なぜ科学教育は必要か

北 村 正 直

  1. はじめに

     1959年に「二つの文化」1)という講演の中でスノー(Snow, C. P.)は、「イングランドで知識人は人文と自然科学の二つのグループに分かれ、お互いに他方を理解するのが困難になり、同じ英語を語っているにも関わらず、コミュニケーションが殆どない」と論じた。彼はこの二つの文化の間に「橋を架ける」必要があると感じてこの講演で問題提起をしたのである。以来40年が経ったが、この二つの文化の間の溝は埋められるどころかますます広がっていくように見える。しかもこの二つの文化現象は、イギリスのみならず、日本を含めた全世界において認められる。
     この「二つの文化」の存在を認める学者の多くはこれを教育の問題として捉え、教育、特に一般教育を通して改善がはかられると期待した。例えば科学者のあいだには文科系学生の科学教育により、この「二つの文化」間の溝を埋めようとする試みもあったが、顕著な成功があったとは言えない。日本においては、一般教育は教授陣、特に専門教育の充実を望む各学科の教授達には同情を得にくく、また学生にも一般教育の意義は理解されているとは到底言えない。設置基準大綱化以降は、一般教育は大きく後退し、二つの文化の溝はますます広がる一方である。
     この「二つの文化」現象は教育改革で解決できる問題ではない。その問題の根幹は我々の文化の問題であり、ギリシャ時代から続いていると言える。従ってその解決は容易なことではないどころか、人類は永遠に解決できないことかも知れない。筆者はそのような認識に立ち、その影響を最小にするにはどのような手だてが有効かを考えている。
     科学は文化と対立するものではなく、むしろ我々の文化の重要な一部であり、無くてはならないものである。もしも"文系知識人"が科学を「役に立つが低級なもの」とか、全く科学のなんたるかを知らないとすると、我々の社会はどのようになるか想像できるだろうか。文系学部を卒業し、公務員試験を合格した高級官僚が科学を2科目履修した経験だけで科学技術政策を立てたり、理科教育の指導要領の作成に携わることが考えられるだろうか。また教育系の大学を卒業した小学校の教員はすべての科目を担当することが期待されているが、彼らが科学は意味の無いくだらない学問だとする大学教授の影響を受けていたとしたらどうなるであろう。実は、これは筆者の単なる杞憂ではなく、アメリカやイギリスの人文学者・社会科学者と科学者の間で論争を引き起こしている問題なのである。これらの国ではかなり以前より科学・技術の社会における役割と、科学者・技術者の責任について考え学ぶことが行われてきた。イギリスでは80年代の始めごろ、ウィリアムス(Williams, Bill)等によりSISCON(Science in a Social Context)という高等教育における新しい科学教育が試みられ非常に良いテキストシリーズも作成された。2)この試みはオランダで実施され、その高等学校版の教科書も書かれている。3)このような科学教育の新しい試みは、科学の基礎知識をある程度備えた学生には意味のあるものである。しかし、現在の日本の大学では高等学校で1、2科目の理科をおざなりに履修しただけの学生が大半であるから、このような試みはその科学的意味の理解できない事実との出会いと、事実に基づかずに自分の意見を直感的に形成するだけを学ぶコースになる恐れがある。

  2. 反科学主義と Science Wars

     アメリカ、イギリスにおいては、この頃より人文学者、社会科学者が積極的にこのような問題を考えようとして、STS(Science, Technology and Society または Science and Technology Studies)という新しい研究が始められ、大学でもこのような名前の講義が文系の学生を対象として開講されるようになった。科学と社会との関わりに関心を持っていた科学者は、このようなSTSを他の分野の学者と科学者の協同プロジェクトとして好意を持って眺めていたようである。実際、多くの大学では多くの分野から教授達が参加し、素晴らしい内容の講義が開講されている。しかし、また我々科学者から見る問題のあるプログラムも少なくなかった。ラトガース大学のレヴィット(Levitt, Norman)教授(数学)は、同大学でSTSの講義を担当している社会科学、人文科学の教授達に協力を申し出たが、彼は無視されてしまった。科学者抜きの科学のスタディを調べた彼は、このSTSの科目は科学とは関係の無いものどころか、「科学は一つの社会的構造(social construct:物語、つくりごと)であり、科学的真理などは存在しない。啓蒙時代以後続いてきた客観的思考に基づいた科学の支配(hegemony)を打破して(deconstruct)して、真の変革をもたらす必要がある。」と主張している人文学者、社会学者達による極端に一方的な講義だったのである。レヴィットは、ポストモダニズム、多文化主義、構造主義といわれている(自称している?)これらの学者の考えを批判して、1994年に生物学科のグロス教授(生物学)と共に「Higher Superstition:The Academic Left and Its Quarrels With Science」4)を出版してこれら一部のSTS学者達のしていることを告発したのである。これが今欧米の大学、マスコミで話題になっている"Science Wars"の始まりである。
     物理教育、物理学史で著名なハーバーと大学のホルトン(Holton, Gerald)教授も1995年に出版された「Einstein, History, and Other Passions」5)の中で、米国の一部の社会科学者、人文学者の間における反科学、反理性主義傾向の流行を憂慮している。彼はこのような反科学、反理性主義に基づいた教育を受けた若い学生が将来のアメリカの社会、政治、教育のリーダーになることを考えて警告を発していたのである。筆者はこれは米国のこと、しかも一部の大学での出来事としてあまり注意を払っていなかった。
     ニューヨーク大学のソーカル教授(物理学)はレヴィットとグロスの本を手にし、最初はそこに書かれてあることが信じられなかったようである。しかし、彼はその本に引用されている本が大学のブックストアに沢山あり、その内容がレヴィットの批判している通りであることを知り、ある"成り行き任せの実験(an uncontrolled experiment)"の実行に取り掛かった。たまたま、このような傾向の学者達が論文を発表する場としていたデューク大学が出版している "Social Text"という学術誌が「Science Wars」特集号を出すことになった。ソーカルはそれにポストモダニストや構造主義者たちの言葉づかいと論調を真似し、彼らの著書や論文をふんだんに引用し、"伝統的な科学"や客観的な思考を批判し、無謀なそして編集者の気に入りそうな結論を何の脈絡も無しに断言している「Transgressing the boundaries: Toward a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity」というタイトルの論文を書いて"Social Text"に投稿したのである6)。この特集は1996年のSpring/Summer号として発行された。その直後にソーカルは別の文芸誌"Lingua Franca"でこの論文は「Parody(悪ふざけ)」であることを暴露したのである。ソーカルは1)低学年の物理学の大学生ならばすぐに気付くような物理学、数学の初歩的な概念をでたらめに引用しているのを編集者は見抜くことができるかどうか、2)編集者の気に入りそうな議論と結論を書き連ねれば採用されるかどうかを見るための実験だったというのである。さらにこの論文の内容はいかにでたらめであるかを解説し、そのことで"Social Text"誌の編集者、及び彼らによって代表される一部の社会学者、人文学者たちの非理性的な思考を批判したのである。この事件は直ちにニューヨーク・タイムス紙、その他の有力紙によって取り上げられ、瞬く間にヨーロッパ諸国、オーストラリア、ラテンアメリカ諸国にまで広がり、現在に至るまで新聞、評論雑誌、学術誌においてまたインターネット上で途切れること無く論じられているほど大きな波紋をもたらしたのである。日本では残念ながら"ソーカル事件"はあまり科学者側の注意を引いていない。ただ、東北大学の黒木氏はソーカル事件関係のサイトへのほぼ完全なリンクをインターネット・ホームページに作っておられること、そして彼のサイトは海外でも高い評価を得ていることに注目したい。7)
     その翌97年にパリでソーカルはルーフェン大学(ベルギー)の物理学のブリックモン教授と一緒に、アメリカのこれらの学者に大きな影響を与え、たびたび引用されているフランスの哲学者、言語学者、女性学学者達の著書を取り上げ、そこで利用されている数学、物理学等の用語、理論が全く理解もされずにむやみに引用されていることを、こと細かに原文を引用しながら批判した「Impostures Intellectuelles」を出版した。この本の英語版は1998年英国で「Intellectual Impostures」というタイトルで、1999年にはアメリカで「Fashionable Nonsense」8)のタイトルで出版された。この本の出版によって、ソーカル事件によって引き起こされた科学者と「科学と科学者を社会科学的に研究している学者」との間の論争が一層熱を帯びてきた。田崎、大野(共に物理学者)と堀(仏文学者)による日本語訳「知の欺瞞」は今年の5月に出版された。9)

  3. Science Wars と理科教育

     筆者は昨年、トーマス・クーンとカール・ポッパー関連のサイトをネット上で検索していたとき、たまたまソーカル事件を知った。さらに彼やホルトンが批判しているフランス、アメリカの学者の本が日本でも翻訳され、大きな書店や大学ブックストアの社会科学、哲学の売り場の大部分を占めているほど日本でもこの"新しい冒険的な考え"がポピュラーであることを知った。ソーカル事件以降の欧米での論争を読み、これらの"思想家"の著作や評論、それらへの批判、さらに「知の欺瞞」を読んだ後では、筆者はこれらの本の訳者達は、訳している文章の意味を理解しているのだろうかと疑った。ところが更に、これらの"新しい冒険的な考え"は理科教育の専門家の間にも広がっていることを知らされた。「科学の理論は、確かではなく、相対的であるという考えで新しい指導要領を作るべきである。」という主張を理科教育が専門の武村氏10)と文部省小学校教科調査官である角屋氏11)がある理科教育の雑誌上で発表していたのである。ソーカル事件は欧米だけのことでなく、その影響はすでに日本の教育界にまで大きな陰を落としているのである。何故なら、この専門家と調査官の往復書簡形式の論文(?)で、使われている用語と、議論の進め方は米国の極端な「科学を社会科学する学者」のものと瓜二つなのである。先ず武村氏は

    …私に伝わってくる情報は、「科学の動的世界像を形成していく理科学習」の声が、全国各地から入ってきています。自然科学者は、科学は相対的なものとして、動的なものとして把握していますね。理科教育についてはどうなのでしょう。授業を行うのは…
    と書簡の部分に記し、次に次期指導要領改定に注文したいことを"新しい理科教育のパラダイムによる改革"として提案している。先ず彼はトーマス・クーンのパラダイムという魔法の言葉を使って、[伝統的な理科教育のパラダイム]を"受容"と、そして[新しい理科教育のパラダイム]なるものを"創造"と性格付けている。前者には理科教育の現状の問題点をすべて負い被せ、後者はきれいな言葉で内容を飾っている。
     筆者はクーンの代表作である「科学革命の構造」12)を高く評価している。しかし、この労作も科学史上の仕事である。科学史上の改革若しくは革命といわれる幾つかの出来事をa posterioriに取り上げ、検討しこれらの科学革命に共通する特徴を見出したというのがクーンの仕事である。すなわちクーンのパラダイム理論は歴史学的経験理論であり、この理論を導いた経験範囲を超えてそれが適用できるという保証は全く無いのである。例えば、ニュートンの古典物理学のパラダイムは、量子論のパラダイム、若しくは相対性理論のパラダイムとはクーンの主張するような排他的な関係になく、適用範囲のうちで今でも共存し利用され、これからもずっと成り立つと科学者は考えている。クーンの「科学革命の構造」は神話的な世界観から実証的な世界観へと変わった革命にのみかなり良く適合する説であるといえよう。そのような経験理論として筆者はクーンの仕事を評価している。
     クーンはハーバート大学で物理学の学位を取得してから数年当時の学長であったコナントのもとで物理学の一般教育に携わったのである。彼はその時科学史に興味を抱き、専門を物理学から科学史に変えたのである。コナントはクーンの「科学革命の構造」を見たとき、パラダイムを"何でもできる魔法の言葉"と評したそうである。実際、このパラダイムという言葉は、自分の主張を理由も明かせずに広めるために日本でもしばしば都合よく使われている。クーンの"パラダイム理論"は"一つのパラダイム(a paradigm)"であり、何にでも使える魔法力をもつ"the paradigm"ではない。ただ、新しいパラダイムだから受け入れろというのは論理的な議論の仕方ではない。この"パラダイム"の正当性を示しているならば、説得力はあるが、そのような議論はこの論文の中で見つけるのは困難である。このような"パラダイム概念"の魔法に頼って自分の主張を正当化しようとしている議論は教育学を含めて社会科学の学者の間にしばしば見受けられる。しかし、自然科学においてはこのような論法は通用しない。物理学者ならば、指導している大学院生が理由も無しに新しい理論の骨組みと結論だけを書いた論文を認めるようなことは決してないであろう。
     また書簡の部分の「自然科学者は、科学を相対的なものとして、動的なものとして把握している」と武村氏は述べているが、筆者の知っている限り"実際に科学の研究をしている科学者(practicing scientists)"の中にそのような見解を持っている方は誰もいない。武村氏はどんな科学者のことを述べているのであろうか。
     武村氏によれば伝統的な理科教育のパラダイムでは、自然科学は「自然には不変の原理、法則、概念がある。観察事実は客観的である。」となるが、新しいパラダイムでは、「自然科学は人間が創造したもので変化する。自然科学は科学者により異なることが多く相対的である。」としている。この考え方こそ、レヴィットとグロスが、ソーカルとブリックモンが、そしてホルトンが批判している相対主義なのである。このような相対主義は自然科学そのものの否定する考え方なのである。
     歴史に記憶されている相対主義の立場に立つ人は、ある意味で真剣に絶対的に確かな真実を求める人達であった。真剣に"絶対的な"真実を求めたが故に、その真実が得られなかったとき、虚無的になり、相対主義に陥ってしまうのである。ある哲学者は人間が"事実"から離れて観念的に真実を追い求めるときにアナーキーに陥る危険があると警告している。自然科学は常に謙虚に"事実(自然)"から学ぼうとし、"絶対的"ではない"科学的"真実を求めているので、このような危険は比較的少ないのである。ノーベル物理学者のワインバーグは「自然は科学者の教科書である。」13)と言っているのはこのことを表現しているのである。その科学について、哲学者は科学者に「ある科学理論が絶対的に真実でありかつ不変であることを示せ」と迫るが、科学者は「それは科学的に真理であり、科学的に不変である」としか答えることができない。科学は本質的に経験論であり、帰納的な面を持っているからである。しかし彼は、科学理論は自然界の人間とは無関係に存在している真理を指し示しているという信念を持っている。また人間の認識とは無関係な事実や実在(リアリティ)が自然には存在していると信じている。これを哲学者は証明しろというのである。人間の思考を論理的な思考と、帰納的な(実証的な)思考とに分け、それらを併用して科学を作り上げている科学者は絶対的な真理を求めていながら、我々の認識し得た実際の知識を絶対化することはしない。それを我々は科学的な態度と称しているのである。絶対的な(哲学的な)真理を今手元に無いならば真理などというものがこの世に存在しないとし、各人各様の信念をもってかまわないのであるというのが相対主義なのである。科学のこの性格をクーンは「共同体としての一つのパラダイムに過ぎないのではないか」13)と問いかけ、ファイヤアーベントは「科学は科学者と呼ばれる一部の人達の持つ信仰に過ぎない」14)と断言するのである。ソーカル教授がそのでたらめさをパロディーで暴いたアメリカ、イギリスの"科学と技術を社会学的に研究する(STS)"学者達は「科学は真理などではなく、社会的構造に過ぎない」と主張しているのである。これらの思想が日本の学界にも70年代後半から浸透してきているのである。
     武村氏、角屋氏の考えは伝統的な科学的態度を真っ向から否定し、「科学的真理は存在しない」と主張するフランスのトレンディ(trendy)な学者、アメリカ、イギリスのポストモダニスト達と同じ言葉を使っているのである。例えば角屋氏は武村氏へ答える書簡形式の論文(?)の中で「これからの理科教育は、子どもが科学を動的な世界像として構築することが一つのねらいと考えられます。子どもが動的な世界像として科学を構築していくためには…」と書いているが、これは「科学は社会的構造物(social construct)」であるというポストモダニストの主張そのものなのである。彼は更に、仮説を立て、それを実証、反証を通して確かめ自然認識の再構成をさせる例として振り子の速さと糸の長さや重りの重さとの関連の実験をあげている。しかし、筆者には反証という言葉で何を角屋氏は表現しようとしているのか理解に苦しむのである。単純に考えるならば実証できなかったというだけで反証とは言えないことは科学法則の確認に反証と概念を持ち込んだカール・ポパー15)も彼の批判者も認めているところである。
     幸いにもこの両氏とも手におえないかちかちの相対主義者や反科学主義者ではなさそうである。彼等の提案している改革の具体的な案は、いろいろ問題点もあるがそれほど有害なものは少ない。しかし、基本的な態度は科学者が決して受け入ることのできない、極めて有害なものである。彼等が自分の書斎で一人よがりの自己満足のお遊びとしてするなら何を考えても良いであろう。しかし、それで新しい教育を全国の小中学校で、指導要領で押し付けることは許されものではない。そのように考えると、新らしい指導要領がすべて疑わしく見えてくるのは自然の成り行きである。
     ソーカルは彼のパロディ論文の中で「ユークリッドの円周率πも、ニュートンの重力の定数も不変ではなく変化するものである」と述べているがそのばかばかしさに"Social Text"誌の編集者は気付かなかったのである。彼等は実際そのような考えで数学も科学も見ているからなのである。新しい指導要領で円周率が3.14ではなく3になったのはこのようなでたらめな考えがその根底にあったのではないことを期待したい。円周率は大切な概念でそれを理解させることが基本で、πは3.14でもなければ3でもないのである。ただ実際の計算上これらの値を便宜的に用いるだけなのである。筆者には新しい指導要領でこの概念の理解という点が充分に強調されていないように見えるのである。
     物理学会、化学会等が新しい理科教育について希望を出しているが、新指導要領がこれらの"trendy"な思想を持った"理科教育の専門家"達によって作成され、小・中学校の教員を指導するとなると、日本の理科教育は壊滅的打撃を受けることになりはしないかということにも学会は目を向けるべきである。

  4. 精神の学問と物や現象の学問

     この「二つの文化」問題は一方が他方の知識に欠けているとか、関心が無いというだけでなく、他方に侮蔑の念を持つか、もしくは少なくとも自分には無用のものと考えることから生ずる。そのような問題は日本でも昔から存在していた。入試改革以前の我が国では文系の学科に進学するにしても入学試験科目に理科、数学があり旧制高校では文系、理系の科目を幅広く学ぶ機会があった。従って日本では文系では古典に重きをおいていた英国とは少し異なる状況にあったといえる。しかし、文系の学生の間には理系の学問に対する心理的な偏見は英国と同様に存在していた。ある文系に進んだ友人が「我々は"人間"のことを学んでいるのに、お前は"物や現象"のことだけしか学ばない理系によく満足できるな。」と著者に同情して言ったことがある。このようにあらわな表現でなくとも、「人間の問題こそ大切なのだ」という主張は、新聞、雑誌の記事や評論の中ばかりでなく、日常の会話でもしばしば聞かれる。これが"人間のこと"でない、"物や現象"の蔑視にまで繋がっていく場合があるのである。
     この"物や現象"の蔑視は新しいことではない。ギリシャの哲学者パルメニデスやプラトンは我々が"感覚"を通してとらえる知識は真の知識ではなく、"理性"によってのみ真理を知る事ができると説いた。16)またプラトンは物や現象の問題よりも人間のこと、特に政治(国家)により大きな関心を持っていた。これに対してアリストテレスは物や現象の世界にも関心を持ち、現象を見かけ上のこととして軽視せず、むしろ実際の現象の観察を重視した。"人"と彼をとりまく"世界"を知ることは人間の中心的な課題であることは昔も今も変わりはない。この世界にはさらに人間の間にある"社会"とその環境である"自然"がある。そしてその両方についての知識は我々にとり重要である。このことは多くの人は認めるところであろう。問題は知識をどのようにして手に入れるかということである。イオニアの哲学者達は現象に関心を持ち、パルメニデス、ソクラテス、プラトンは現象の奥底にある真の知識を理性によってのみ知ることができると考えた。彼等にとって、イオニアンスクールやデモクリトス等の原子論者は"現象を説明する(saving the phenomena)"ことにのみ関心を持つくだらない輩として映ったようである。17)
     この"現象を説明する(現象を救う)"という批判はコペルニクスに対して、イエスズ会の学者達が下した判断であり、ジョージ・バークレーがニュートンを批判するときあらわに表現されている。ウイーン学派の最初からのメンバーであった物理学者フィリップ・フランクは戦争中に米国に渡り、ハーバード大学で哲学の教授となった。彼は1943年に米国物理学会の"The Reviews of Modern Physics"誌に"Why do scientists and philosophers so often disagree about the merits of a new theory"という論文で科学者と哲学者の考え方の違いを論じている。この論文は彼の著作集「Modern Science and Its Philosophy」に第12章として収められている。18)
     フランクは「哲学者の判断の基準となっている考えは化石化した過去の科学理論である」と主張している。では科学理論はなぜ化石化したのであろうか?筆者は「科学者は科学的真理を求め、哲学者は絶対的真理を求める」ことが哲学者をして化石化した理論に固執させ、新しい理論が提示されたとき、それに対して批判的態度をとらせたのだと見ている。科学的真理はより良い理論ができたとき、または人間の経験する世界が広がったとき評価が変わるが、絶対的真理は変化することは出来ないからである。つまり絶対的真理を発見したと主張する哲学者は、変化の留まった化石になった理論を大事にしているだけなのである。
     次に考慮しなければならないのは、科学者と人文学者の"人間"についての認識の違いではないかと思っている。ギリシャ時代の学問は1000年以上も忘れられていたが、十字軍遠征を契機として、西欧はアラブ世界の文化、すなわち医学、科学、論理学、建築、都市計画等が西欧よりも優れていることに気付き、その吸収に努めた。ところがアラブから持ち帰った文献がもともとギリシャのものであり、原本は手元にあって、忘れ去られていたものであることを知った。これがルネッサンス、すなわち文芸復興の起こりと言われている。従って、アリストテレスの物理学、プトレオマイオスの天文学がローマ教会に公認されるようになったのはトーマス・アクイナス以後の比較的新しい時代に入ってからである。文芸復興は権威からの開放であり、人間主義(ヒューマニズム)の回復である。ところが人間主義がややもすると自然の摂理よりも人間の考えが尊重されるべきであるという考え方を生み出すのである。これはギリシャ時代のプロタゴラス等のソフィスト達は「人間は万物の尺度(measure)である」という考えに通ずる。文芸復興はこのような懐疑主義、相対主義的な考えをも蘇らせた。ジョージ・バークレーもそのような相対主義的傾向をもっている。
     コペルニクスの地動説は当時のクラビウスの天文学教科書でも紹介されているが、「この説はプトレオマイオスの説と同様に数値的には現象を説明することができるが、この説はばかげた考えが沢山ある。」とされ、さらに「この説は現象を説明できれば自然哲学の中にどんな馬鹿げた考えを持ち込んでも意に介しない"精神的に無責任な者"によるものである」と説明されていた。またニュートンと同時代の哲学者であるバークレーは「引力については、それはニュートンによって真の物理量としてではなく、単に数学的な仮説として導入されたのであり観測量ではない」として退け19)、その著書「Analyst」20)で「現代の科学者は現象を理解しようとはせずに、数値的に現象の説明をしようとしている」と批判している。ここでも哲学者は絶対的な理解を求め、現象を救おう(説明しよう)とする科学者の態度を批判している。
     パルメニデスの態度を引き継いでいるヘーゲルは太陽系の惑星の軌道に関する"ボーデ(Bode)の法則"を嘲笑い、「惑星について知りたければ、観測するより哲学者に尋ねるべきだ」とまで言い切っている。我々は「ボーデの法則」を法則としてみることに躊躇するが、現象を観察し、理由は理解できなくても、"そこにある"何らかの規則性を探すことは科学者の日常よくしている一つの慣行と考えられる。例えばバーマーが水素原子のスペクトルから、公式
         λ=R{(1/4)−(1/n2)}
    を導いたのも基本的にはボーデのしたことと同じなのである。ただバーマーの公式は、後にボーアの水素原子の量子モデルによって、どうしてこのような公式があるのかが説明され、Bodeの法則はなぜこのような法則があるのか誰も説明を提出していないという違いがある。しかし、バーマーの公式はボーアの理論が提出される前でも、確かに我々に自然の理解に貢献したといえるのである。我々は自然界の"具体的な"仕組みについて哲学者に教えを請うことはないであろう。
     「科学者は現象を説明しようとするが、哲学者はそれを"真"に理解しようとする」というのが観念論的な哲学者の科学者批判である。しかしこの考えの違いの根底には"事実"または"外的世界"の認識の違いがある。また一部の人文主義者は人間中心でない自然科学を本能的に軽蔑しているのではと思えるほど彼等の内に科学と科学的方法に対する嫌悪感を感ずることさえある。これが「二つの文化」を生み出す要因なのかも知れない。
     この1959年にケスラー(Koestler, Arther)は「The Sleepwalkers」21)という本を著している。この本は古代から現代に至るまでの人類の科学分野で活躍した人物を中心にした素晴らしい科学史である。ケスラーの流暢な英文は非常に心地よい響きを持っている。さすがに現代を代表する作家であり評論家と思わせる雄弁家である。この本のケプラーに関する章、「分水嶺」、はPSSCの"Science Study Series"の一つとして出版されている。彼も大学では科学(心理学)を学んだ、超一流の科学史家であることはこの本を読むとすぐに理解できる。1963年のリオ・デ・ジャネイロで開催されたInternational Conference on Physics in General Educationでの「The Goals for Science Teaching」22)という題の講演でハーバード大学のホルトン教授はケスラーとこの本を紹介し、「・・彼は非常に優れたlaymanで、現代科学の理解に努めてこのような明らかな研究をするものを学生として持つのは喜ばしいことでありまた誇りに思うであろう。」とこのすぐれた科学史の本を評価している。しかし、ホルトンはさらに「だがしかし、ケスラーにはこの本の終わりにくるにつれ、何かとんでもないことが起きるのである。彼は17世紀の物理学の意味や理論はまだ理解できていた。(しかし)エピローグで現代物理に直面すると理解と調和の感じはすべて消え去り、不可解な新しい概念が彼を取り巻くように現れ、彼を狂気に駆り立てるように見える。彼はこの本の結びとして"この本で浮かび上がらされた物語はいろいろな分野の知識や営みの分裂とその後の孤立した発展の物語として理解してほしい。各分野はそれぞれ硬直した正統化、一面的な専門化、集団的な妄想化に至っている"と見ている。」と続ける。ホルトンは「この事例をできるだけ同情して考え、現代物理学の事実概念に対処しきれなくなった知識人の悲痛な嘆きに耳を傾けることが大切である」と記している。彼はさらにケスラーの本のエピローグからの引用を続け、最後にこのような悩みを解決するには物理教育はどうあるべきかを論じている。
     筆者がこの「The Sleepwalkers」を手にしたのは1964年、海外の大学に赴任し、哲学の教授から彼の一般教育の講義の教科書として彼が書いた「Science and Culture」23)を見せられた時である。その著書にはケスラーのこの本とバートの「物理科学の形而上学的基礎」24)が頻繁に引用されていた。この教授もケスラーのように、綿密に科学と科学史上の出来事を調べ、見事な科学史の物語を書き上げているのである。ただ現代物理における事実と理論の概念の理解が、科学を実際に研究している者(practicing scientists)の理解とは全く異なっていたのである。この違いがギリシャ時代の科学、天文学、数学の評価に、またガリレオやニュートンの科学の評価に現れているのである。実に流暢なケスラーの見事な文章を訳さずに引用しよう。

     Compared to the modern physicist's picture of the world, the Ptolemaic universe of epicycles and crystal spheres was a model of sanity. The chair on which I sit seems a hard fact, but I know that I sit on a nearly perfect vacuum.・・
     彼はさらに「椅子は繊維質からなり、その繊維は分子から、分子は原子から、原子は小さな太陽系のように中心に核があり電子が惑星としてその回りにある。とてもうまくできているように見えるが問題はそのサイズなのだ。核は原子の約5万分の一の直径であり、原子の内部は殆ど何も無い。」と言っている。これが、彼が「殆ど完璧な真空である椅子に座っている」と言う主張の内容なのである。
     「The Sleepwalkers」のインターネット上のある書評は「この本はエピローグを最初に読むべきである」と言っている。それは上に引用したところを読めばなぜケスラーのこの本を書いた意図が分かるという意味である。筆者はこの本を最初に読んだとき素晴らしい科学史であることに感心させられたが、何か違和感を感じていた。そしてエピローグのこの個所にきて始めて違和感の理由が理解できたのである。ケスラーは現代物理学に大いに不満だったのである。そして「なぜ物理学という崇高な事業がこのようなおかしな状態になったかを探るために科学史を研究し、現代物理学の間違いの源流を"ガリレオ"と"ニュートン"に見出したのである。つまり彼等は「現象を救う」という下らない現代科学の始祖だったのである。これがこの「The Sleepwalkers」で彼が訴えようとしているところである。つまり彼はホルトンの言うように現代物理学を理解したいが出来なくて助けを求めているのではなく、積極的に現代物理学の間違いを暴こうとしているのである。
     エドウィン A. バートの「物理科学の形而上学的基礎」は1927年に出版された。従って、彼は殆ど量子論、相対性理論を理解する機会があったとは思えない。彼はガリレオ、ニュートンによる"新しい"宇宙像を批判している。「ニュートンによりこの宇宙は(人間の想像力を拒む)機械的なものになり、人間の無限の夢をどこまでも受け入れてくれるダンテ(の神曲)やミルトン(の失楽園)の壮大な宇宙はかき消されてしまった。」24)とバートは嘆き、ガリレオ、ニュートン以来科学はどこかおかしくなってきていると考えるのである。
     ダンテやミルトンの時代は詩人も科学者と同じ世界観(世界像)、同じ自然観をもっていて、彼等の創り出す詩や物語りの中で最も高度な科学を織り込むことができた。ところがニュートン以降は、特に相対性理論、量子科学が現れてからは、殆どの文学者や詩人は科学は彼等を近づけることさえ困難にしてしまったのである。それは現代科学が余りに専門化したとか、難しい数学を駆使するようになったというより、そこで扱われる話題が(成果を利用するという実利上でなく概念上で)あまりに我々の日常生活の感覚と離れていて心理的に近づき難いという意味である。
     先に引用したバークリーの著作集の編者であるデヴィッド・M・アームストロングはこの本のIntroduction25)の4節でバークリーの科学観を解説するだけでなく、彼の立場からの電子や陽子のような"観測できないObjects"を語る現代物理学を批判している。この本は1965年に出版された。アームストロングはシドニー大学の哲学の教授である。
     これらの著書は、それまで量子力学、相対性理論の新たな展開と、その実用上の成果を目にしながら、その展開に関与できないばかりか、理解することさえできなかった人文学者、社会科学者達を勇気づけた。さらに、1970年代からはトーマス・クーンの「科学革命の構造」のパラダイム理論12)やパウル・ファイヤアーベントの(反科学的)相対主義哲学14)は現在の欧米や日本の相対主義のポストモダン思想の科学批判、科学否定を生み出したと考えて良いであろう。

  5. 反科学と科学教育

     ホルトン教授(物理学、科学史)は「Einstein, History, and Other Passions」5)の序文で米国の一流大学の幾つかでは全カリキュラム中で学生に求められる科学と数学の負担は0から6パーセントの間である。将来の指導者達の科学的無知という空白に科学、科学者、そして科学者の社会における役割についてのとんでもない考えが急激に入り込んできている。
     と警告を発している。彼は1970年代以降のアメリカの人文学、社会科学における反理性、反科学的傾向の流行を憂い、それが学生に、ひいては社会全体に与える影響の重大さに気付き、それに対応するには科学がわれわれの(人類の)文化における役割りを論じている。(さらにそれを具体的に説明する例として現代文明に深淵な影響を与えたアインシュタインの思想と、実際の生活を含めて彼の創造的な研究姿勢を紹介している。)
     アメリカにおけるこの反理性・反科学的傾向は構造主義、構造破壊(deconstruction)、ポストモダニズム、ニューレフトなどと自称している哲学者、人文科学者、社会科学者、言語学者、心理学者、女性学研究者、文化人類学者の間に広がっている。特に"科学・技術と社会"(Science, Technology and Societyまたは Science and Technology Studies 略して STS)の研究に携わっている学者はこの傾向が強い。また彼らの研究は"Cultural Studies"とも呼ばれている。彼らは「科学の真理も相対的なもので、絶対的ではない。人間の認識に左右されない(無関係な)世界などというものは存在しない。科学は一つのbeliefsのシステムにすぎない。」と主張している。さらにファイヤアーベントのように「国と宗教とが分離されているように、科学も"A System of Beliefs"であるから国家と分離されなければならない。(つまり科学は公教育から外されるべきである。)」という主張する者さえ出てきているのである。14)実際、研究に従事している科学者(practicing scientists)には想像もできない"たわごと"であるが、米国では科学技術の国家的予算の削減に利用されるなど、このたわごとが国家の科学・技術政策や教育政策に影響を与えたり、大学のキャンパス内で教育に摩擦を生じるようになるならば、科学者も関心を持たざるを得ない。これはホルトンが上記の本を書いた動機の一つである。
     日本においてもこのような傾向の社会学者、科学史学者、哲学者が中央教育審議会や科学技術審議会等のメンバーとなって日本の科学教育政策や科学技術に関する基本政策の立案に関わっているとするとどんなことになるであろうか。30年以上にわたって、大学における文系学生の科学教育に真剣に取り組んできたホルトンは、現在のアメリカではそのような事態が起きていることを警告している。そして文系の学生の科学教育を見直すことを訴えているのである。
     筆者は如何に真剣に努力しようとも、「二つの文化」の問題は教育によっても完全に解消できるとは思っていない。それはギリシャ時代から現在に至るまで続いている人間の文化そのものの抱える問題だと理解しているからである。ただ、教育によってその弊害をいくらかでも減少できると期待するだけである。

  6. 理科は理科である。生活ではない

     筆者は今年の春まである短期大学保育科で「生活」という科目を担当していた。この科目を引き受けたとき、短期大学で使われている教科書を取り寄せ調べてみた。その殆どはアメリカの教科書の翻訳物だった。いわば幼稚園教師(保母さん)のためのHow-toものといえる本だった。短大に進むまでは(そして入学した後も)科学に全く関心のなかった学生達にはそれでも難しい内容なのかもしれない。これらの教科書は科学を人間の立場から、子どもの立場からのみ捉えているように見えるのである。身近な身の回りのことから関心を持たせて、子どもが自然を理解し、自然に親しむようにさせようというだけではなさそうなのである。このような"生活"という考えが米国で始まったのは相対主義が心理学者、哲学者、人文学者の間に広がってきた80年代の始めごろである。彼等は「科学そのものも単なる"社会的構築(social construct)"であり、"言語学的構築(linguistic construct)"に過ぎない」というのである。従って、自然を理解するということが単に社会的な出来事として生活を捉えようとする傾向が生まれてきたのではなかろうか。短大保育科の生活の教科書を数冊見ただけであるが、筆者にはなぜ理科ではなく生活なのか理解できなかった。ただそこには人間の側から自然を見るという観点が強くあらわれていた。
     これらの経験から、"生活"はあるがままの自然を学ぶのではなく、理科教育学者武村氏や文部省教科調査官角屋氏の主張するように児童が自分の考えで科学を構築する教育として生活になったのだと筆者は誤解(正しく理解?)している。例え誤解であったとしても、子供達が、自然についての知識は人間が勝手に構築したものではなく、あるがままの自然を知り、その前に謙虚にそして自然に包まれて生活する大人になるためにも「理科は生活でなく理科でなければならない」と筆者は考えている。

  7. なぜ科学教育は必要か

     我々科学者の間では子供たちの理科離れ(科学離れ)が問題になっている。その責任の一端は我々大学教授にもあることを自覚しなければならない。我々は大学に入学してくる学生の学力や志願者の数だけにしか関心を持っていなかったのではなかろうか。小学校、中学校の指導要領についてどれだけの関心を持っていただろうか。また自分の所属する学科、学部の学生の教育には全力を注いでいても、他の学科、学部の学生の教育にどれだけ考えたことがあるだろうか。文系の学科で学び、理系の科目は一般教育でお茶をにごし、科学と科学者に偏見を持って卒業し、小学校で教師となっている人が、子供達に自然界の事物と現象に興味を抱かせるような教育をすることができるだろうか。このような反省にたって、筆者は以下に述べるような物理学教育を一般教育の一つの形態として考えている。
     文系の学生の物理学は物理学そのものでなければならない。総合科目は、総合すべき広い分野の知識と考え方を学んだ後に、すなわち高学年になってから学ぶのが良いと私は考えている。ホルトン教授は「一般教育であっても物理学の科目は"・・of physics"とか "・・about physics"というタイトルのついた科目では、学生は物理学そのものを実感することは難しい。A course in physics が望ましい」とリオ・デ・ジャネイロでの国際物理教育学会の講演で言っている。私は物理学を理解しないで物理学史で文系学生の科学教育を置き換えるべきではないと思っている。内容を理解できないで科学史上の出来事を評価できないからである。評価抜きの記憶するだけの科学史なら人間が記憶装置になるだけで、学ぶという意味はなくなる。記憶だけなら本自体に任せておけば良い。しかし、科学史は物理学の内容の理解に役立つことがしばしばある。筆者は、そのような場合には科学史の資料をふんだんに利用してきた。物理学の学習は、物理学の"お話し"ではなく、学生が科学を実践している科学者のように、実験し、データを整理し、そして思考することにより学生は科学とは何かを身体で実感できるからである。
     我々は、学生の専門分野以外の科目では、できるだけ学生の負担を軽減しようとする。しかし、そのような配慮は、学生に科学は君たちには必要ない知識だと理系の教官が告白しているに等しい。科学が文系の学生にとっても必要な科目だとの信念を持っているなら、彼等に努力して学ぶことを求めるべきである。筆者は1962年の年頭に、ハーバート大学にホルトン教授を訪ねたとき、彼は彼の講義の内容はブックストアで彼のコースの教科書、参考書を手にとって見ればすぐに理解できると私に言った。私は後でブックストアにいって驚いた。何と10種類以上の本が置いてあったからである。ページ数にすると3千以上はあったのではなかろうか。主たる物理学の教科書は彼の「Introduction to Concepts and Theories in Physical Science」で、他は科学史や科学哲学の本であった。授業の内容は物理学であるが、学生は毎週膨大な科学史、科学哲学のリーディングアサイメントを課せられ、さらにそれについてのレポートを提出しなければならなかった。米国の大学では、毎週千ページ以上本を読まされる講義はそれほど珍しいことではない。我々は、学ばずに自分の意見を形成するのではなく、自然現象や他人の意見について学んだ後に、それらについて自分の意見を形成することが大切であるとされているからである。
     このことは小学校・中学校の教育においても大切なことと筆者は考えている。子供の自主性とか創造性という面が強調されすぎて、子供達がどんな準備をし、学んだ上で自分の考えを形成しようとしているかが殆ど触れられていないからである。特にこのレベルの科学の学習では子供達がどんな期待をし、希望をもっていようとも、それとは無関係にただ一つの結果しか子供達は得ることができない。武村氏、角屋氏の唱える"動的な世界像"という概念は彼等がどのような意味を持たせているか引用した彼等の論文だけでは不明であるが、科学を社会科学すると自負している流行のポストモダニスト達は"動的"とは不変でない、つまり"変化する"ことを意味し、そのような世界像を子供達が"構築する"ということは科学の知識は不変ではなく、時代と共に、また見る人によって変わる"社会的構造(social construct)"である。彼等は一貫してこのような"トレンディ"な用語と論法を使っているので、筆者は彼等はポストモダニストと同じように、「人間の意識に無関係な実在世界は存在せず、従って、科学の真理などというものは存在しない」と信じていることになる。またポストモダニスト達はこの世界を「科学で代表される客観的真実を求める思想から開放しなければならない(それが彼等のいう"Science Wars")」という考えていることも注意すべきである。
     必要な基礎的知識の確実な習得は理科教育、数学教育にとって不可欠なことである。現実から離れ(実証を無視し)、非論理的傾向になれば、創造性はヒューマニティに何ももたらさず、反って有害なアナーキズムに至ることがあるとある哲学者が警告したことがある。創造力の主張は自己主張となり、客観的判断の基準を失うからである。小学校・中学校の理科教育で、主観的ではなく客観的な真実、真理があることを学ぶ大切な機会である。科学的真理は相対的であるという主張で指導要領を作ることは科学そのものの否定である。
     現在、インターネット上には優れた一般教育の教材が揃っている。もちろん登録しなければアクセスできないものが殆どであるが、中には直ぐに内容が表示されるものもある。例えば、バージニア大学のファウラー教授のPhysics109N、「Galileo and Einstein」26)という講義である。昔と違って今はインターネットでリンクされていればいろいろな資料にアクセスできる時代になっている。ネット上の講義を読みながら、フィレンツェのガリレオ歴史博物館のホームページを覗くこともできるのである。このコースで学生は、古代ギリシャの学者と一緒に、与えられた限られた情報をもとに、地球の大きさを推定することを学び、ニュートンと共に落体の運動の考察から月は地球に向かって落ち続けることにより地球の回りを運動していることを推察する。学習者はこれらの講義を通して、科学の理論は人間がつくりだしたものというよりは、自然界にある法則性を人間が発見したものであることを実感できるのではなかろうか。
     科学史上の重要な進歩は、クーンのパラダイム論の過激に解釈しているポストモダン主義者や相対主義者の主張するように社会的構築(social construct)ではなく、自然を理解しようとするプロセスの中で、科学者が自然から学んだ新しい考え方によりもたらされたのである。
     ファウラーのこの講義でも、また彼の高校教員を主として対象とした「現代物理学」27)の講義でも、彼は創造性という言葉は決して使っていない。その理由は、科学は創造したものではないからだろう。また、事実の注意深い観察と、先人が蓄積してきた知識を理解しなければならないからである。アインシュタインは科学の発見における直感の働きが大きな役割を果たしていることを強調しているが、彼は"良く訓練された直感"と直感に修飾語をつけている。我々はそのような"訓練された直感"を備えることができるような教育を提供しなければならない。しかし、同時に我々は次の事実も忘れてはならない。クーンが科学革命、すなわちパラダイムが完全に入れ替わるような出来事は、人類の歴史上でも数えるほど少ない。しかもそのような革命はほんの少数の天才的な人物によって実現されているのである。科学革命は我々のまわりで、日常茶飯事として起きているものではない。従って、自分の"他の人が受け入れ難い"考えを"新しいパラダイム"とか"革命的な"などという修飾語つけて教育の場に潜り込ませてくることを我々は警戒しなければならない。もしも、新しい理科の指導要領がこのような"いかがわしい観念"に基づいているとしたら、根本的にそれは訂正されなければならない。日本の教育の破壊に繋がるからである。

    文献

    1. Snow, C. P. ; The Two Cultures. Cambridge University Press(1959)
    2. Williams, B. (editor); Science in Social Context. Basil Blackwell Publisher (1983)
    3. Eijkelhof et al; Physics in Society. VU BOEKHANDEL/UITGEVERIJ (1981)
    4. Gross, Paul G., Levitt, Norman; Higher Superstition:The Academic Left and Its Quarrels With Science. 1994, Johns Hopkins University Press(1994)
    5. Holton, Gerald; Einstein, History, and Other Passions. Addison Wesley (1997)
    6. Sokal, Alan; Transgressing the boundaries: Toward a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity. Social Text(1996,Spring/Summer)
    7. http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/index.html
      http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Sokal/
      ソーカル自身のホームページにも優れたリンク集である
      http://www.physics.nyu.edu/faculty/sokal/index.html
    8. Sokal, Alan and Bricmont, Jean; Fashionable Nonsense ―Postmodern Intellectuals' Abuse of Science ―. Picador (1998)
    9. アラン・ソーカル、ジャン・ブリックモン共著、田崎晴明、大野克嗣、堀茂樹 共訳;知の欺瞞.岩波書店(2000)
    10. 武村重和;新しい理科教育のパラダイムによる改革.楽しい理科授業、(1997)No.7、pp52−55
    11. 角屋重樹;子供が科学を動的な世界像として構築する理科教育の創造.楽しい理科授業、(1997)No.7、pp56−57
    12. Kuhn, Thomas; The Structure of Scientific Revolution. The M. I. T. Press (1972)
    13. Weinberg, Steven;The Revolution That Didn't Happen.
      http://www.nybooks.com/nyrev/WWWarchdisplay.cgi?19981008048F
      (このページとこのアドレスに@p2、・・@p10を付加した10ページで一つの論文となっている)
    14. Schlick Jr., Theodore;The End of Science?. http://www.csicop. org/si/9703/end.html
    15. Popper, Karl R. ; Conjectures and Refutations. Orion Press (1972)
      カール・R・ポパー著、藤本隆/石垣寿郎/森博訳;推測と反論.法政大学出版局 (1980)
    16. B. Farrington; Greek Science, Penguin Books, London (1955)
    17. Guthrie, W. K. C. The Greek Philosophers. Methuen & Company Ltd.(1950);Harper & Row, Publishers (1960)
    18. Frank, Philipp;Modern Science and Its Philosophy, Chapter 12 . Harvard University Press (1950)
    19. Berkeley, George;De Motu in Berkeley's Philosophical Writings edited by David M. Armstrong. Collier-MacMillan Ltd. (1965)
    20. Berkeley, George;The Analyst : a Discourse addressed to an Infidel Mathematician. Queries http://www.maths.tcd.ie/pub/HistMath/People/berkeley/Analyst.html
    21. Arther Koestler The Sleepwalkers. Penguin Books (1964)
    22. Holton, Gerald; Why Teach Physics? Edited by Brown and others Based on Discussion at the International Conference on Physics in General Education. The M. I. T. Press (1964)
    23. Fehl, Noah E. ;Science and Culture. Chung Chi Publications, Chung Chi College, The Chinese University of Hong Kong (1965)
    24. Burtt, Edwin;The Metaphysical Foundations of Physical Science. Harcourt, Brace & Co.(1927);Humanities Press(1995)
    25. Armstrong, David M. ; Introduction to Ref.12) Berkeley's Philosophical Writings
    26. Fowler, Michel; Galileo and Einstein
      http://www.phys.virginia.edu/classes/109N/home.html
    27. Fowler, Michel; Modern Physics
      http://www.phys.virginia.edu/classes/252/home.html

    「応用物理教育 Vol.24 No.2 から転載」