北海道札幌稲北高等学校    早 苗  雅 史

1 はじめに

  CAI(Computer Assisted Instruction)という言葉がもてはやされてすでに久しい。区分求積法による面積の算出、三角関数における点のプロットにおける作図等の教材が出初め、その後、PC−SCAI、FCAI等のオーサリングシステム、情報処理室へのコンピューターの配置、市販ソフトの向上、そして「読み、書き、パソコン」と呼ばれる情報リテラシーの考え方、更にWINDOWSの出現。多くの面で時代も大きく変わってきている。

 しかし、現場の中を見回したとき本当に授業の中にそれらが生き残っているのかどうか、新学習指導要領に盛られた情報教育等の精神が実際に生かされているかどうか、普通科へ導入されたコンピューターも2回り目を迎え、どれだけ活用されているのか、多くの問いに疑問符を投げかけなくてはならないのが現状ではないだろうか。

 では、何故こういった現状になっているのだろうか。授業形態に問題があるのか。または、ハード面や環境面に問題があるのか。それとも、もともと必要なものではないのか。どういった問題があるにせよ、コンピューターが「必要不可欠な道具として機能している」ということが、学習者にとって十分見えるような状況が設定できなければ意味が無いのである。

 初期の段階としては、どういった形にせよ「コンピューターを用いた学習」というものが、新鮮味という効果も相まってある程度の教育効果というものも期待できたであろう。また、教える教師側にとっても「新しい教育方法」を用いたという成就感から満足度の高いものとなっていた。

 しかし、それを継続して行うことの困難さ、そしてそれだけの労力にみあうだけの教育効果が得られるかどうかの疑問。私自信もそうであるが、実際にCAIという範疇で、どれだけの教育効果があげられるか大きな疑問にかられることもあるし、今までの研究発表等においても、わざわざコンピューターを用いなくても十分教えられるのに、と思われる場面に遭遇することも多い。

 では、いきずまりを見せているこの状況を打開するのは不可能なことなのであろうか。情報教育というものが一部の教師だけの自己満足だけで行われていくべきものなのかどうか。非常に多くの困難さを伴っていることだけは、確かであろう。ただ、これからの情報化社会において決して後退させてはならない分野であると私は考える。

2 コンピューター教育が現在かかえている問題点

 そこで、現在の数学教育におけるCAI教育の停滞の理由はどこにあるのかをまず考えてみたい。コンピューターによる教材を入手する方法としては、市販されているコンピューター教材(例えばMOVIL等)を入手する場合と、教師個人または学校とか研究団体等の組織が自己開発する場合(PCSCAIなどのオーサリングシステムや関数ラボ等の市販ソフトによる作成、または個人のプログラムによる場合など)の大きく2つが考えられる。そのどちらの場合においても、数学の教材として用いる場合の制約が出てくる。それについて考えてみたい。

@必要性の意識が乏しい

 最も大きな理由として考えられるのが、この点である。この第1点目も大きく2つに分けることが出来る。

 1つはコンピューターという媒介を必要としなくても古典的な教授法で十分賄えるという点である。従来の学習指導の方法で十分授業が成り立っているため、さし迫った必要感に欠けるわけである。「黒板とチョーク」だけあれば事足りるわけである。パソコンを使った教材に魅力が無いものも多いのも現実である。板書だけではなかなか教えるのが困難な教材、生徒の理解力をぐっと伸ばすことが出来るような教材、そういった教材をなかなか作成できないという点もある。

 もう1つの側面は、自分の教育理念からコンピューターを敬遠する場合である。コンピューターを「血の通わない教育」の道具と考え、自らコンピューターを遠ざけてしまう場合である。今の情報化社会においては、生徒は多くの場面でマルチメディアに触れる機会が多く、そうした興味・関心を実際にはそいでしまう状況をうみだしているといえる。

Aどういった形態で用いるのかというビジョンの欠如

 次に大きいと思われるのはこの点である。後でまた述べるが、コンピューターを用いた数学教育といってもタイプが様々である。コンピューターが教師の役割を果たすドリルタイプのものやチュートリアルタイプのもの、生徒が実際にコンピューターで思考過程を構築していくようなシミュレーションタイプのもの、教師が主体となって提示していくプレゼンテーションタイプのものなど様々である。よく学校にコンピューターが25台設置されたのでどうやって活用したら良いのか、という声をよく聞く。コンピューターがあるからそれを使うのではなく、必要があるからコンピューターを用いるのでなくては教育効果など期待できるものではない。実際にプレゼンテーションタイプの教材を活用する場合、デスクトップ型のパソコンなど必要ないし、逆にある方が邪魔である。25台のパソコンより大型のプロジェクターが1台あったほうがよっぽどましといえよう。

 普通科へのパソコン配置も2回り目を迎えているにも関わらず、どれだけ活用されているのだろうか。どういった活用をするかを考えないで、情報化社会だからとにかく設置せよ、という行政のあり方にも大きな問題があるのではないだろうか。多くの学校で活用されずに終わっている「高価な箱」は全くの税金の無駄使いといえる。また、活用法を行政任せにしている現場にも当然責任はある。

Bパソコンが「パーソナル」な道具となり得ない現実

 興味を覚え自ら手がけてみようと考えた場合にも難点は出てくる。第1点目は、手軽に教材を作成できない、という点である。たとえオーサリングシステムやフレームタイプのCAIを用いるにせよ、1つの教材を作成するのは大きな時間と労力を要する。ましてや、自分でプログラムするとなるとその比ではないし、その専門性もあって普及するはずもない。また、日々進歩するソフト面に立ち遅れないためにもすぐ対応していかなくてはならない。実際、Windouwsの時代になったことにより、世界も一新し、昔の知識にしがみついていてはすぐに時代遅れになってしまう。そうした労力を日常の校務のあいまに行わなくてはならないのであるから、当然時間的にも精神的にもゆとりが無くなるわけである。よっぽど教材に教育効果が見込めなければ、その労力にみあうだけのものは得られないであろう。

 第2点目は、パソコンを用いた授業を手軽に展開できないという点である。現実として、かなりの労力をさいて作成した教材を授業に展開しようとした場合、幾つかの難点がある。1つは「教室移動」という点である。授業にドリルタイプの教材を用いようとした場合、当然教室にはパソコンが無いわけであるから、情報処理室に生徒を移動させなければならない。その時間が年間百何十時間のうちの1、2時間であればそれほど苦にはならないかも知れない。しかし、そういった使い方では単なる生徒への刺激の1部にしか成らない。そうかといって、頻繁に教室移動をするのはなかなか面倒なものであろう。これが、プレゼンテーションタイプの教材となるとまた別の難点が生まれてくる。授業の展開上非常に有効な提示用の教材を作成したとしよう。しかし、授業の流れの中ではごく10分程度のものとなることが多いわけであるから、そのために生徒を情報処理室に生徒を移動させるのは非効率的である。かといって、教室に大型のプロジェクターが設置されているわけでないので、実際には大型のモニターを教室に持っていくしか方法はない。

 つまり、例え良い教材が出来たとしても、現実にはそれを授業に手軽に生かせる状況にはないわけである。

3 ソフト面から見た場合の制約

 次に、ソフト面から見た場合の問題点を考えてみたい。一般的に見た場合、教育用のソフトは家庭用を中心としてかなり普及し出している。高校数学としてみた場合はそれほどではないが、適用出来るものも少なからずある。そうした教材を有効に授業に活用できればそれに越したことはないが、そこにも幾つかの制約があるといえる。

@財政面での援助が伴わない

 現在、各学校に導入されているのは25台のコンピューターとその台数分のOSとワープロソフトというのが基本であろうか。実際に授業で用いる場合のソフトは、各学校の教科の予算で賄われている。実際にチュートリアルタイプのソフトを授業の中で用いようとしてもどこからその予算が捻出されるわけであろうか。1本のソフトだけ購入しても著作権の問題が絡んできて、それをコピーすることなどできない。時代が変わり、せっかく購入したソフトもすぐ時代遅れになることもよくある。しかし、ソフト自身が高価なためそう簡単に入れ替えることなどできない。コンピューターも「ソフトがなければただの箱」なのである。

     現在市販されている主な高校数学用のソフト   (価格は単体でのもの)

ソ フ ト 名

出 版 社

価格

F−TOOL 

東京書籍ソフトウェアー

24,000

確率シュミレーション

TDK株式会社CAI営業部

30,000

関数ラボ

日本IBM株式会社

19,000

グラフツール

TDK株式会社CAI営業部

30,000

GeoBlock

日本IBM株式会社

19,000

DERIVE2

SEG出版

22,000

DO MATHEMATICS vol1

学校図書株式会社教育産業部

9,800

パソコンでみる関数グラフイックスのすべて

森北出版株式会社企画部

8,240

Mathematica(High School板)

住商エレクトロニクス(株)

40,000

Movil(ムービル)

河合塾 教務本部

9,800

(厳選・教師ための学校教育用ソフトウエア(高校・数学編)SOFT BANK より)


Aどのようなソフトを選択したら良いか・・・ソフトの評価・選択の問題

 次に実際に教育用のソフトを使って授業を行ってみようとしたとき、ではどれを用いたら良いか非常にわかりずらいという点がある。教師間の情報交換やコンピューター関連の雑誌、研究会等の発表で情報を得るのがほとんどであろうが、教育用のソフトはビジネス用のソフトと違い、需要数が少ないという点もあり、ごく1部の情報しか得られないのが実情である。

 教師側にとっては、こうした市販ソフトの評価は欲しい情報の1部であることは間違いない。以前情報処理センターで全道の自作ソフトのライブラリー化を試みたことがあるが、単に集約するだけではなく、そのソフトによっていかに内容を理解できるか、学習内容や方法としてどの点が優れているか、等をきちんと評価して普及させなくては意味がないといえる。現実的にはその学校や生徒の実態において、扱う学習内容も変わってくるわけであるから試してみないことには分からない。そこでソフトウエアーのライブラリー化、パソコン通信、インターネットによる普及や教育研究会の充実等が考えられるわけである。

B高校数学にあったソフト出現の期待

 小学校の算数程度の問題であれば、ドリル形式にして個人の理解度に合わせて反復して演習させることは効果があるであろう。しかし、高校数学においては、同じように反復した演習部分が大半を占めるような式と計算の単元においてさえも、解答方法が文字式であったりするためそのままでは適さないことが多い。ましてや、途中の思考過程を記述しなければならないような問題についてはなおさらである。

 また、シミュレーションタイプのソフトで高校数学に関連するものはあまり出回っていないのが実情ではないかと思われる。実際に研究会等においてもチュートリアルタイプやプレゼンテーションタイプのものがほとんどで、生徒が自らコンピューターを用いて問題を解決していくタイプのものは、教科の特性もありあまり見当たらない。

 現場の生のアイディアが生かされるように、直接教師がソフトの作成段階から携われるような体制ずくりと、学校や生徒の実情に合うように手直しが効くようなソフトの出現が待たれる。

4 教育用コンピューター教材の種類と特徴

 これまで見てきたように、現在の数学教育におけるコンピューターを用いた教育には様々な問題点が存在している。その問題点の解決へ向けてどうすれば良いかを考える前に、まずコンピューターによる教育用ソフトの効果を考えてみたい。

 先程述べた課題を解決するためには、社会の変化に伴う情報教育を実践していこうという理念、方向性を考えることが第1であり、次にそれに基ずいた指導方法、授業形態というものが大事になってくる。そして、その活用法についても様々な形態があり、それぞれに利点と課題があるといえる。また、その活用法についての分類も様々である。しかし多くの場合、活用法の特徴を最適化して述べられていることが多く、数学教育という一教科について論じているものはあまりない。また、数学教育と言っても、小学校や中学校での活用法とは、学習内容の発展度により当然違いも出てくる。そこで、高校数学における活用法として次の3点を抽出して考えてみた。

@1人に1台のコンピューター・・・コンピューターが教師の代替

 いわゆるドリル型やチュートリアル型と呼ばれるものである。この2つを別々に論じているものも多いが、ドリル型の方がより単純な提示方法と解答方法が用いられ、チュートリアル型の方は個人の学習段階により密着して効率良く学習するタイプだといえる。チュートリアルとは個人指導の意味であるが、家庭教師のように個人的に学習者に教えることを目指すタイプである。

 どちらにせよ、コンピューターの機能を教師の代替として考えるもので、最も古くから用いられ、教育用ソフトとしても多く出回っている。生徒が塾に通ってもなかなか成果が出ないので、家庭教師をつけたいと考える。それは一斉授業よりも自分のぺースで進められるからである。また、学校の授業においては、その授業が退屈であったり、とても早くてついていけなかったりといった生徒個人の能力により差が出てしまったりする。そういった難点を解消しようというタイプである。

 このタイプの利点としては次の点があげられる。

(ア)問題をデータベース化することにより、生徒個人の能力に応じた問題作成をすることが出来る

(イ)個人の理解度に応じて、学習することが出来る

(ウ)学習履歴を残すことにより、個人のもつ弱点を見つけることが出来、教師のきめこまやかな指導が出来る

 コンピューター導入の本来の目的である「一人一人の進度に合わせた個別指導システム」を実現するための基本的な活用法だといえる。また、教師にとっても生徒個人の理解度を個別に把握することにより、より細かな指導が出来るわけである。

 しかし、これはあくまで理想であって、現状においてはそこまでは到底及ばない。その最大の原因は、その理想を満足させるようなソフトが存在しない点である。もう少し細かく分析すると、

(ア)システムの応答機能が弱いため、思うような誤答分析が出来ない

 出した答えに、単に正解か不正解かを生徒に知らせるだけでは不十分で、生徒の解答や反応から生徒の理解状態や不正解の場合の原因を探り出し、適切な指導が出来なくてはならない。そうした生徒とシステムとの双方向の情報のやりとりを可能にさせなくては意味が無い。

(イ)記述的な要素を取り入れた解答の困難さ

 特に高校での数学においては記述的な部分が多くなるため、そうした問題への対応が難しくなる。単なるマークシート的な解答方法は、生徒の持つ様々な「解答へのアプローチ」を制限してしまうことになる。ましてや、オープンエンドな問題については更に困難であろう。

(ゥ)生徒の実態に合わせたように加工・修正が困難

 市販ソフトはそれで完成されたものであるため、問題なり解答方法を自分の教え方に合わせたように加工・修正したりすることが難しい。人の作ったプリントでも自分なりに加工しようと考えるのと同様である。

 このように様々な難点が存在しているが、将来こうした課題が解消されたソフトが出てきて欲しいと考える。つまり、教師用の「オーダーシステム」のように問題をライブラリー化した上で、それをチュートリアルタイプに直し、教師がその中からピックアップできるようなシステムが望まれるわけである。ただし、前述したように「教師の機能の代用」という考え方が、はたして教育的にどうなのかということをいつも問いただしていかなくてはならない。

A1人に1台のコンピューター・・・コンピューターを道具として自ら学習

 いわゆる、シミュレーション型の教材である。コンピューターが教師の代用をするのではなく、コンピューターを使って生徒が自ら学習するタイプである。理科や社会等の教科では良くみかけるが数学においては科目の特性上あまりみかけない。しかし、後で述べる提示用教材の効果をより高める点や、問題解決の1手段としてより大事な活用法と成っていくと考えられる。コンピューターにより提示された画像に興味を覚えると、今度は自らも触れて操作してみたくなるのは自然である。特に、関数や図形といった単元において、生徒が自らパラメーターや各種情報を操作することによりイメージを広げたり図形的感覚を身につけ、数学的な考え方を高めていくことが可能である。また、数学Cに導入された様々な曲線、媒介変数表示と極座標、方程式の近似解などは生徒自らがコンピューターを操作することにより学習することを想定しているものと思われる。

 このタイプの利点としては、
(ア)生徒が主体となる学習ができる

 例えば2次関数の各係数の値とグラフの関係や頂点の軌跡といったものを生徒自らに操作させる。最初に b=c=0 として始め、次第に係数を順次複雑化させる。そのときの様子をオープンエンドに考察させる。その際生徒は教師の指導を離れ、自らが主体となって学習することが出来る。生徒が様々な解答を出し合い、それを材料に説明していく。この場合、コンピューターは生徒にとっては完全な「道具」としての役目を果たすわけである。

(イ)興味関心を引き起こす1つの手段となる

 生徒が主体となることにより、受動的な学習から能動的な学習へと変化し、その中で得る発見は興味や学習意欲への換気へとつながっていく。更に、自ら次の課題へと進む1つのステップとなり得る。

 次に問題点としては、

(ア)操作を教えるのに時間がかかる

 生徒にシュミレートさせるためには、そのソフトの操作の仕方を教えなくてはならない。小中学校からコンピューターを取りいれた教育を受けているといっても全ての生徒がそうであるわけではなく、キーボードに触れたことのない生徒も多い。そうした生徒達全員に操作を教えて、そこに時間ばかりが取られれば、本来の目的は達せられないといえる。とにかく操作性は出来るだけ単純なものでなくてはならない。

(イ)遊び感覚に陥りやすく、真の論理的思考力を育てることが可能か

 学習者の姿勢と教材の可否に大きく左右されやすいといえる。例えば関数の学習で、単にアニメ的に曲線が変化することにのみ興味を覚え、なぜそうなるかという数学的な見方や考え方まで本当に結び付いているのか、そうした評価が大切になっていくと考えられる。

Bコンピューターは教師用に1台・・・生徒の反応を見ながら教材を提示

 いわゆるプレゼンテーション型と呼ばれるものである。従来のOHP教材や視聴覚教材と機能は同じであるといえる。チュートリアル型と同様、以前から多く用いられている。利点としては、

(ア)一斉授業に適応し易い

 いわゆるメディアの1つとして、教師の説明補助として活用できるため現実的である。更に、視聴覚教材よりも生徒の反応を見ながら活用でき、生徒の要求に応じて表示画面を変化させることが出来る。

(イ)あくまで教師が主体である点で、他のタイプよりアレルギーが少ない

 チュートリアルタイプと違い、コンピューターはあくまで補助であって教師の代役ではないという点で、教師側にも受け入れられ易い

(ウ)生徒の実態にあった教材を選べ、自らの教材研究にもなる

 教材作成という面では、自分のアイディア次第でわりと手軽に取り組める。また、自分でプログラムしたり、それを他の人からコピーすることも可能である。そして、なにより生徒がどの点でつまずきそれをどのように解消すべきか、教師自らが教えるときにどの点で苦労するか、そうしたことを考えることにより「教材研究」という教師本来の役割を果たすことが出来るのである。

 次に、こういった提示用の教材を作成する指針としては、まず教材の内容が重要といえる。時代が変わるにつれソフトもハードも変化するわけであるから、より操作性の高いもの、画面構成なり環境面でより分かりやすいものが出てくるのは当然である。しかし、扱う教材が同じであれば本質は変わらないわけであるから、生徒に理解し易い、また教師自らが教授しやすい内容を研究することが大事である。即ち、どういったものを作るかという「アイディア」が第1であるといえる。昔からの教授内容を、よりコンピューターを用いて分かりやすくしたものでも良いといえる。次に、画面構成はより簡潔に、より鮮明にすべきである。次の問題点の中でも述べるが、現在の市販のソフトはプレゼンテーション型のみを意識して作成されたものは少ないので、画面構成が細々し過ぎているという難点がある。生徒への提示は必要な部分だけを最小限にして、教師の操作性もより簡単にすべきだといえる。また、強調したい点をより鮮明に生徒に印象ずけることも大事である。

 そして問題点としては、次の点が上げられる。

(ア)コンピューターの基本機能が生かされていない

 一斉授業の延長の考え方であり、コンピューターの本来の機能である「個人に応じた教育」という理念に根本的に合わないといえる。生徒にとってはあくまで「受け手」としてしかとらえられず、学ぶ主体である生徒とコンピューターの関わりはほとんど無いわけである。自ら触れてみたい、操作してみたいという興味・関心には答えられないわけである。

(イ)現在の環境では大きな効果をあげられない

 こうした提示用の教材を実際に用いる場合は2つの方法が考えられる。1つは教室に1台の大型のモニターなりを持っていく場合と、情報処理室なりに生徒を移動して提示する場合である。

 前者の場合は、やはり画面事態がどうしても小さくて、教室の後ろのほうでは見えないわけである。後者の場合は、教室移動という繁雑さを伴うと同時に、自分の前にあるパソコンは逆に邪魔になってしまうのである。このように最も多く見られる発表例でも、なかなか手軽にとはいかないのである。

 このような代表的な3つの活用法について考えてみたが、それぞれに利点と難点が存在している。最終的にはそれぞれがその学習内容にあった形で、それぞれの問題点を補う形で有機的に活用していくことが大事であろう。原点は授業に「どう生かしていくか」という、授業の指導案の作成へとつながっていくものと思われる。

5 コンピューター教育の目指すもの

 現在のコンピューターを用いた教育の課題と授業への導入に伴う様々な制約を見てきたが、原点に戻ってコンピューター教育の目指すべき方向性を現場の立場から考えてみたい。そうすることで、今後の指針を見つけることができるのではないだろうか。

 '85年に臨教審の第1次答申で情報化への対応を打ち出してすでに10年が経過している。そして、'89年の学習指導要領の改訂に伴い、コンピューター教育、コンピューター利用が大きく取り上げられることになった。これは、社会の変化に伴う国際化(国際理解教育)、情報化(情報教育)、成熟化(生涯教育)の3つの柱のうちの1つとなっている。新学習指導要領における高等学校数学科の目標は次のようになっている。

 「数学における基本的な概念や原理、法則の理解を深め、事象を数学的に考察し処理する能力を高めるとともに数学的な見方や考え方の良さを認識し、それらを積極的に活用する態度を育てる」

 この目標の中に、特に強調されたことは「数学的な見方や考え方の良さを認識」し自ら「積極的に活用する態度を育てる」ことである。基礎・基本をもとに、自ら進んで学習する力を養う、その1方法としてコンピューターの教育があると考えられる。

 その際、注意しなければならないのは数学教育の目標達成のためのコンピューターによる学習であって、あくまで数学という教科指導が主体であるという点である。即ち、学習する生徒が主体であって、生徒が自ら進んで興味・関心をもち積極的に学習しようとする態度を育成することを基本としなくてはならないのである。コンピューターはあくまで学習者を支援する1つの道具と見なさるわけである。

 このようにコンピューターの持つ教育への関わりの本質は、この生徒自らが持つ「自己学習力」を支援することにあると考える。そうした能力を養うことにより、創造性豊かで個性にあふれた人間を育てていくことが出来るのではないだろうか。

 今までの画一化された一斉授業のもとに、与えられた知識による統一された解答へのアプローチを産み出すのではなく、様々な視点から数学的に解決する能力を身につけさせる必要性に迫られているのではないだろうか。たとえ、最後の解答が同じでも途中の思考過程は様々である。そうした能力を養うための1つの支援手段としてのコンピューターがあるべきである。

 赤堀侃司のコンピューターによる自己開発の支援についての図式を右に載せるが、それによると自己か学習力を支える内容として基礎基本と興味関心があげられている。そして、それらが互いに作用し合っていくものだと述べている。即ち、わかったりできたりするので面白い、面白いのでもっとわかりたいというように互いに作用し合っていくわけである。新しく取りいれられた新学力感に基ずく観点別評価においても、興味関心が大きく重視されるようになったこととも多分に関連するといえる。

 学習の基本は何よりも「分かる」をいうことである。コンピューターを数学的概念や法則、数理的現象の視覚的な理解や納得、探究や発見などの手助けに活用するわけである。そして、数学の理解を深めるだけでなく数学的な見方、考え方の良さを体験することによって、興味関心を引き起こしていくのである。これらの内的な動機づけをすることにより、学習意欲を高めることが出来る。

 そして、わからなくなったら基礎基本へとフィードバックすると同時に、様々な手段を用いて問題を解決するような能力を養わなくてはならない。WINDOWSの世界になったことにより、ハイパーテキスト的な情報や知識の構造も当たり前になってきた。また、問題のデータベース化によるより簡単な操作での問題演習も可能になっていくものと思われる。

 更に、従来からの演えき的・理論的な方法のみでなく、コンピューターを自己開発力の支援の道具として用いることにより、具体例から帰納的に結論へと導く、視覚的に題意を理解した上でいろんなことを試行し解答への糸口を探る、など問題解決への能力を養っていくことが大事である。

 こうしたことが土台となり、自己学習力を推進し個性化を目指す教育が達成されていかなくてはならない。


6 今後へ向けての課題

 私なりのコンピューター教育の理念を述べたが、現実とのギャップはあまりにも大きい。最初に現在抱えている問題点を述べたが、様々な問題が絡み合い今日の状況を生んでいるといえる。現場での実践報告例もコンピューターが導入されたときに比べると少し色あせた感もある。しかし、情報化の波は明らかに止められないのではないだろうか。1家に1台のパソコンがあるという時代もそう遠くない時代に到来すると思われる。教育現場だけが取り残されるわけには行かない。

 先程述べた問題点が、そのまますぐに取り組むべき課題となり得ないことは言うまでもない。急激な変化は期待しにくいからである。まず、現場で何を期待しているのかを考えていきたい。その多くは行政サイドへの要望とならざるを得ないのであるが、今回の発表のねらいはそこにあるといえる。いくつもの課題のうちから、現実に具体化されそうなものを3点あげてみる。

@市販ソフトの情報提供

 今年度から1校につき約80万円のソフト購入費用がつきそうである(ただし希望校のうちの何校かの限定になるらしい)。これまで見てきたように生徒1人に1台のコンピューターを用いて活用する場合は、市販ソフトが台数分必要になる。しかし、実際にどのようなソフトを購入したら良いかという情報が明らかに不足しているといえる現在、予算かと同時にそうした情報取得がますます大切になってくる。ぜひともそうした情報の提供をメーカーとタイアップすることで、展示会やデモンストレーションする機会を作っていただきたいと考える。メーカーによっては好意的でないところもあるようであるが、最低年に2回ぐらいの教科書選択ならぬ「ソフト選択」なるものが合っても良いのではないだろうか。そのソフトの内容や操作性のよしあし、更にその学校や生徒の実態にあうかどうかなどのソフトの評価は、現実にそれを使って指導する教師自らが持つべきものといえる。そうした意味でも最も現実的に取り組める内容でもあるといえる。

Aソフトウエアーのライブラリー化と普及体制の確立

 前に述べた3つの活用法のうちのプレゼンテーション型やシュミレート型のものは、扱う内容やどのように生かすかというアイディアが大切である。これが教師自らの「教材研究」となり、その積み重ねが財産となっていく。そうしたものはたとえハードやソフトが変わっても生き残っていくものである。市販のソフトでも「関数ラボ」のように、教材の開発支援的なものも多く、そうした教師の作成した教材のライブラリー化が必要と考えられる。全道、更には全国の多くの教員が常日頃実践している教材例なども数多く埋もれていることも多いのではないだろうか。そうしたものをぜひとも情報提供して頂けたらと思う。そのためにはセンターが強い情報収集能力を持つと同時に、広く普及させていくための広報活動も必要であろう。

 また、将来的な方法としては、インターネットの活用が考えられる。この秋に出るWINDOWS95ではすでにサポートされており、これからますます中心となっていくことは明らかである。これまでのパソコン通信が文字ベースであったのに比べ、マルチメディアをベースとし、全世界で情報のやりとりが可能となっている。更に付加価値的な要素を持っているので、データのやりとりのみではなく、データベースの構築にもつながっていく。

 また費用面ではまだ難しいが、インターネットを活用することにより、研修会同士の生の情報のやりとりなども可能となる。例えば公開授業をリアルタイムにネットに載せることにより、その場にいなくても画面で見られたり、研究会同士の会議などの複数で同時に行うことも可能となっている。

B研修体制の充実

 研修と言っても道研等の講座における研修やこうした北数教の研究会、常日頃の実践研究会など形態は様々であろう。コンピューターに関する内容の研修会は、案外人気が高いようである。道研における講座内容も大分様変わりしてきているようである。そうした研修体制は今後も時代に合わせて更に充実させて行くことが必要であろう。前述した課題とも密接に関連するが、第1に市販ソフトを体験できる時間を多く設けていく。せっかくの機会であるから、自ら多くのソフトを体験して、内容や操作性などをチェックしたい。第2に、多くの活用事例を学びたい。教材開発は教師個人の課題であるが、多くの知識を自分の中で消化して役立てていくことが大事である。第3に日常の研修体制を整備するとともに、各地域、学校との情報交換を密にする。北数教の研究機関の一つとして、数実研というものが設置されて3年目になる。やっと軌道にのり研修会も13回を数えることとなった。できれば他の地域の先生方とも情報交換をして、更に充実したものに出来ればと考える。

 以上あげた点以外にも、ハード面を中心とした環境面での整備やソフト作成への現場教員の関わり、教材のデータベース化など、様々な課題が存在する。課題がすぐさま解消されるわけではないのは明らかであるから、少しずつでも前進して行けるような体制づくりが望まれる。

7 おわりに

 過日、インターネットの体験セミナーに出席してみた。WWW(World Wide Web)による情報化時代の到来は、これまでのパソコン通信とは比べものにならないぐらいの時代の変化を感じさせた。そのとき、そうした驚きと同時に次のようなことを実感した。

 インターネットによって引き出せる情報があまりに多いため、まず自分の欲しいものを検索することからして大変である。そうした検索するソフトもいくつも提供されているが、日本語板は少なく、多くは英語によるものである。語学力を失ってしまった私にとっては、あらためて語学の大切さを知った。それと同時に世界が少なからず近いところにあるような気がした。更に、この情報を得たいといったとき、こういった知識が必要であり、また数多い情報の中から選択もしなくてはならない。

 つまり、情報化教育は1教科による指導を越え、生活に必要な多くの要素を包括するような形で将来は進んでいくのかも知れない、と感じたのである。溢れる情報の中から必要な情報を取り出す。そこには知識も必要になる。そうした相互の関連の中で将来の教育が成される時代がくるのかも知れない。私もコンピューターを始めてから10年ぐらいしかたっていない。しかし、時代は確実に変わってきているのだけは確かなようである。

 今回の発表は内容的には大したものではないが、コンピューター教育を常日頃考えているものとして、現場からの素朴な声をまとめたものである。なかなか意欲はあっても進まない現実が現場にはある。コンピューターは私の回りでは、パーソナルでも万能でも全くない状態である。しかし、何とか諦めずに行きたいと言う私自身の気持ちのひきしめでもある。

       《参考資料》

         (1) 学校教育とコンピュータ(赤堀侃司)NHK BOOKS

         (2) メディアによる新しい学習(水越敏行、菅井勝雄)明示図書

         (3) 情報教育メディアの活用(清水康敬)第一法規

         (4) 《関数ラボ》による高校数学(佐藤公作)日本評論社

         (5) 厳選・教師のための学校教育ソフトウエア(高校 数学編)SOFT BANK

         (6) パソコンでみる関数グラフィックス(糸岐宣昭)森北出版