現行の学習指導要領の目標には、高等学校段階で数学の履修を終える生徒に対するより一層の配慮が必要になってきている。そして、このような生徒に求められている数学的な資質は、単なる数学の知識や技能に重きを置くものではなく、見通しをもち筋道を立てて考えたりすることができるという能力である。数学の学習を通して身に付けた、数学的なものの見方や考え方を中心とした数学的な資質は、将来にわたって生きて働き、社会生活を営む上で有効に活用される。したがって、数学教育においては、知識や技能をいかに多く教え込むかではなく、どういう考え方の下にどのような取り組み方をすればよいかを教えることが重要となってくるのである。
次期学習指導要領で新設される「数学史」では上記の目標を深化発展させたものと考えるべきである。そのために以下の観点に立った数学観が求められる。
2 総合学習としての数学史
次期学習指導要領では、総合学習が新しく導入される。数学と世界史と物理を結びつけた総合学習の教材として微積分が考えられる。高等学校で扱われる微積分や確率統計は天文学・力学・物理学などの自然科学や政治経済や人間の社会生活・思想とかかわって誕生したものである。学問として体系化された数学では、こうした背景は捨て去られてしまっている。
微積分は17世紀に近代科学、特に動力学の手段として創られたものである。以下の内容は東京工業大学名誉教授、遠山啓が学生・生徒・教師・父母を対象として微積分をわかりやすく講演したものである。(詳細は遠山啓 著『コペルニクスからニュートンまで』 太郎次郎社 参照)
ヨーロッパの近代科学は、近代の世界像を生み、近代思想の源泉となったものである。こういう背景とともに微積分を導入すれば、学習の意義も理解され、生徒の学習意欲が喚起される。
3 数の拡張と数学史
生徒にとって一番身近な数学的な対象は数である。数の拡張は理論的には、形式原理にもとづいて、正の整数 ⇒ 負の整数 ⇒ 有理数 ⇒ 無理数 ⇒複素数の順で行われるが、歴史的順序は 自然数 ⇒ 有理数 ⇒ 無理数 ⇒負数 ⇒ 複素数で理論的順序とは異なっている。
人類が数を拡張していく過程を体系的に学習すると、世界共通な学問と考えられる数学が地域や民族によって違いがあることがわかる。バビロニア・エジプトでは有理数を分数で、中国では小数をもとにして考えている。
また、三平方の定理は世界各地で独立に発見されたものと思われているが、発見の背景やそれが扱っている問題はかなり異なっている。
現在では世界中の人が同じ数字、同じ記号を用いて数学を学習・研究しているが、歴史を振り返ってみると数学そのものがもつ意義、数学が果たしてきた役割の相違などがみられる。そこで、このようなことを何らかの方法で教えることによって、数学を世界的視野からみて、異文化に対する理解を深めるのに役立たせることができる。つまり、数学教育における国際化教育とは、教材を世界史的観点からみることによって、異なる様々な見方・考え方があることを理解させることである
さらに、力のある生徒に対しては3次方程式の解法から誕生した虚数単位iが三角関数と指数関数を結び付けるオイラーの公式 に現れることや、複素数の拡張である四元数に触れると数学のもつ奥深さや美しさを感じてもらえる。
4 課題学習と数学史
中学校の学習指導要領では、第2学年及び第3学年においては、生徒の主体的な学習を促し数学的な見方考え方の育成を図るため、各領域の内容を総合したり日常の事象に関連付けたりした適切な課題を設けて行う課題学習を、指導計画に適切に位置付け実施するものとする。課題学習は数学的な知識・技能の習熟より、生徒の数学に対する興味・関心や創造力、活用する力の育成を主眼にしている。
自ら学ぶ意欲を育てるためには、第一に興味・関心をもってもらわないとならない。そのためには、数学教師として立場から数学的に興味のある課題でなく、生徒が興味・関心を示すような課題を選ぶことが大切である。
課題の選定に当たっては次の3条件を満たすものを考慮する必要がある。
5 数学者のエピソードと数学史
生徒に数学は身近なもの、楽しいものと感じてもらうためには、数学者の伝記・逸話なども有効である。高校で学習す内容に関係する数学者、タレス、ピタゴラス、アルキメデス、カルダーノ、デカルト、ニュートンなどはエピソードにことかかない。彼らのエピソードを教科通信で取り上げたりすることも大切である。
6 大学入試問題と数学史
力のある生徒には大学入試も考慮しなければならない。歴史的な背景をもった問題を考えられた時代にさかのぼって指導することも、生徒の理解を深めるために大切である。
そのためのイントロとして効果的な番組がある。平成7年7月24日から8月11日までNHKで放映された「秋山仁の数学タイムトラベル」である。
その内容は
第1回 数列の和(ピタゴラスの小石並べ)
第2回 平方根の近似と不等式(バビロニア人の知恵)
第3回 数三角形と二項定理(パスカルが見つけた神秘の宝庫)
第4回 期待値と戦略(フェルマーへの手紙)
第5回 自然と数学その1(フィボナッチ数列と黄金比)
第6回 不定方程式と整数解(オイラーと互助法の逆利用)
第7回 平面幾何の証明とは(ユークリッドと定理の連鎖)
第8回 座標平面と2次曲線(図形を式で表した男・デカルト)
第9回 作図と方程式(ガウスが夢で見たもの)
第10回 自然数と数学その2(指数計算を簡便化したネーピアの秘術)
第11回 図形と三角比(天体の幾何学者プトレマイオス)
第12回 高次方程式の解法(立方体をモデルに3次方程式を解いたカルダノ)
第13回 求積法(思考天秤で体積を求めたアルキメデス)
第14回 微積分の基本定理(ニュートンのひらめき)
第15回 自然と数学その3(ケプラーと宇宙を支配する曲線)
たとえば、第12回では3次方程式のカルダノ・タルタリアの解法のアイディアを紹介して、以下の山梨医科大学の問題を扱っている
3次方程式…@
を解くのに、両辺をで割って …A
次に[ア]…Bとおき、2次の項を消して
…C の形にする。ここで、…Dとおき、整理すると
([イ])…Eとなるから
…Fを満たすを求めることに帰着する。
…Gに注意すれば、とは2次方程式…H
を解けば求められる。したがってももわかるから、B,Dよりが求められる。
そこで、次の各問に答えよ。
以上のような展開になっている。
7 教師と数学史
次期学習指導要領では規制緩和の流れを受けて、学校現場での裁量の範囲が拡大される。これは両刃の剣である。教師の創意工夫が発揮しやすくなる。反面、教師の指導責任が厳しく問われることが予想される。
現在は大学受験に必要、あるいは必修科目という縛りが存在している。将来、この縛りがなくなったとき、どれだけの生徒が数学を選択するだろうか。より多くの生徒に数学を選択してもらうために、数学の魅力を伝えなければならない。
数学は「足場を取り払った建築物である」と言われている。それが数学の美しいところであるが、生徒にとっては身近なものとは感じられない理由になっている。生徒の理解を深め、生徒にとって魅力あるものとするためには、その数学が生まれた時代背景や足場の部分の説明を丁寧に説明することが大切である。
教師が数学史を学習して、文化としての数学の理解を深めることが、数学史の授業だけでなく、日常の数学の授業全般が魅力のあるものとなる。そのための研鑚を重ねることが重要である。
高等学校学習指導要領解説(数学編・理数編) 文部省 遠山啓のコペルニクスからニュートンまで 遠山啓 太郎次郎社 秋山仁の数学タイムトラベル 秋山仁 日本放送出版協会
参 考 文 献