《戻る》

コンパス(COMPASS)   NO. ?
≡ 数楽通信 ≡

7つの橋を一度だけ通って全部渡れるか?

 ドイツにケーニヒスベルグという都市があり,この街中にはプレーゲル川が流れ,図のように7つの橋がかかっていました。ある市民が,「同じ橋を2度渡らないで,全部の橋を渡ることができるか?」という7つの橋に関する問題を出しました。そして,多くの人がこれを試みましが,誰一人成功する人がいませんでした。
 しかし,オイラーは,1736年にエレガントな解答を載せた論文を書き,これを解決しました。驚くことに,オイラーは,下のような図を書き,これが一筆書きで書けるかという簡単な問題に変えてしまったのです。さて,この問題の答えはわかりますか?

 実際には,軍隊が撤退するとき,砲車で橋を渡るごとにその橋を爆破して,もとの地点に戻れるかということを調べることが目的だったともいわれています。
 よく見ると,この問題は,長さや角には関わらないで,点と線のつながり具合だけを問題にしています。図形のこのような性質を調べることを現在では,“トポロジー(位相幾何学)”といいますが,これがトポロジーという学問の始まりとなった問題と言われています。

オイラー  EULER(1707−1783)

 18世紀最大の数学者といわれるレオンハルト・オイラーは,スイスのバーゼルで生まれました。牧師の父は息子に後を継がせたいと考えていましたが,数学者ベルヌーイは「息子さんは牧師ではなく,大数学者になる運命にある。」と説いて後継ぎを断念させたといいます。そして大学卒業後,ロシアのペテルスブルグやドイツのベルリンのアカデミーで数学の研究に打ち込んでいきます。
 彼は,26歳のとき画家の娘と結婚しますが,過度の研究と疲労のため28歳で右目を失明します。子供好きで,13人もの子供がいましたが,8人を病気で亡くしたり,大火のために家を失ったり,61歳の時には残る左目も失明して完全に盲目になるなど,次々に大きな痛手を被りながら,それでも屈せずに数学の研究を続けました。
 オイラーは,微分積分学,力学,数論,幾何学など数学のあらゆる領域にわたって数多くの業績を残し,史上最も多産な数学者と呼ばれています。彼の死に関して歴史家は,「オイラーは計算することをやめ,生きることをやめた」と表現しています。

 オイラーが発表した書籍や論文は500編以上もあり,死後さらに400以上の著作が見つかりました。スイス版オイラー全集は90巻を超え,今でも完結していません。

《戻る》