←TOP  ←BACK  →NEXT
2_5 数学教育への利用の形態

 次に,数学教育へのインタ−ネットの活用法にはどんなものがあるのかを考えてみたい。橋場弘和の「数学教育におけるインタ−ネットの利用」('96)の中では,次のような提唱がなされている。

 この中では数学に関する様々なトピックスのみならず,実践記録までも“素材”として語られている。それらを蓄積,取得,実践し,そしてそれを検証することの必要性をうたっているといえる。そうした“素材”にまず目をむけることが大事であり,数学教育にどのようにこれから生かしていくべきかを探ることから始めるべきなのであろう。

 現実問題,数学の一斉学習の中にインタ−ネットを活用しようとしても今の現状ではかなり無理がある。それは,

など,様々な要因があると考えられる。しかし,視点を「指導する教師側の教材開発・指導法の研究」という観点からと「学校の一斉授業という枠を取り払った学習」という両面から考えてみた場合,現状でも様々な可能性を秘めているといえる。それは,橋場弘和の提唱にも共通するものがあると思われる。今のこの実践を次にも生かしていく。限られた地域だけでは得られない情報。ネットをまず教員自身が活用する価値は十分あるのではないであろうか。

 次に学習者の側に立った観点で考えてみよう。昨今,情報化や社会の変化に伴い数学の必要性が増してきているにも関わらず,生徒たちの数学離れが確実に進んできている。その原因の一つとして,これだけ世の中のマルチメディア化が進んでいるにも関わらず,学校の一斉授業の中ではそうした現実に対応しきれていない側面があるといえる。生徒の実態に迎合しなければいけない,などということは決してない。しかし,生徒の持つ興味・関心が多様化している現在,何らかの方法でそれらに対応していく必要もあるのではないであろうか。生徒が自分の問題・関心のある場面を広げながら学習し,自分のペ−スで進めていく,またはフィ−ドバックする。そうしたことをネットは可能にしてくれる。前出の「インタ−ネットは数学教育を変えるか」の中で,奥村は次のように述べている。

教師が行う授業の内容と生徒が学習すべき内容とは,一般的には同じではない。普通はそのギャップを埋めるのに生徒は苦労するのだが,そこで用いられるのは参考書や問題集である。しかし,参考書や問題集で語られるのは到達すべき問題への解答方法であり,紙面などの制約からそれらがすべて数学が本来持つ内容を提示しているとは思えない。理解への道で出会う多様な間違いや,ちょっと横道にそれることが許されるような豊かな数学の世界が求められる。

 一斉授業の中での学習はもちろん大事である。しかし,その中では補いきれない「数学に対する興味・関心」の芽を大事に育ててあげることは否定されるべきではない。生徒一人一人の興味や関心には,当然個人差がある。一人の教師が繰り広げる「教室での世界」では学べない世界がそこにはあるのではないだろうか。そのとき「探求学習支援者」としての役割が,教師には生じる。

←TOP  ←BACK  →NEXT