<2球の交わりについてのある授業風景>
先 生:「さて、2つの球面が交わるとき、その交わりにできる図形はなんだろう?。このことについて今日は考えてみよう。さあ、頭の中に2つの球面、そうだな、例えばバスケとバレーのボールがいいかな、2つのボールをイメージして交わらせてごらん。」
生徒達:「………」(眉間に皺を寄せて生徒達はイメージしようと努力する)
A 男:「先生、ボールが上手く交わらないんだけど」
先 生:「ん?、それじゃどちらかの球を固定して、片方を近づけると、考えやすいよ。」
A 男:「いや、先生そうじゃなくて、ボールをくっ付けようとすると跳ね返ってしまうんだよね。」
先 生:「あっ……」。「それじゃあね、柔らかいビニールでできたボールで考えてごらん、今度はくっ付けられるだろ。では、交わった部分は何になるかな、C子、どうだろう。」
C 子:「うーん……、どら焼き!。」
先 生:「ど、どら焼き?」、「あっ……」、「なんか皆勘違いしてるようだね、球面は球の表面のことだよ、中味は考えない、何も詰まってないんだ、だからアンコは必要ないんだ。」
C 子:(納得して、得意げに)「じゃあどら焼きの皮!」
生徒達:(笑い)
先 生:(苦笑いしながら)「あのね、お互いに交わってなきゃだめなんだよ。どら焼きの皮は、2つの皮を貼り合わせて作るよね。その2つの皮がくっついている部分が交わっている部分だよ。」
C 子:(考え込んでしまう)
先 生:「しょうがない。それじゃあ少しイメージを変えてみようか。」「身近なもので、球を2つくっ付けた形をしてるものを考えてみよう。何かないだろうか。C子の解答がヒントになるよ、ほら、どら焼きといえば……。」
B 太:「はい、はーい!」「先生、ドラえもんだろ」
先 生:「正解、そうだ、ドラえもんは、球と球を合わせた形になっているね。その交わっている部分はどこだろう。」
D 美:「くび、首だよね」(友達に同意を求めるように)
先 生:「そう、首だ!。さあ、それではイメージの中で、ドラえもんの首に手をまわして首を絞めてみよう。その手の形は何になる」
C 子:(実際に手で形作って)「そうか。円だ!」
先 生:「そう、円だね。分かったかな」
A 男:「でも先生、ドラえもん、中味詰まってるぞ」
先 生:「………」
<仮想授業の反省ノート>
上の文章、別に笑いを誘おうとしているわけではありません。実際の授業の中での一場面を再現したものです(多少、脚色はありますが)。この授業が終わった後、随分と反省点と課題が残りました。まず、生徒の想像力の硬さの問題。ボールとボールのイメージでは交わる前にお互い跳ね返ってしまい、その固定観念からの脱却が生徒にとっては意外と難しいのです。特に教師側がボールという硬いイメージを与えてしまったから、もういけません。リアルにイメージするとボールが交わらないのは当然であり、問題の本質にたどり着けなくなってしまいます。
次に、球面の捉え方の問題。よく、小学校で習う円は、「切り抜かれた図形」としての中味の詰まった円ですが、これが高校では方程式としての円周にいつの間にか変わっています。この具象体から抽象体への概念に切替えは生徒の表象面での発達を配慮しなければなりませんが、円以外の球面のような図形でもsurfaceであることを、教師側が忘れていることがあるのです。どら焼きと答えた生徒(なんとも素晴らしい発想ではありませんか)はけっしてそういう意味では間違いではないでしょう。やはり教師側の説明の落ち度なのです。
では、球の中味を除くとどうなるでしょう。ここからはもうイメージのできない生徒が多いのです。我々にとっては当たり前のことが、生徒の頭の中では、「皮だけの柔らかい球が近づきあってくっ付き、相手の球の表面から内部に通り抜け、皮だけのどら焼きができる」となる前に、多分球が相手の球の中に入り込めずグシャリと潰れてしまうか、それともシャボン玉のようにパチンと弾けてしまうか……、そんなところでしょうか。ここら辺が、個々の生徒によって随分imaginationに差があるように思います。
さて、この授業の後半は「球と球を交わらせるイメージ化の放棄」をしてしまいます。交わったものとしての物体を考えることで説明をつけていますが、交わりの円としての結論はでても、その過程における「交わっていく」イメージは育っていません。今の段階ではまだ生徒には無理と考えるのか、それとも教師側の敗北と捉えるのか、どうでしょうか。
ところで、それじゃこんなイメージを強要しなくたって、例えば実際に模型を作って生徒に提示した方が早いのではないか、という意見もあるかもしれません。ただ、安易に(模型を作ることはもちろん簡単なことではありませんが)教師サイドから、イメージを押付けるのにはどうしても抵抗があるのです。コンピュータグラフィックスなどを使えば、正確なイメージのシミュレーションが可能なのでしょうが、苦労のない想像は、本来の自然な心象風景をちっぽけな造成地にしてしまうと思うのです。文章中にある、「イメージを手で触る」、ここのところができるようになるのが大切なのではないでしょうか。
この文章の最後に、ドラえもんの中味はあると生徒は再び、また疑問を投げかけます。実はこれは創作です。でも、現実にありがちなことではあります。まあ、この場合は、大半の生徒の理解度を推し量って「てめぇ、首絞めるぞ!」とでも、答えればいいのでしょう。