第19回 北数教 数学教育実践研究会

札幌稲雲高等学校長 谷川幸雄 先生 特別講演

札幌稲雲高等学校長     谷 川 幸 雄

 

 人生の軌跡はベクトルのようなものです。人生には始点があり、移動条件があって、そして終点につながります。でも、人生がベクトルと違うことは、終点がまた始点であり、かぎりなく連続していくということです。移動条件がその人の運命を変えて、新しい軌跡が始まります。私の人生という長い旅について言えば、いろいろな人との出会いがあり、いろいろなことの経験が、自分自身を成長させてくれました。辛いことはありましたが有意義な旅であったと思っています。  

 雲稲高校は、私の12箇所めの職場なんですが、素晴らしい環境の中で毎日を送り、いつも仕事の帰りは夜景を見下ろしながら「今日も1日有難うございました」と独り言をいいながら62段の階段を降りていました。この高校を最後に退職できることを、私は幸せに思っています。

 さて、ところで今日の講演は、「新しい学力観」、「学習カウンセリングの考え方」、「発見学習の理論」の3つのテーマで話しをしてみたいと思います。

 まず、「新しい学力観」についてですが、これは新しい理論という訳ではありません。新学習指導要領の改訂に伴い、新しい学習方法を考えたときに、自然にこの学力観につながっていったのです。その学力観とは、それまでの考え方である知識、理解、技術を基底にして、意欲・関心、思考力、判断力、表現力をプラスし、授業のなかで強調していく必要性をもとに生まれたものです。そして、それを育てるために、授業の中で教育相談としての「学習カウンセリング化した授業」を構築することが不可欠となってくるのです。       

 例えば、表現力についていえば、授業中生徒に問題を当てたとき、答えられなければ、バカと非難、蔑むだけでは育つはずはありません。じっくりと、子供の立場に立ち、子供が何を考えているのか、またその考え方が間違っている(思考過程が違う)のであれば、是正してやらなければならないでしょう。教師はゆとりをもって教育に当たるべきであり、そのためには、指導技術としての学習カウンセリングが必要となってくる、というのが私の考えた理論なのです。 

 その学習カウンセリングの定義について考えてみましょう。
 「学習カウンセリング(counseling of learning)とは、一人一人の学習者に対して、学習のつまづきや悩み等、学習上の諸問題について、ともに考え、学習への意欲・関心を醸成し、取り組むべき問題を学習者自身に明確にさせ、自己学習への援助を図ろうとするものである」、学習とカウンセリングは、硬貨の裏と表のような関係であるべきだと、私は考えています。その学習カウンセリングをさらに構造化すると、生徒の信頼、尊重の意識を基盤として、「姿勢」と「技法」の2つの立場が考えられます。

 姿勢(態度)については、共感、受容、傾聴の3つの基本的態度が考えられます。傾聴とは、生徒の発表や意見を十分聴いて理解するということで、「君のいっていることは分からない」だとか、「君に聴いてもどうせ答えられないだろう」といった否定的姿勢で臨めば、生徒の表現力は育ちません。また受容は、生徒の言っていることを評価しないで純粋に受け入れるということです。受容した後に、その考えに対して生徒と対決すればいいのです。最後の「共感」は、生徒の発表に対して相手の気持ちを自分の気持ちに置き換えながらうなずき聴いてやるということです。

 まとめると、生徒の発表した内容について、それがどういう意味をもつのか確認し、相手の感情が今どうなのかということを明確化していきます。「your OK!」という気持ちで相手の気持ちを受けいれた後は、次に生徒との対決となります。もちろん、感情的な喧嘩ではなく、相手を認めた上で、誤りを整理し、一緒に追求していくということです。ロジャーズは非支持的な中にあっても教育には対決が必要であるといっていますが、こうした指導が、学力向上につながっていくのです。

 そして、これらの姿勢を実践する場合に、必然的に2つめの要素である技法が必要になってくるわけです。

具体的に次の例で考えてみましょう。

先生「君の成績では、T大学を受けても無駄だよ。」
A子「でも、一応T大学を受けたいんですが……。」
先生「無駄なことは、やめたほうがよいと思うよ。」
A子「そうかもしれないけど……。」
先生「家庭で何時間勉強しているんだ……。」
A子「30分から1時間くらいかな……。」
先生「そんな勉強時間でT大学に入れるわけないよ、B子は、家庭で3〜4時間勉強しているのにそれでも
   ボーダーラインだよ。B子と比較しても分かるだろう…」
A子「すぐ、ねむくなるんです。どうしたら、ねむくならないのでしょうか……。」
先生「それは、君の意志が弱いからだよ、強い意志をもってやるしかない……。」
A子「それは、そうですが……。」
先生「学ばざるもの、食うべからずだよ。」

 このカウンセリングの問題点は、1つは子供の気持ちを受容する面で欠けていることです。「そんな大学、無理だよ」という発言は、指示的、否定的な意見でしょう。そうではなく相手の気持ちを受け入れてから、ではどれだけの学力、データが必要なのか与えてやることが必要であり、学習者自身に自ら学ぶことを明確化させて、自発的に学習に取り組む姿勢を育てることが大切なのです。「3〜4時間勉強すれば…」といったアドバイスであれば、外からきたセールスマンでもいえることでしょう。なぜ、どうしたら効率よく勉強ができるようになるのか、どうしたら眠らなくなるようにできるかカウンセリングしていくことが大切なのではないでしょうか。

 それと、もうひとつは、実はこれが一番生徒が嫌がることですが、他の生徒と比較をして指導するということです。生徒自身に、本来の自分と今の自分を比較させるいわゆる内面化としての比較はいいのですが、B子との学習姿勢や結果を比較し、追求することは、個々の生徒のもつ特質性を無視することになります。大人だって比較をされることは嫌なものなのですから。

 以前、石狩管内の小中高について、道立研究所が学校生活に関するアンケートを実施したことがあります。「学校へ行くのは楽しいですか」という問いに、高校では「あまり楽しくない」、「ほとんど楽しくない」という回答が54%、すなわち全体の半分近くを占めているのです。「ではなぜそう思うか」の問いをみると、1番多い回答が「授業が面白くない」という残念な結果がでています。実はこれは、小中学校や他府県の学校で実施したアンケートでも同じような数字なのです。教育界では子供達の数学、理科離れが大きな問題となっていますが、このことが大きな要因なのだと思います。だからこそ、今、学習カウンセリングの必要性が問われてきているのではないでしょうか。 

 では、どういった授業展開で、学習カウンセリングはカバーできるのでしょうか。その模索の結果として生まれたのが、「発見学習」の理論です。

 この発想は、私自身の経験に基づいています。私は、教員になってから35才位までは、相当のエネルギーや時間を裂いて生徒の指導にあたってきました。放課後、ジャージに着替えてから生徒の質問に答え、そのまま部活の指導にいったものです。ところが、年を重ね、ある程度責任ある立場になってくると、放課後は部会や会議といった公務分掌の仕事に追われ、生徒との対話の時間を設けることが難しくなってきました。最大のエネルギーをかけ最大の効果を上げていた若い頃のようにはいかなくなってきたのです。そこで悩み考え、組み立てたのが、「Min・Max学習理論」です。この理論の仕組みは簡単にいうと、最小のエネルギーで最大の効果を上げる学習方法は何かということです。具体的に触れると、その理論は、グループ学習、チームティーチング、発見学習の3つで構想により構築されますが、そのなかの発見学習について今回は述べてみましょう。  

 発見学習の構造は、次のようになっています。

 生徒が学習する分野は、我々にとっては既知の内容でも、子供にとっては未知の内容なのです。そのことを教師自身がしっかりと認識し、生徒に課題意識を持たせて積極的な学習をさせるために、発見学習の理論が必要になってきます。

 三角比の導入で考えてみましょう。三角形の面積は底辺と高さが分ければ求められますが、これは辺と辺の関わりで面積が分かるということであり、では辺としての要素が不足しているけど、傾き、すなわち角度が与えられたとき面積を求めるにはどうしたらよいか。そのことを生徒に投げかけ、課題意識を持たせて角度(三角比)の必要性を追求していくわけです。これが、学習へのmotivationにつながります。

 では、実際の例を1つ挙げてみましょう。幾何の授業で三角形の五心について生徒に説明するときに、私は人間が生きていく場合にも5つの心が必要なんだよと話してやります。学生時代に、「5つの銅貨」という映画にもなった小説を読んで感動したことを話し、その本を読んだことあるかなと問いかけます。もし、いたら、「へぇ、君って凄いね」と純粋にそのことを誉めてやります。けっして、「だけど、数学もっとやれよ。」とよけいなことを付け加えてはいけません。いいことはいいことと認め、生徒に共感してやるんです。それから、小説の内容について話してやります。この話は、ジャズコルネット奏者であるレッド・ニコルズの半生を描いた伝記なんですけど、その中で、小児マヒになった愛娘が悲しんでいるとき、ニコルズが5つの銅貨を1枚ずつ投げながら人生にとって必要なものは何なのか諭す場面があるんです。彼は、銅貨を投げます。1ペニーめは、愛。では、愛っていうのはなんでしょう。黒板にこう書いてやります。                          

受+心 < 愛

 「人間は不等式の生活をしていることが多いんだよ。でも左辺に行動を意味する「ノ」を加えると愛という字になるでしょう。本当の愛は心で受けとめることであって、肉体で受けとめることではないんですよ」。こういって、生徒自身にも、人生に必要なものを説いてやるんです。ニコルズが投げる次の1ペニーは夢。人間は夢があるからこそ頑張れる。夢のなくした人間は挑戦する意欲もなくなるんです。挑戦こそ我が人生でしょう。次は希望。希望は小さなものから大きなものへと膨らんでいき、それが自信につながります。4ペニーめは笑い、そして最後の5ペニーめは楽しみ。こうして、1ペニーを投げるたびに娘は、笑いを取り戻していくんです。 

 こういった話をすることによって、「数学教育」をさらに拡大して、人の生き方としての「教育数学」まで高めた指導をし、生徒に課題意識を持たせて、学習への動機づけをしてやることが必要ではないでしょうか。 

 話を戻しましょう。次の発見学習の過程は、洞察です。

 物事を類推、試行錯誤をしながら追求するということです。これは直感的思考ということですが、数学の場合にこの思考は、ある日突然閃くというものではなく、基礎的知識が不可欠でしょう。湯川秀樹先生は、その著書「創造的人間」の中で、「これからの若い人は偉大な発見は難しいだろう。私はデータを苦労して集め、整理していく過程の中で中間子を発見しました。今は、そのデータが整理され過ぎているのです。発見とは長い期間を通しての訓練の結果として生まれるもので偶発的なものではないのです。」と述べられていますが、その意味で直観的思考を養うということは大事なことなのです。

 次は再構成です。既習の要素を確認しながらその内容を再構成していく、いわゆる拡散思考と考えてください。

 このように発見的学習は意識や知識、そして知恵をその都度、調整、整理をしながら、その思考過程を分析思考(仮説・証明・検定)、反省的思考(再仮説、再検定)、集中的思考(解決)と発展的に構造化していき、最終的に創造や発見の喜びを生むことになるのです。

 このことに関して、思い出深い出来事がありました。以前、フィールズ賞を受賞した広中平祐先生が北海道で講演されたときに夕食をご一緒する機会を得ました。そのとき先生がおっしゃった忘れられない言葉があるんです。

 「今の人の研究には精神的な弱さがあります。集中思考ばかりに偏りすぎているのではないでしょうか。私は、ときどき音楽をかけてそのあと布団をかぶって床につき、何も考えないようにしていますが、そういうときにこそ、突然閃いたりします。集中思考だけでは発見は生まれないものなんです。」。確かに私も、いくつもの事務処理に追われ、原稿をまとめているときに、ひとつの原稿をまとめ次の原稿に入ってからまた前の原稿を見なおしてみると随分と不備があることに気がついた経験があります。集中的思考と拡散的思考はうまく調和していなければならないことを先生はいっておられたのでした。

 さあ、では次に実際の発見的学習の進め方について、私の実践をもとに話していきましょう。

 まず、心得として一番大事なことですが、生徒一人一人のアイデアを大切にし、批判しないということです。例えば、試験をするといつも赤点をとっているような生徒なんですが、ときどき授業中にはすばらしいアイデアをいう子がいます。それを教師側が「できの悪い子」というレッテルを貼って先入観でみているとそのアイデアにさえ気付かず「何バカなこといってるのよ」で終わってしまうものです。しかし受容的態度でもって聴いていると、言った本人も私もその内容の正しさについては確証はないのですが、1時間潰してでも追求していくと真実に到達することがあるんです。そうすると、最初は嘲笑気味だったクラスの仲間も、「おーっ」と叫び声をあげます。このときは、教師も生徒も授業に参加しているんです。だから感動するんですね。この言葉がでたら、その授業は成功だといえるでしょう。     

 次に、一人一人のアイデアを大切にするには、当然、生徒一人一人を良く知っていなければなりません。このことで私は昔、失敗したことがあるんです。私はいつも学期の終わりに、授業についての感想を作文に書かせていたんですが、あるときに、「一年間一度も授業中当たりませんでした。有難うございました」と書いた生徒がいました。私はそんなはずはない。2000題以上の問題を生徒に当てているわけだから当たらないなんてことはない、きっと生徒の考え違いだろう、と思ったのですが、もしかしたら?と考えたんです。そこで、それからは、最初の授業のときに1年間でどれだけの問題を解き、どういうように生徒に当てていくのか説明するようにしました。総問題数を生徒数で割ってみると、一人に当たる問題の多さに生徒は驚くものです。そうして問題割り当て表を作成して、当てる度に、できたら黒、間違ったら赤のボールペンでチェックするようにしました。こういった記録を取ることで、不公平のないような授業をするよう心がけました。全員に当てているつもりでも、無意識にできる子にばかりに当てていて、意外と教師は全員に当てていないのではないでしょうか。このことを、私は生徒に教えられたのです。

 だから、個々の生徒を理解するには、教えている生徒の名前をしっかりと覚えるのは当たり前のことです。座席表を見ながら○○君といったり、ひどい場合は名前を言わないで「そこの3番目のメガネ」などと指名したりしていることってありませんか?。私は、グループ学習の一環として、授業の最初に行なっていたグループ面接の中で、生徒の特徴を捉えて覚えるよう心がけました。どうしても覚えられない子は、小さな座席票を作って教科書のページの間に挟み、さり気なく当てるようにしていました。名前を覚えることに全力を注ぐことが教師には必要だと思うのです。

「名前を覚えるコツ」という本をある会社の経営者が書いています。会社の利益は名前を覚えることであがるという基本理念をその社長は持っているのです。例えば、現場視察にでかけ、働いている部下に声をかけるとき、その部下の名前や家族のことを知っているとしましょう。当然、社員は驚き、喜びます。その積み重ねが連帯意識を強め気運を高め利益を生み出していくのです。これは、学校の授業についてもいえることではないでしょうか。

 次に大切なことは、生徒に適度の競争意識を持たせることです。そのために、私は「アイデアノート」というものを作りました。私のいっているクラスの生徒のアイデア溢れる面白い解答を、プリントにまとめ、生徒に回覧すると、「これはあいつの解答だな」と生徒は興味をもってみてくれます。過度の競争はいじめにつながる危険性はありますが、ちょっとした競争意識は随分生徒の学習意欲を駆き立てるものです。相加相乗平均の証明ひとつとっても、教科書以外にも幾何的、代数的といろいろな興味あるアイデアを生徒は提供してくれます。それを生徒と一緒に考えることで、生徒は豊かな発想をに培っていくんです。  

 さて、以上述べたようなことが発見学習の基礎理論なんですが、ただ、生徒ばかりを評価してもいけないと思うんです。同時に教師自身も自己理解をするために、評価されることが必要であり、そして、その評価を謙虚に受けとめる姿勢が大切になります。

 例えばですね。「名前を呼んで当てているか」といったような自己評価アンケートを作ってみるといいと思います。次にこれらの質問の語尾を「名前を呼んで当ててくれた」と変えると、今度は生徒から見た授業と教師の評価になります。それを生徒に評価アンケートとして回答させて、両者のアンケートの評価の隔たりを分析してみると、それが現時点の教師と生徒の距離に比例するわけです。

 生徒にとって「教師は運命」であることを、教師自身もけっして忘れてはいけません。 

平成9年2月1日(土)    <文責 札幌新川高校 中村>