.
AnがHに属せば,n+1もHに属す.⇔ P(n)が真ならばP(n+1)も真.
このとき(5)からH=Nである.つまりP(n)が真となる集合はN全体である.これですべての自然数nについてP(n)ば真であることが示された.
次に,(6)⇒(5)を示す.Nの部分集合をMとし,命題P(n)を[nがMに属する]とする.P(n)が条件(a),(b)を満たすとする.すなわち,
(a)P(1)は真.⇔ 1はMに属す.
(b)P(n)が真ならばP(n+1)も真.⇔ nがMに属せば,n+1もMに属す.
このとき(6)から,すべてのNの要素nに対し命題P(n)は真である.つまり,Nの任意の要素nに対し,nはMに属する.よってN(Mである.M(Nでもあったから,M=Nである.これで,(5)と(6)は同値であることが証明された. ■
そこで,次の定理をえる.
[定理]
ペアノの自然数の公理(5)と数学的帰納法(6)とは同値である.
さらに,数学的帰納法は自然数全体の集合Nが次の性質(7)をもつことと同値である6).この性質はNの整列性と呼ばれている.
(7)自然数の整列性
自然数Nの任意の部分集合Sには必ず最小数が存在する.
部分集合Sは有限集合でない場合もあるので,最大数ではなく最小数であるというところがポイントである.このように,数学的帰納法は数学における最も基本的な数である自然教の存在と深く桔びついているのである.数学的帰納法がよく理解できるためには,自然数とは何かという間題意識6)がぜひ必要である.