1983年1月に第一回が行われた北海道高等学校数学コンテストも今年で21回を迎えました。これもご協力いただいている道内の各高校の数学の先生方、および初年度から支援をいただいている福武書店(現ベネッセコーポレーション)及び協賛いただいている北海道教育委員会、札幌市教育委員会、道校長会、北海道新聞社などの皆さんのおかげであると感謝しています。今年、以前から計画していました「数学コンテスト20年のまとめ」を作ることになり来年1月の完成を目指して原稿整理、編集の作業を行っています。この冊子は完成後、全道の各高等学校の数学科に郵送して指導の参考にしてもらいたいと考えています。私(研究部 佐々木)もたまたま新卒2年目の第1回から研究部に所属していたという縁で今までのコンテストの流れをまとめてみようと思い立ち今回の発表に至りました。何分20年という長い期間続いたものであり、必ずしも全部の資料が残っているわけではないので記憶を頼りに書かなければならない部分も多くあります。記憶違い等の部分がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
数学コンテストは今まで毎年1月に基本的に高校1、2年生の希望者を対象に、中学校から高校1年終了までの数学の範囲で、高校数学の枠にこだわらず、受験数学に偏することなく数学の幅広い分野を出題範囲として開かれています。問題は平面幾何あり、順列組み合わせあり、関数など解析分野もあり、整数論など代数的な問題もあります。またグラフ理論に関係するもの、カオス、人工衛星の動きをシミュレートするもの、ルーローの三角形からカントールの3進集合、プロ野球の打率計算から、国会議員の選挙の票の分配に関する問題(ドント方式)からグラウンドにどうやってトラックのラインを引くかなど現実とリンクするものまで様々な問題が出題されています。コンテストの目的は
@ 数学の問題を解く楽しみ、じっくり取り組む充実感を受験者に味わってもらう
A 高校の数学、受験の数学にない数学の奥深さ、面白さを感じてもらう
B コンテストの上位者には表彰式で表彰することによってより励みになる
C 数学オリンピックなどへの参加のきっかけにする
などがあると思います。
問題は協力していただいている北海道大学の先生方からの出題に加え、研究部の先生方が日ごろの実践の中から作った問題、古い問題集などから探し出した問題などを受験者のレベルにあうようにアレンジして毎年トータル(5問全体)での難易度が余り変化しないように作っています。とはいえ正解者がほとんどいないような難問もあれば全体の半数が満点やほぼ満点となるようなやさしい問題も出したことがあります。採点は原則として出題者がやるため予想もしなかった見事な解答が現れて出題者をうならせることもあれば、予想外の出来の悪さに生徒たちの共通の弱点を再認識させられることもあります。試験は札幌市内一会場校で(参加者が多い学校では校内実施もあり)、市外については各参加校の先生にご協力いただいて3時間30分(午前9時から午後12時30分まで)の間に5問の問題を解くという形式です。上位20名は2〜3月に札幌市内で行われる表彰式に招待されます。表彰式は出題者と入賞者が対面して問題の感想や意見を聞くことができ毎年の一番の楽しみになっています。
今から約10年前に北数教高校部研究大会で発表したときには「全国的に見てもこのような高校生対象のコンテストは珍しいのでは」と書きましたがその後、名古屋大学を中心とした「日本数学コンクール」や群馬県における「群馬県高校生数学コンテスト」、あるいは学校ごとの数学コンテストなどの実践が全国各地で進められていることがわかりました。また今年は国際数学オリンピックが日本で開催され、一般的な関心も高まっていると思います。しかし北海道で日本が数学オリンピックに参加する以前から高等学校数学コンテストを続けていたことはもっと知られてもよいし(逆にいえばPRが足りなかった)より多くの道内の高校生が参加できるようにしたいとの思いもあります。コンテストの運営、問題作成、採点等を行っている高校部代数解析研究部は現役の高校数学教諭の集団です(退職してからも関わっていらっしゃる方もいます)。研究部の中には転勤等によって地方に行って研究例会には参加できなくてもコンテストの際には出題や採点にずっと参加されている方もいます。
また数学コンテストの入賞者の中には、国際数学オリンピックで入賞して数学の道を歩まれている方、大学卒業後数学教諭になって現在我々と一緒にコンテスト出題メンバーになっている方、数学とは別の分野で大活躍されている方などもいます。成績や大学入試等に関係ないコンテストでこのような普段あまり接することのない問題に真剣に取り組んでくれた多くの高校生たちがいて今まで続けてくることができたのだと思います。
数学コンテストの最初のきっかけは札幌北高校を退職後福武書店に勤められた加藤重雄先生が、当時の北海道算数数学教育会(北数教)の細川部会長(当時札幌白石高校校長)に北海道の数学教育に何か役立つことがあれば協力したいとの意向を示されたことだそうです。両先生とも以前より数学オリンピックに似た催しを北海道で行って数学好きの高校生や中学生に刺激を与えたいという考えをもっていたので、実現の可能性を当時の高校部の研究会(そのころは現数学実践研究会(数実研)はまだ結成以前で当時定期的に活動していたのは現・代数解析研究部だけでした)に打診をしたということです。当時研究部では月に一度札幌市内及び近郊の先生方が集まって数学の本の輪読会をやっていました。そのころは高木貞二先生の「解析概論」をゼミ形式で勉強していたのですが私などは大学時代に勉強していた内容の筈なのにわからないことが多く担当が当たると苦労していた記憶があります。
実現に当たって検討された課題は次のようなものでした。
@ 出題採点に当たって研究部員の協力が得られるか
A 出題する問題の質がコンテストの命であるが問題作成に大学の先生等の協力が得られるか
B 北海道内の高校の協力が得られるか
C 参加対象生徒は何年生とするか
D 福武書店からの協賛はあるが受験者から参加費を徴収するか
以上のような問題点について昭和57年夏に研究部で検討し実施の原案が作られこの年については石狩地区(札幌近辺)で行うことで8月に札幌市内の主な高校の数学科主任会議で了承され、9月の北数教全道常任幹事代議員会、同研究大会で承認され翌昭和58年1月の第1回コンテストの実施に到りました。第1回の受験者は267名で、対象を全道に広げた第2回の参加者は360名でした。
1990年の日数教で研究部がコンテストについて発表した資料によりますとコンテストが実施できた好条件として次の4個が上げられています。
@ 研究部が問題作成、採点、及び運営に無料で積極的に協力
A 北海道大学理学部数学科から三宅敏恒先生を中心に問題作成、コンテスト表彰式での講評など協力が得られた
B 福武書店(加藤重雄先生)主に経済的な援助
C 北数教の全面的なバックアップ 特に経済的、運営面
BCによって参加者の負担無料で実施できたのが大きいと思います。
何もないところからスタートしたので特に当時の研究部のまとめ役だった井原先生(当時札幌開成高校)は大変苦労されたのではないかと思います。問題作り、採点方法、どれ一つ手探りのスタートでした。また何より参加する生徒がどのぐらいいるのかというのも不確定でした。実際やってみて思うのですが、希望者のみで2、300人程度というのはちょうどよい人数であったと思います。多すぎても少なすぎても問題点が出てきます。一枚一枚の答案をじっくり見るためには多すぎては大変ですし、少なすぎても逆にコンテストの存在意義がなくなります。2年目以降は過去の問題を見て、受けるかどうかを決める生徒も出てくるので問題への評価が次年度以降の参加者に響いてくることもあるでしょう。後述しますが数学オリンピックのようにトップの生徒を選抜して次のレベルへという考え方ではここまで続けることはできなかったと思います。身近な問題、時間はかかるけれどやってみれば何とか出来そうな問題も含めてバランスの取れた問題を選ぶことが長続きするための秘訣ではないでしょうか。また多くの学校で数学科の先生方が生徒たちに数学コンテストへの参加を強く推薦してくれたことも今まで続いている要因だったと思います。
問題については第1回から第4回までは第1部、第2部に分かれて4問ずつで出題していました。しかし第5回からは現在までは5問で3時間30分という形が続いています。当初は問題を1部と2部に分けて1部は比較的易しい問題で、2部はじっくり取り組む問題として出題したものの実際には生徒たちにとっては1部のほうが難しく感じられたり、1部と2部の差が感じられないという意見もあったりして現在の形になりました。
最初のころコンテストに関わっていた先生方の中には亡くなられたり、転勤や他の仕事とのこともあって今では研究部を離れた方もいらっしゃいます。初期の研究部のメンバーをここにあげておきます。(敬称略 数学コンテスト5年の歩みより)
坂下 正雄 | 湊川 三竿 | 林 重一 | 北隅 嘉長 | 長尾 章 |
河野 章二 | 大山 斉 | 永渕 敬二 | 関口 隆 | 堀 喬 |
古川 政春 | 関川 晃 | 中野 康二 | 佐々木光憲 | 阿部 知二 |
小野 信幸 | 中田 保之 | 井原 肇 |
コンテストの問題は生徒たちにとっても普段勉強している数学の問題とは毛色が違って戸惑ったりすることも多かったと思います。採点者にとっても採点基準は全部の答案を見ないと作れないようなことが多く、方針として発想や考え方重視で採点するため普段の採点とは違う観点で行わなければならないという違いがあります。
コンテストの問題作りは例年秋の北数教研究大会が終ったころにスタートします。例年出題範囲から基本、幾何、代数、解析、融合(応用)の5分野に分けて、場合によっては大学からいただいた問題を割り振って研究部メンバーで問題の原案を作ってきます。問題は研究部メンバーの考えたオリジナル問題のほかに大学からいただいた問題、高校生むけでない数学の本から見つけた問題を使うこともあります。いずれにしてもコンテスト向けにアレンジをして出題するのですから原案そのものですむ場合はほとんどありません。大学の先生からいただいた問題にしてもそのまま出題すると難しすぎるような場合、枝問をつけて取り付きやすくし、ヒントにする場合も多く研究部の複数の先生の目でみてもらうことが大切になってきます。当然ボツになる場合もあります。ただしボツになった問題も何年か後にアレンジして出題されることもあるので無駄になるわけではありません。具体例を挙げてみましょう。
第13回の【3】です。
【3】互いに素である2つの自然数a,b(a>b)に対して、a2−b2が平方数(自然数の平方)であるとき、a+bとa−bはともに平方数であるか、またはともに平方数の2倍であることを示す。次の手順にそって考えよう。 (1)a+bとa−bはともに偶数であるか、ともに奇数であることを示せ (2)m2=a2−b2とする。mが奇数の素数pの約数であるとき、a+bまたはa−bのどちらか一方がp2を約数として持つことを示せ (3)(1)(2)を利用してa+bとa−bはともに平方数であるか、またはともに平方数の2倍であることを示せ。 |
これは北大からいただいた問題なのですが、最初は枝問がなく「互いに素である2つの自然数a,bに対して、a2−b2が平方数であるときa+bとa−bはともに平方数であるか、またはともに平方数の2倍であることを示せ。」という問題でした。このままでは難しすぎるというのと問題の分野割り当てもあって(他に代数分野の問題があった)もらってすぐには使われなかった問題です。なんとか出題できないかと考えて枝問をつけました。(1)は偶数、奇数の問題なのでとっつきやすいし解答をみてもらえばわかりますがa+bとa−bの和は2aとなり偶数なので2つの数は(偶数)+(偶数)か(奇数)+(奇数)のいずれかであるので明らかになります。またここでこの方法は(2)以降へのヒントにもなるのではと考えました。(3)だけの出題であれば出来る生徒はいても、手付かずの生徒も多くなると思ったのですが実際の結果をみてもこの年の受験者164名中(1)が出来た生徒は100名を越え、(2)(3)に手をつけた生徒も相当数いました。残念ながらこの問題で点数を上げられなかった生徒も41名いたのですが、例えば場合分けで考えて途中で失敗した生徒にも部分点はできるだけあげるようにしているので取り組んでくれた生徒にとってはそれなりの結果は出せたのではないかと思います。また(3)まで手をつけた生徒の中には4人の満点者が(この問題について)出ていたことは出題側の北大の先生からも、「この問題に対し最後まできちんと示せたことは評価すべきである」という言葉をもらいました。ひょっとしたらこの満点を取った生徒にとっては(1)(2)の枝問は必要なかったかもしれません。しかし多くの子たちにとっては意味があったのではないかと思います。ちなみにこの【3】についての平均点は10.08点でした。(満点は40点)
毎年の出題は頭を悩ますことですが、毎年のように面白い問題を考えてくれる先生の存在は研究部にとってもコンテストにとっても貴重です。第7回の【3】や第8回の【1】【3】などは現在山梨大学にいらっしゃる成田雅博先生の出題です。現実の現象をベースにした問題はどうしても問題もその解説も長くなる傾向があります。特に第8回の【3】は、当時日本の参議院選挙で比例代表制が導入されて「ドント式」という言葉が出てきたころだけにタイムリーで受験後の表彰式でも「面白い」という意見もある一方、「問題文が長すぎる」,「まったく訳が分からなかった」などいわゆる理系の子たちにとってはとまどう問題だったと思います。(巻末の問題参照)
しかし数学コンテストでなくては出題されないような問題ではないかと思います。
数学コンテストでは長らく問題の【2】に幾何の問題が出されていました。出題はずっと研究部の坂下先生(元北海高校)、湊川先生(元喜茂別高校)長尾先生(元小樽桜陽高校)などの研究部の中でも長老格の先生が担当していました。とりわけ坂下先生は当時すでに70歳を越えるお年でしたが、初等幾何にかける気持ちが熱く幾何の問題に取り組む答案一つ一つに丁寧なコメントを付けられていたのが今でも印象に残っています。現在40歳代以下の先生方は初等幾何を小中高ともにきちんとやっていない年代なので私もやや苦手な分野でありますが、新課程で高校一年の教科書に入ったこともありコンテストでは現在も幾何の問題の出題は続いています。
第11回以降ユニークな問題を多く出題されているのは松本睦朗先生です。第11回のエンデバーとミールの地球軌道周回の問題を始め、第14回の心臓の血流量の問題、第15回のフラクタル図形の問題以降はコンピュータで描いた3Dグラフィックを使った問題などおもしろい問題を毎年のように出題しています。数学コンテストの問題は研究部の先生方それぞれが考えて持ち寄る物が多いだけにそれぞれの先生の個性が現れて過去の問題を見るとこの問題はあの先生が作った問題だったなどと思い出すことも多いのです。特に研究部に新たに加わった先生の問題がついついマンネリになりがちな数学コンテストに新しい風を吹き入れているのは間違いないと思います。
生徒にとっては毎年毎年問題が違うのですが、先生方からはこの問題は過去にも出題されているのではという指摘を受けることがあります。意図したわけではなくても限られた分野の中で毎年出題していくと同じような問題を出題する可能性は否定できません。問題の形式は違っていても「完全数」に関する問題とか「部屋割り論法」を使ったりする問題では前の問題と同じという印象を与えるかもしれないとは思います。また初期とかなりメンバーが入れ替わっている現在、意識せずに似たような問題を出してしまったこともあるかもしれません。その点では過去の問題を集大成した冊子の存在意義はあると思います。
いずれは数学オリンピックへの参加もと考えて始まった数学コンテストですが、日本の数学オリンピックへの参加は予想よりも早く実現しました。1990年に行われた数学オリンピック北京大会に日本が初めてチームとして参加することになったとき、研究部内部でも話し合いがもたれました。というのもこの数学オリンピック北京大会の国内予選第1次試験が今までコンテストの実施日であった1月15日とぶつかるためでした(これは当時のセンター試験の実施日でもありました)。早稲田大学の野口先生からは先行して行っていた北海道高等学校数学コンテストについてオリンピックの運営上の参考になったという手紙ももらいましたが、一面ではこれで数学コンテストの役割は終ったのではという考え方も内部にありました。数学コンテストが始まった当時は数学オリンピックの知名度も低く、当時文部大臣だった鳩山邦夫氏に数学オリンピック参加についてのお願いをしたり大学の数学科にお願いに回ったりのPRが実ったのがうれしい反面これから数学コンテストを続けられるのかという不安もありました。研究部としての結論はつぎのようなものでした。
「確かにオリンピックの問題は従来コンテストで出題してきた狙い、分野と共通する部分があり、オリンピックの選抜試験とも共通するだろう。しかしオリンピック選手選抜試験は多くの生徒を振るい分けるためのものである。一方コンテストは受験時の数学の能力のレベルに関わらず問題に取り組むことによって数学の概念や考え方を生徒自らが理解していけるよう小問付の記述式としている。つまりコンテストにはオリンピックと異なる存在意義がある。」
さてこのオリンピックにおいて北海道内からただ1人2次予選を通過して日本チームの6人に残った伊山修君(札幌北高校)がオリンピック本大会でも銅メダルを取ったのは北海道の面目を大いにほどこしたというべきでしょう。伊山君は高校1年時にコンテストで全道7位、2年時には全道1位になったのですから数学の実力については北海道でもトップクラスの生徒であることは間違いないのですが、彼が全国で選抜されて、日本チームの一員になったことは数学コンテストの意義を認められたように感じられてとてもうれしいことでした。伊山君は大学においても数学の研究を続け現在姫路工業大学で数学講師として活躍中ですが、その後道内からオリンピック選手に選ばれた人がいないのは残念に思います。しかし、その後の日本数学オリンピック予選の通過者の中にはコンテスト入賞者が多く含まれるのも事実であるのでいつかは伊山君に続く第2のオリンピック選手が北海道から出てくれることを期待しています。
今年の数学オリンピックは念願かなって初めて日本における実施となりましたが、今年の選手団はよくがんばってモスクワ大会の第8位につぐ第9位という好成績をあげました。今年も中高一貫の私立・国立高校からの出場者が多い中、愛知の県立高校生の出場が目に付きました。北海道の高校生もがんばってほしいものです。
冬休み中に行われるコンテスト当日は札幌市内一会場で、地方では各高校で行われます。第1回以来数学コンテストは冬休み中の実施ということでやってきましたが、現在コンテスト実施日程の再検討に入っています。新課程カリキュラムによって、1年生の段階では冬までに十分数学コンテストの範囲として教科内容の消化ができない、それであれば秋または夏の実施にして主に2,3年生を対象のコンテストにしてはどうかというのが変更案です。冬休み中に行うことによって暖房や除雪について会場校や担当の先生への負担になっている点、吹雪・悪天候による欠席者(過去に吹雪による交通マヒで当日欠席者が大変多い年もありました)が出る点も指摘されました。来年については1月9日実施が既に決まっていますが、次年度以降については研究大会、コンテスト実施校へのアンケートを行って検討していきたいと考えています。
数学コンテスト当日は実施校に研究部の先生が集まり、生徒の取り組み様子や出来具合などを見ながら採点への打ち合わせや今後の日程などを協議します。コンテスト中は長時間のため途中のトイレや水飲みなどは自由にしていますが、ほとんどの生徒が休みもとらずに熱心に取り組んでいます。コンテスト上位者対象に行う表彰式の感想では、この3時間30分の時間でもまだ足りないという感想がでるほどです。はさみ、のりなどの持ち込みも可としているため、立体図形の問題などでは試験中に紙を切り貼りして実際に図形を組み立てている生徒もいます。ときどき受験者から質問も出ますが、出題者がいれば出題者から直接説明できるのもいい点ではないでしょうか。ただし問題のあいまいな点、間違いを指摘されることもあり、そのときは札幌会場だけでなく各地方実施校にファックス等で連絡を取り合うなど慌しくなります。今まで冬休み中の実施だったため例会にはなかなか参加できない地方の先生がコンテスト当日には帰省や高教研のついでに参加してくれることもあって普段よりにぎやかになります。
試験当日が過ぎると次は採点です。基本的に出題者が担当することが多いので採点については各担当者に任されていますが、各問40点と配点が大きいだけに気をつかいます。普通の試験と違って発想や考え方を重視するコンテストだけに他の人と違うやり方で途中までで終わっている答案については必ず最後までそのやり方でやってみて判断します。
採点した答案は集められ合計点を出して例年ですと上位20名を表彰対象として各学校に連絡し表彰式に参加するようお願いします。札幌市内ですと問題ないのですが地方からの参加は大変だと思います。場合によっては先生や父母が引率して出席されることもあります。表彰式には北数教の会長、高校部部会長、北海道大学からの来賓、後援していただいているベネッセコーポレーションの支社長さんなどの方々の参加をお願いして第1部は表彰、第2部は入賞者と出題採点者との懇談という形で進められていきます。また、東海大学の秋山仁先生にはたびたび表彰式に参加して直接入賞者に励ましの言葉をかけていただきました。直接参加できないときも秋山先生はビデオやメッセージという形で表彰式に参加していただいています。昨年は、桐蔭学園の志賀浩二先生にもビデオで入賞者へのメッセージをいただきました。
表彰式後の懇談が出題者にとっても楽しみの一つです。どんな生徒がこの問題に取り組んだのか。生徒によってはかなり手厳しい意見も出てきたりして参考にもなるし、これからの活力にもなります。
北海道という一地方で高校教師が主になって数学コンテストが21年続けられたということはそのこと自体奇跡のような気がします。開始当時の先生のうち何人かは退職されたり、地方に移って例会への参加も難しくなったりしています。北数教、ベネッセコーポレーションのバックアップ、多くの数学の先生方に支えられて続けてこられたのだと思います。
しかしもっともコンテストを支えているものは受験してくれる生徒たちです。強制ではなく、もちろん表彰目当てでもなく、先生方のお勧めがあるにせよ決してやさしいとはいえない問題に3時間半かけてとりくんでくれた生徒たちがいて21年続けることができました。まだまだ続けていきたいと思っていますが、同じメンバーで長く続けることによって問題の固定化、マンネリ化もあると思います。ガロアやアーベルのことを思い出すまでもなく数学は若い人々のものです。コンテスト開始当時20代だったメンバーも40代になっています。研究部では新たなメンバーをいつも募集しています。数学の奥深さ、楽しさを伝える数学コンテストの仲間に1人でも多くの方に参加していただきたいと思います。
参考資料
群馬県高校数学コンテストのホームページは
http://www.edu-c.pref.gunma.jp/gakko/kou/math/public_html/sub5.htm
他にも高校独自のものなどいくつかあるようです。
http://www.yahoo.co.jp/
からたどって行くと良いでしょう。
このレポートは今年の北数教研究大会の第2分科会で発表したものです。
第8回数学コンテストより
【3】日本の参議院選挙は比例代表区と地方区に分かれて選挙が行われる。比例代表区の議員定数は50議席であり,投票では有権者が政党名を記入する。投票結果にもとづく各党の配分議席はドント方式によって決定され、各政党があらかじめ順位を付けておいた候補者のリストから当選議員が選ばれる。(これは当時の制度で現行の制度とはちがっています・・・佐々木注)この問題ではドント方式による各政党の議席獲得について考えてみる。
ドント式を説明する前に記号を次のように定義しよう。立候補した政党がA、B、Cの3つだけだったとしよう。
投票総数(有効投票数)・・・N | |
A党の得票数・・・n(A) | A党の得票率・・・f(A)=n(A)/N |
B党の得票数・・・n(B) | B党の得票率・・・f(B)=n(B)/N |
C党の得票数・・・n(C) | C党の得票率・・・f(C)=n(C)/N |
選挙で争う議員定数(総議席数)・・・M | |
A党の議席数・・・m(A) | A党の議席率・・・g(A)=m(A)/M |
B党の議席数・・・m(B) | B党の議席率・・・g(B)=m(B)/M |
C党の議席数・・・m(C) | C党の議席率・・・g(C)=m(C)/M |
このようにおくと
n(A)+n(B)+n(C)=N | f(A)+f(B)+f(C)=1 |
m(A)+m(B)+m(C)=M | g(A)+g(B)+g(C)=1 |
が成立する。
たとえばN=5000、n(A)=2800、n(B)=1600、n(C)=600、M=10のときドント方式によると、各政党の議席数m(A)、m(B)、m(C)を次のように決める。
@ n(A)、n(B)、n(C)のおのおのを1、2,3で割って表1を作る
A 表1に表れた数のうち大きい順に順位をつけていく。(表1では小数点以下を切り捨ててかいてあるが、大小の比較は小数以下を含めて行う)
B M番目でAの作業を打ち切り、各政党の横にある順位のついている数の個数を議席数と決める。
例ではM=10だからm(A)=5、m(B)=3、m(C)=2となる。
なおこのときの各政党の
得票率はf(A)=0.56、f(B)=0.32、f(C)=0.12
議席率はg(A)=0.6、 g(B)=0.3、g(C)=0.1 となる。
今の例で議員定数MがM=11だった場合表1の数で11番目の数が複数あるのでm(A)、m(B)、m(C)をうまく決めることができない。この問題ではM議席目が同順のためうまく決められないような場合は除いて考える。
÷1 | ÷2 | ÷3 | ÷4 | ÷5 | ÷6 | ÷7 | 議席数 | |
A党 | @2800 | B1400 | C933 | E700 | G560 | I466 | 400 | 6 |
B党 | A1600 | D800 | H533 | 400 | 320 | 266 | 228 | 3 |
C党 | F600 | 300 | 200 | 150 | 120 | 100 | 85 | 1 |
以上の記号およびドント方式は立候補した政党の数がどんな場合でも同じように適用することができる。
ドント方式についての次の(1)〜(4)に答えなさい。なお(2)(4)については立候補した政党の得票数はいずれも0でないと仮定する。
(1)立候補した政党がA、B、Cの3つだけで、N=6000、n(A)=3000、n(B)=1800、n(C)=1200、M=7のとき、表1にあたる表を作りm(A)とm(C)を求めなさい。
(ヒント:m(B)=2である)
(2)立候補した政党がA、Bの2つだけで、N=2000、M=15のとき、f(A)=g(A)かつf(B)=g(B)をみたす自然数n(A)を全て求めなさい。
(3)f(A)≧1/M ならば、立候補した政党の数や得票数、議員定数にかかわらずm(A)≧1であることを証明しなさい。
(4) 立候補した政党がA,Bの2つだけであると仮定する。n(A)/n(B)=kとおいたときkが自然数であって、なおかつM+1がk+1で割り切れないとき
f(A)≦g(A)かつf(B)≧g(B)
であることを証明しなさい。また上の不等式の等号が成り立つための必要十分条件を求めなさい。