毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-14 1992.10.27(Tue)

★夢を語る★〜PartT〜

教師になって今年が9年目,稲雲高校が2校目,年齢は31才とまさに今が脂ののりはじめたときだ.中学生の時に教師になりたいと思い,高校時代に教師になることに迷い,大学時代に教職に生きがいを見いだし,前任校では教育の難しさと挫折感を味わい,正直な話,教職をやめたいと思ったこともある.(今はそんな気はさらさらないが.)そんな俺にもなりたい教師像がある.その中から今日は1つ目として,話をしてあげよう.

《大きな手の平を持った教師》

別に物理的に手の平がでかいと言うのではない.ジャイアント馬場でもあるまいし.そうではなくて,人として度量のある,人間的に幅のある教師になりたいと言うことだ.

初めて担任を持ったとき,自分のクラスから何人もの退学者が出た.それはそれでそれぞれの理由があって辞めて行ったし,引き留める理由もなかったので仕方の無い事ではあるが,やはり担任としては残念な思いがある.高校に入学して担任と生徒として出会ったのだから卒業するまでつき合いたいものだ.

別に,TVドラマの熱血教師になりたいわけではないのだが,心のどこかにそんな熱血教師への憧れがあったのかもしれない.学校を辞めたいと相談に来た生徒に,ここぞとばかりに学校を辞めるんでないと説得をした.俺が学校を辞めたいと思っている生徒の心を変えてみせると,意気込んで説得をしたものの,辞めたいと決めた心が変わるわけが無い.クラスの生徒を使っても駄目,親と協力しても駄目,どんな手を使っても,辞めると決めた心を変えることはできなかった.それ以来何人の生徒が辞めて行っただろう.病気で辞めた者,経済的な理由で辞めた者,非行事故を繰り返し辞めて行った者.3年間で6人の生徒が辞めて行った.それ以外に出席不足や,成績不良で留年した者は3年間に3人いた.つまり,俺は3年間で9人の生徒を俺の手の平からこぼしてきたことになる.

入学式後のHRで,「この出会いを大切にしよう.みんなそろって卒業式を迎えよう.俺はおまえ達の誰一人として置いて行きたくない.だからみんなも俺について来てくれ.」と言ったのに,俺は3年間で9人の生徒を置いてきた.正直言って悲しいし,辛い.もちろん中には,もう面倒みれないからほっとしたという奴もいた.

君達にはよく理解できないかもしれないと思う.稲雲高校は退学者が少ない学校だ.昨年俺の持っていたクラスは,2年間受け持ったが,一人も辞めなかった.でも,俺が前いた学校は,毎年10人以上の退学者が平気ででる学校だ.しかも1学年3クラス,3学年で9クラスしかない学校でだ.(君達の学年よりも少ないんだよ,クラス数が.しかも1クラスは30人ちょっとしかいないんだ.俺が最後に卒業させたクラスは28人だった.)

初めて持った担任で退学者や留年者がたくさん出たら,誰だって嫌になる.俺に指導力が無いからだろうか,俺に生徒を理解する力が無いからだろうか,俺に教師としての資質が無いからだろうか,といろいろ悩んだりもした.が,悩んでばかりいてもしかたがない.この現状を打開しなければならない.何とかしなければならないのだ.

なりたい教師像はたくさんある.が,とりあえずは大きな手の平を持った教師,人として度量のある,人間的に大きな教師になりたいなと思っている.それが,自分のためでもあるし,生徒のためでもあると思っている.

俺よりすごい奴はたくさんいる.今すぐなどとうていかなわない奴もたくさんいる.男として,人として,1個人として,完全に負けていると感じるほどすごい奴もいる.

でも,今で比較しても仕方が無い.確かに今が問題になっているのだが,相手は随分と年上だ.どんなに頑張っても,年齢だけは追いつく事ができない.

50代の人を捕まえて30代の俺が勝負しようと思えば,想像もつかない努力と時間が必要になる.もちろん精神力も.

相手は俺より20年も余分に経験を積んでいる.(だてに積んでいる人もいるが・・・)

今すぐなど20年のギャップを埋めることは無理だ.

それならば,俺が50代になったときに,その人を越えていれば,その人よりも,人間的に大きく成長していれば・・・.それならば充分できるはずだ.

 いつもそう思いながら毎日を生きているし,毎日を頑張っている.

毎日頑張る,いつも自分の10年後を見つめて.

失敗は失敗.それはそれで仕方がない事だ.ならば同じ失敗をしなければ良いだけの話だ.そんなに難しいことではない.

 教師を始めて9年目,今振り返れば,新任の頃の何とも頼りない,又何とも情けなかった事か.できるならばどこかに埋めてしまいたいくらいだ.特に最初の3年間は,今思い出しても自分自身で恥ずかしくなるし,他人が見れば,何やってんだ??あいつは???そう思うに違いないような状況だった.でも,そんな時代を通り過ぎないと誰も一人前になれない.後はいかに短い時間ですますかということだ.誰でも最初は,新米だ.でも,他人がみればその道のプロに見える.俺も教育のプロだし,プロであるべきだ.だからこそ,恒に向上心を持って毎日を送っているつもりだ.

大きな手の平を持った教師になりたいな!!さてさて,今の俺の手の平はどれくらいだろう?(図は大河内先生の手のひら)

Printed in Tounn.1992.
Written by Y.O^kouchi.1992.
Copyright 1987,1992 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.