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4_1 Shadow Line への Prologue

 「y=ax2aの値は,諸君とy=x2のグラフとの距離を示す倍率なんだよ。カメラのズ−ムと同じさ。」

 こう授業でやってしまった。生徒に放物線のグラフを描かせているとき,a=3のときの頂点が余りに尖ってる生徒が多かったものだから,ついのたまってしまったのだ。放物線は相似形だからあながち間違えとはいえないかもしれないが,適切な表現であったかどうかは疑問である。だが,少なくともこの失言以降,放物線の形は同じだということが印象に残ったらしく,尖った放物線を描く生徒はめっきり減った。

 これは,感覚の問題である。グラフの開きはy=ax2のグラフ上の点(1,a)の変化で読み取れるがデジタル的でぎこちない。視点を変えたグラフの大きさの変化とみればス−ッと放物線の大枠が見えてくる。ときには,3次元的に見下ろし,凝り固まった観念をほぐしてやることも必要ではないかと思うのである。

 アボットは,著書「多次元・平面国」でこの視点の違いから起きる世界の出来事を軽妙に表現する。二次元上(平面上)の世界フラットランドの住人を線分,多角形,円などの図形と考えるのだが,実はこれらの生物の形を的確に認識できるのは,3次元の住人なのである。当の2次元の生物にとっては,1次元的にしか判別できない。円も多角形も彼らの眼には線分なのである(線分の高さについては曖昧だが)。では,図形の違いをどうやって見極めるか。それは見る角度による。対象となる図形の周りをぐるっと回ると,線分の長さが変化する。もし,それが点になることがあればその図形は線分である。長さがまったく変化しなければ,その図形は円である。アボットは長さの変化がより少ないものを完全形と捉えた。

 アボットの創造した平面国のある数学の先生のぼやきに,少し耳を傾けてみよう。

 数学科の正七角形先生は,ちょっと頭を悩ましている。生徒の質問に対する解答をうまく説明できないのである。彼が,線分状の黒板に,有向線分を書き,2点P(1),Q(3)を結ぶ線分PQの分点の求め方を指導していたとき,突然いつもバカばっかりいっている生徒の七五三鈍角三角形が

 「先生,点P,Qを表す方程式のx=1とx=3を足すと2x=4,だからx=2だよね。これから中点って求められると思うんだけど。」

 何を戯言を。x1=1,x2=3であり,x1+x2=4。その平均をとって,だろうが……と思いながらも生徒の計算で答えがでてしまうことに対して適切な返答ができなかったのである。大体,方程式を足したり引いたりすることに意味などないのである。引いてみたら明らかに矛盾する式がでてくるわけだから。そう自分に納得させようと思っているが何故だかしっくりこないのである。ブツブツいいながら廊下を歩いていると,突然お腹に激痛が走った。誰だか知らないが,点の鋭利な頭が彼の腹にぶつかってきたのである。「先生,前見てないと危ないよ」。そういって通り過ぎていったのは,線分長10君だった。彼が,点だと思っていたのは線分だったのである。そのとき,正七角形先生,はたと手を打った。急いで職員室に戻り,大学の頃使っていた「フラットランドの方程式化」の本を探し出した。ペ−ジを追うと,その中には,線分の上に,もう一本y軸を立てることで,平面上の図形がxyの関係式で表現できることが書かれている。「これだ!」。x軸上の点が,直線とx軸の交点と考えれば,2式を加えることに図形的な意味がでてくる。彼はx軸との交点がP,Qである2つの直線の方程式を作ってみた。

   xy=3, xy=1

 点P,Qは,y=0の場合である。この2直線の交点を求めてみよう。2式を辺々加えると,x=2が得られる。このときy=1より,交点は(2,1)と表されるのだ。

 翌日,正七角形先生は,七五三鈍角三角形君に線分状黒板に立てた2本の線分の交点を示し,噛みしめるようにこういった。

 「x=2はね。この交点が黒板に映った影(Shadow−Point)なんだよ。」

 ところで,同じ問題は,空間内に存在しながら,平面しか認識できない我々の世界でも起こるものだ。

 「先生,2円 x2y2−6x−8y+24=0とx2y2−4=0は交わらないと思うんですが,2円を引いて得られる直線3x+4y=14は何を意味するんでしょうか。」

 ここから,Shadow−Lineの物語が始まる。

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