北 数 教
第43回 数学教育実践研究会

−教育現場のおける基礎研究−

行列方程式の解法について

(可換零因子の存在と一意性)

平成14年11月30日(土)

北海道石狩南高等学校
数学科教諭 小栗 是徳

0、前回の訂正と補足

 前回(第42回 数学教育実践研究会兼第8回数実研"夏季セミナー"において発表したレポート『行列における零因子の構造』について、下記の通り訂正と補足をします。関係するのは、同レポート7頁下段〜8頁上段です。第57回北数教大会では、訂正、補足済みですが、改めてお詫び申し上げます。関係箇所を再掲すると

(3) T AB=OとなるA,Bの必要十分条件は何か?

A=(m,n),B=(n,l)とする。

Prop2 AB=O⇔ImB⊆KerA

pr) ☆より『AB=O⇔ib'j=0⇔ib'j』及びProp1のCorより成立。□ Prop2は、Tの回答として明快であるが、これについて補足する。

Cor  AB=O⇒rankA+rankB≦n

pr) Prop2により、AB=O⇒ImB⊆KerA⇒dim(ImB)≦dim(KerA)
               ⇒dim(ImB)≦n−rankA[∵Th3のCor
               ⇒rankB≦n−rankA □
 上記のCorは、が成り立つとは限らない。そこで、零因子を改めて定義する。

Def8(零因子の定義)
 Aが零因子とは、OでないAに対して、∃B≠O s.t. AB=O または BA=O

 このように定義して、『rankA+rankB≦n』を仮定すると、Aに対して『ImB⊆KerA』つまりB=('')をKerA={}のsub.sp.ととれば、Corのも成立。
この結果、Tの回答として『AB=O⇔rankA+rankB≦n』が得られる。 ☆☆

4 任意の行列Aに対して、AB=O,CA=OとなるB,Cをそれぞれ構成せよ。

AB=OとなるBの構成については、3で明らかになった。
次に、CA=OとなるCの構成については,Cを(k,m)行列とすると☆☆より、『CA=O⇔rankC+rankA≦m』が得られる。
具体的には,Prop1を使うと、V⊇ImA:sub.sp.より、V=(ImA)(ImA)
(ImA)≡{x∈V:xS'=0,1≦∀i≦n}={x∈VtxA=
 ここで、行ベクトル:tx=(x1…x)∈VはVのsub.sp.である。よって、
     ∈V
1≦∀i≦kの構成は、Aに対して、{}を(ImA)のsub.sp.ととればよい。

 以上の中で、『Def8(零因子の定義)』からを、訂正、補足します。この中の、☆☆は成立しません。何故なら、『rankA+rankB≦n』を仮定すると、そのときA,Bは、既に与えられているので、Aに対して『ImB⊆KerA』、つまりB=('')をKerA={}のsub.sp.ととることはできないからです。
 したがって、これに関係した部分を、下記の通りに訂正します。
 また、この訂正の中で、左零因子、右零因子を使っていますので、上記のDef8(零因子の定義)『Aが零因子とは、OでないAに対して、∃B≠O s.t. AB=O または BA=O』を、本稿7頁のDef1で、左零因子、右零因子、可換零因子まで言及して再定義しました。

[訂正後]

 上記Prop2のCorの逆は、成り立たない。
 本稿7頁のDef1のように定義すると、Uの回答は、与えられたAに対してProp2より、『ImB⊆KerA』、つまりB=('')をKerA={}のsub.sp.となるようにBを構成すればよい。B=Oは自明であるので、これを除外したBが構成できるためのAの条件を考えると、次のようになる。

Prop3 Aが左零因子⇔1≦rankA≦n−1

pr)(⇒)Def8よりA≠Oに対して、∃B≠O s.t.AB=O
 A≠Oより、1≦rankA。
 B≠Oより、1≦rankB。よって、Prop2のCorより、rankA≦n−rankB≦n−1
   ∴ 1≦rankA≦n−1
)Th3のCorより、1≦n−dim(KerA)≦n−1 ∴1≦dim(KerA)≦n−1
 B≡KerAととれば、B≠OかつProp2よりAB=O よって、Aは左零因子  □

Cor1 Aが右零因子⇔1≦rankA≦m−1

Cor2 Aが零因子 ⇔1≦rankA≦Max(m,n)−1

 次に、CA=OとなるCの構成については,Cを(k,m)行列とすると,Prop1より、
   V⊇ImA:sub.sp.、V=(ImA)(ImA)
 (ImA)≡{x∈V:x・'=0,1≦∀i≦n}
     ={x=(x…x)∈VxA=
はVのsub.sp.である。 よって
     ∈V
1≦∀i≦kの構成は、Aに対して、{}を(ImA)のsub.sp.ととればよい。 [以上、訂正終]

 本稿は、前回とリンクしているのですが、前回のレポートをみていない方も対象に記述しました。そのため、前回と一部重複しているところがあります。

1、はじめに

 実数や複素数の世界では、零因子は存在しないので『xy=0⇔x=0 または y=0』が成立する。これゆえに、2次以上の方程式の解は因数分解によって求めることができる。 ところが、行列の世界では、因数分解ができても零因子が存在するために厄介である。
 例えば『A−A−2E=Oをみたす正方行列Aを求めよ』という問題は(A−2E)(A+E)=Oより、A=2E,−Eは明らかだが、これ以外にもA=Aなる解が存在する。このとき、A−2E≠O,A+E≠O,(A−2E)(A+E)=Oが成立するので、A−2E、A+Eを零因子という。
 この零因子を回避した解の求め方については、公文国際学園の石濱文武氏は『数研通信』43号で『行列n次方程式の解法』と題して、次のように統一的に論じている。

2次の正方行列については、Caylay-Hamiltonの方程式 A−(a+d)A+(ad−bc)E=Oを使えば、Aのn次方程式F(A)=Oに対してAの次数を下げて、sA=tEとできる。
(@)s≠0のとき、A=kE,ここでkはF(k)=Oの解
(A)s=0のとき、t=0,このときAは、s=t=0なる行列
としている。

 この方法を仮に『sA=tE法』と名付けよう。
 ところが、同氏は『§5 おわりに 注A』で、『(A−2E)(A+E)=Oより、det(A−2E)=0,det(A+E)=0から、A=2E,−E以外の解を得ることもできるが理論的に難点があることに注意しなければならない』としている。
 同氏のここでいう難点とは、零因子の存在である。つまり、行列方程式を解くに当たり、立ちはだかるのが零因子なのである。
 実際の教育の現場で、生徒に指導する場合は、上記の『sA=tE法』が容易であり、零因子を避けて指導することになる。しかし、生徒は後述のように零因子に興味、関心をもっているので、教育的指導の立場からは、逆に積極的に零因子を研究し動機づけに大いに活用したいものである。そうすることによって、教師自身も生徒と共に学ながら数学の世界を広げられよう。
 本稿の目的は、前回のレポートを発展させ、『行列における零因子とはいかなる構造をしているか』という生徒からの質問に、さらに具体的に応えると共に、零因子を応用した行列方程式の解法である。
 本稿でのキーワードは、可換零因子であるが、このアイデアは、極めて単純である。それは、(A−2E)(A+E)=(A+E)(A−2E)=Oを観察していて、A−2EとA+Eとが可換であることから思いついたのである。したがって、本稿は、この『可換零因子』を重要な条件として展開している。

2、零因子とは何か

行列における零因子とは、例えば
     
のように、A≠O,B≠O、AB=O が成り立つとき、A,Bを零因子という。
ここで、左側の零因子の例は、非可換である。よって、一般に零因子は可換でない。

(1) 高校生にとっての零因子

 高校生にとって初めての零因子との出会いは、新鮮な驚きである。本校でも、かつて数学Cの授業で生徒から『行列における零因子とはいかなる構造をしているか』『どうすれば零因子がつくれるのか』という質問があったばかりでなく、昨年の本校生徒の加賀谷英樹君は、以下の通りの小研究を試みた。

(2) 生徒の小研究(要旨)

 上記のような例から、2次の正方行列について『零因子⇒逆行列をもたない』ことが予想されるので、これを背理法によって証明。(必要条件)
 ところが、逆に
   
のように、『逆行列をもたない』からといって『零因子』になるとは限らないので、十分条件についても考えた。
     
とおくとき、必要条件より、//'//'であるが、必要十分条件として
    『AB=O⇔'=0⇔' 1≦∀i,j≦2』
を導いた。

3、零因子の定義

 通常、『A≠O,B≠O、AB=O が成り立つとき、A,Bを零因子という。』としているが、この定義では、AとBの双方を零因子としているため混乱が生じている。実際、石濱氏や本稿22の生徒の小研究では、『PQ=O⇒detP=0 かつ detQ=0は成立するが、この逆は成立しない』としている一方、例えば数研出版の『改訂版 チャート式 解法と演習 数学V+C』の267頁のinf.では、『Pが零因子⇔Pは逆行列をもたない』としている。
 いずれも、零因子の定義がwell-definedでないために起こる混乱である。そこで、零因子を次のように定義する。

Def1(零因子の定義)
@ Aが左零因子とは、OでないAに対して ∃B≠O s.t.AB=O
A Aが右零因子とは、OでないAに対して ∃B≠O s.t.BA=O
B Aが零因子とは、Aが左零因子または右零因子、つまり
  OでないAに対して ∃B≠O s.t.AB=O または BA=O
C Aが可換零因子とは、Aが左零因子かつ右零因子、つまり
  OでないAに対して ∃B≠O s.t.AB=BA=O

Remark このように定義すると、『Pが零因子⇔Pは逆行列をもたない』が成立する

Def2(行相似、列相似)
正方行列P,Qについて
PとQが『行相似』とは、PとQの対応する各行ベクトル同士が従属
PとQが『列相似』とは、PとQの対応する各列ベクトル同士が従属

Remark 通常の線型代数学では
 『PとQ相似⇔∃A s.t. detA≠0 かつ Q=A-1PA』と定義しているが、ここでの行相似、列相似とは、単純に各行や列の成分の定数倍のことである。

以下すべて、2次の正方行列に限るものとする。

Lemma1(左零因子同士または右零因子同士の関係) A≠0のとき、
  BA=CA=O⇒BとCは、行相似、つまり、左零因子同士は行相似
  AB=AC=O⇒BとCは、列相似、つまり、右零因子同士は列相似

pr) detA=0より、Aの各列ベクトル'同士が従属
したがって、 とおくと、BA=CA=Oより''
つまり、'かつ' よって、は従属となり、BとCは、行相似
同様に、『AB=AC=O⇒BとCは、列相似』も成立する  □
Lemma2.A≠0のとき、BA=CA=O かつ AB=AC=O
 ⇒∃k:スカラー s.t. C=kB または B=kC pr) B=O または C=Oのときは、k=0ととれば成立するので、B≠O かつ C≠Oとする
detB=0より、detC=0よりとおくと、Lemma1よりBとCは行相似だから=lとおくと
次に、再びLemma1よりとCは列相似より、とおくとC=(lm)Bが成立。
このとき、k=lmとおくとk≠0  □

4、可換零因子の存在と一意性

Main Theorem1.A≠Oとする
   detA=0⇔∃1B≠O s.t. AB=BA=O 但しBの一意性は定数倍を除いてである pr)については、背理法により成立
⇒についてとすると、detA=ad−bc=0

[第1段]Bの存在を示す
Caylay-Hamiltonの方程式より、A−(a+d)A=O
   {A−(a+d)E}A=A{A−(a+d)E}=O
よって、A≠Oに対して、とおけば、
B≠O かつ BA=AB=O が成立する

[第2段]Bの一意性を示す
if,∃C≠O s.t. AC=CA=Oとすると
detA=0、BA=CA=O かつ AB=AC=Oが成立しているので、
Lemma2.より,∃k≠0:スカラー s.t. C=kB
よって、CはBの定数倍 となり、Bの一意性が成立する  □

Th2.(可換零因子の構造)
A≠O、B≠Oとする。A=(aij),B=(bij)で表すと
  AB=BA=O⇔detA=detB=0 かつ ∃k≠0:スカラー s.t.
           kaii+bjj=0,kaij=bij,1≦∀i≠j≦2

pr)についてとおくと、detA=ad−bc=0
kaii+bjj=0,kaij=bij 1≦∀i≠j≦2より、となる
このとき、AB=BA=Oが成立
⇒について 背理法によりdetA=detB=0が成立
とすると、Main Theorem1.よりであるから
   kaii+bjj=0,kaij=bij 1≦∀i≠j≦2が成立  □
Cor. A≠O,A=O ⇔ detA=trA=0 pr) Th2.で、B=Aとおけばよい  □ Def3.A=O かつ Am−1≠OとなるAを冪零行列という。

 冪零行列は、Def1から可換零因子の特別な場合である。次のCor2.ように、行列方程式が重解のとき、冪零行列になるので、冪零行列の構造についても調べる必要がある。

Pop1.(冪零行列と固有値)  Aを冪零行列、つまりA=O かつ Am−1≠O⇔Aの固有値はすべて0

pr)については、Caylay-Hamiltonの方程式で解と係数の関係から成立
⇒について、Aの任意の固有値をλとすると、∃x≠0 s.t.Ax=λx
よって、Ax=Am−1(Ax)=Am−1(λx)=λ(Am−1x)
以下同様にして、Ax=λxが成立。 A=Oよりλ=0 ∴λ=0   □
Remark1.Prop1は、その証明も含めn次正方行列に拡張できる

Cor1.2次の正方行列では、Aが冪零行列⇔ A2=O かつ A≠O

Remark2.このCorの結果、冪零行列Aの構造は、m=2のときについて調べればよい

Cor2.(A−αE)=O,k≧2 ⇔ A=αE、αE+A ここで detA=trA

5、行列方程式の解法について

Prop2.2次の正方行列Aについての行列方程式 A+kA+lE=O の解は、特性方程式x+kx+l=0 の2つの解をα、βとするときα=β(重解)も含めて
(@) A=αE、βE
(A) trA=−k,detA=lをみたす任意のA pr) 条件より、因数分解して (A−αE)(A−βE)=(A−βE)(A−αE)=O ☆
よって、(@) A=αE、βE は成立
次に(A)は、Th2を使って示す
とおくと、 
ここで、A−αE≠O,A−βE≠Oであるから、Th2より☆は次の2式と同値
 det(A−αE)=det(A−βE)=0 かつ (a−α)+(d−β)=0
解と係数の関係より a+d=−k,ad−bc=l つまりtrA=−k,detA=lが成立。
特に、α=β(重解)のとき、(A−αE)=Oより、A=αE以外の解は、Th2のCorより、det(A−αE)=0 かつ tr(A−αE)=0 と同値である。
同様に解と係数の関係よりa+d=−k,ad−bc=l つまりtrA=−k,detA=lが成立  □

6、まとめ  −今後の進展−

(1) 解の存在と一意性

 Th2は、『可換零因子の構造』についての明快な結果である。それを可能にしたのは、MainTheorem1で『可換零因子の解の存在と一意性』が保証されたからである。一般に、数学では、存在は容易であるが、その一意性が問題になることが多い。
 具体例を上げると、例えば本校の職員レクリェーションでかつて、余興的に出題された問題である。『1/3=(1/x)+(1/y)+(1/z) をみたす異なる自然数(x,y,z)の組を30秒間で求めよ』と言われて時間内にできなかったことがある。要領のいい人は、多分x,y,zとして適当な3の倍数を考えて、数当てをするであろう。しかし、その結果、答えの1つが見出されたとしても、それは答えの1つが求まっただけであって、解の全てである保証はない。ここが、算数と数学の分岐点である。数学では、解の存在の次に、解は唯一つか、それ以外に解はないか、さらに論証しなければならないのである。
 本稿で、2次の正方行列について、『可換零因子の構造』が明らかになったが、これを3次以上にすると様相が一変する。3次元空間を考えただけでも、AB=Oのとき、次のように3通り考えられるので、一意性は言えなくなってしまうからである。

A,Bが3次の正方行列のとき
CASE1:A,Bが2次のときの単純な拡張。このとき、i'jで1つの平面πを決定している。(πを3次元空間の真部分空間という。)

CASE2:iが1つの平面πを決定して、π⊥'j (このとき、πを{'j}の直交補空間、または{'j}をπの直交補空間という。)

CASE3:上と逆に'jが1つの平面πを決定して、π⊥i(直交補空間も同様)

まとめると、空間(3次元)では
『AB=O⇔iを含む平面πまたは直線lと、'jを含む直線gまたは平面Σが、垂直』
  (このとき、平面π、直線lを、それぞれ直線g、平面Σの直交補空間という。)

 一般に、これをn次元に拡張すると、n次元空間を垂直な2つの部分空間W、Wに分割したとき、このWからiを、Wから'jをとれば、AB=Oが成立する。
 このように一意性は無理としても、前回のレポートでn次元空間で可換零因子の存在が証明できたので、n次正方行列の中で可換零因子が集合的にどんな位置付けになるか研究する余地は残っている。この場合、本稿での議論がどれだけ3次元以上に拡張、発展できるか、今のところ全く見通せていない。また、2次正方行列でも、行列次方程式の解法以外に、可換零因子が応用が考えられる。
 教育的にも研究的にも、零因子はその定義すら曖昧で、厄介者扱いされているようで残念なことである。一般の零因子は、明らかに研究対象にはなり得ないが、行列における零因子は大いに教育的かつ研究的に開発の余地を残していると思う。

(2) 数学教育における説明責任
 最近、情報公開と共に説明責任が盛んに言われるようになった。数学教育の世界でも、いろいろな場面で説明責任が問われるであろう。この中で、生徒からの数学に関する質問、疑問に対して、きちんと対応することは、説明責任ということばを使うまでもなく、数学教師としては当然の義務である。これらの責任や義務を果たさないと、教師と生徒間の信頼関係は根本から崩れてしまうであろう。数学教師として数学に関して生徒に責任をもつためには、今回の『零因子』に限らず、基礎研究は必要不可欠である。