日本の現在の理科教育,数学教育を考えるとき,アメリカ教育界の流行を無視できない。その流行とはポストモダニズムと同じ流れにある"構成主義教育"である。その理念的な特徴は
「a)科学の理論や法則は科学者という人間が創造したものであり,真理ではなく,社会的に作られたもの(Social Construct)である。b)数学の「真理」も真理ではなくsocial constructである。c)いわゆる科学は時代の大勢(政治権力)によって受容されたものに過ぎない。」という主張に要約される。勿論,その他もろもろの特徴,差違等があるがここでは取り上げない。
アメリカの構成主義教育は,科学・数学を実際に研究している学者の気付かないところで勢力を広げていた。1992年に新しい「National Science Education Standards」のドラフトが発表されたとき,科学者,数学者は具体的教育内容,教授法の過激さのみならず,その根底にある科学観,数学観と教育理念の異常さに驚き,事態の深刻さに愕然とした。このFirst Draftには「この Standards は構成主義哲学に基づく・・」と誇らしげに明記されていたのである。文献7)のHoltonの論文にはこの間の状況の簡潔な記述がある。1995年に決められたStandardsのFinal Versionからは,科学者達の反対によりこの宣言だけは引っ込められたが,教育内容は構成主義そのものであった。それは何十年にわたるポストモダニズムの学園支配(主として文科系,社会学系,教育系)と人材育成により,この思想が政府の官庁,教育機関の体制を支配するようになっていたからではなかろうか。その後制定されたStandards,各州のそれに対応するstandardsはこのような思想の流れに沿うものであった。それらに基づき教科書が書かれ,各州はそれらの教科書を採用し,「革命的な新しい教育」が至る所で始まったのである。しかし,経験的な実績にではなく,ある種のイデオロギーに基づいた教育はすぐに破綻する。実際,カリフォルニア州のサンディエゴ地区はじめ,全国至るところでの父母からの苦情が出始め,"本当の科学者,数学者"は痛烈に"新科学,新数学"を批判したのである。父母は"新しい数学教育"が導入されてから,彼等の子供達は何も学んでいないと言っている。また全国一斉のテストでも,国際的学力テストでも,アメリカの子供達の成績は急速に降下していると学者達は指摘している。この間の事情は科学者,数学者のライリー教育長官への公開書簡,15)メルツェンバーグ教授の下院での証言16)とそれに続く質疑応答17)
で窺い知ることができる。
これらは構成主義に批判的な資料である。構成主義者Lederman教授は科学教育の中心は科学の性格"The Nature of Science"18)の理解であると主張している。また,MeadowとHowleyは彼等が関係した教員再教育コースで,学習者がグループ毎にあるテーマについて,見通しをたて,お互いの討論を通して考え方を形成していく方法を学ばせた経験を紹介している。19)そのテーマとは"Psychic Power"であった。構成主義では科学もブラックマジックも同等に真実であり,"偏見"をもたずに等しく扱わなければならないのである。構成主義は非科学,非論理的思考を育てる教育なのである。
このような訓練を受けた多くの教師が洗脳され,そして教壇に立ち,子供達の将来にとり良い影響を与えることができるであろうか。これは外国アメリカのことだけではない。文部省発行の"小学校学習指導要領解説:理科編"20)には「科学の理論は人間によって創られたものである」という科学観が述べられている。
小学校学習指導要領自体からも"はやりの科学観"を伺い知ることができる。第2章各教科第4節理科の中で"科学的","規則性","理解","発見"という語が現われる頻度はそれぞれ1,5(5学年のみ),3,0である。「法則はないのだから発見ではなく,子供達が創るもの」というのが指導要領の基本姿勢である。
(物理教育の第49巻第4号(2001)に掲載した論文を学会の許可を得て転載)