毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-23 1992.12.1(Tue)

★期末考査が始まるぞ!!!★

いよいよ,明日から期末考査が始まる.そして,今日から12月,師走の声を聞くことになる.早いもので1992年も間もなく終わりを告げようとしている.この1年はどんな1年だったかな?と反省をするにはちと早すぎる.そう,まだやり残したこと,やらなければならないことはたくさんある.君達にとっては当面はこの期末考査に全力を注ぐこと.特に数学にネ!

期末考査が終われば,間もなく冬休みがやって来る.冬季の講習もあれば,クリスマスもある.もちろん中には補習で,学校でメリークリスマスを合言葉に,冬休み学校にやって来る者もいることだろう.誰とは言わないが・・・.辛いことも,楽しいことも,面倒くさいことも,待ち遠しいこともたくさんある.

そして,なんと言っても,期末考査が終われば2学期の成績がつく.1学期より上がったか下がったか?

まあ,2学期どんな生活をしたか,どんな頑張りをしたか自分の胸に手をあてて考えてみればだいたい予想がつくはずだ.まだ1年だから・・・などとのんびり構えて2学期を過ごした者は要注意だぞ.加えて色恋沙汰に身を任せていた者も・・・.

別に恋愛が悪いと言うことではない.15,6の高校生が異性に興味が無いこと自体が異常だ.異性に興味があって当然だ.だが,それにも節度がある.回りがみていて”なんだ?あいつらは?”などと映るような付き合い方は問題だね.清潔感がないとね.

まあ,何はともあれ4日間精一杯頑張りなさい.

 ★【塵も積もれば山となる】★〜本当に解っているかな?〜

・・・・・・ ・・・・・・

よく君達に俺は,「頑張りなさい.」というが,君達は本当にその意味を理解しているかな?知っている事と解っている事とは全然意味が違う.

・・・・・

例えば,【塵も積もれば山となる】,【千里の道も一歩から】,よく言われる諺だし,君達もよく知っている諺だ.しかし,君達は

・・・・・

本当にその意味が解っているのだろうか?

俺が思うに君達は知っているだけで,意味を解っていないと思う.なぜか?君達は塵を集めて山としたことがあるか?千里の道を歩いたことがあるか?やってもいないことを想像することは難しい.やってもいないのだから,やるときの苦労や努力,精神力や忍耐力などを想像することなどできない.

それでは俺は?千里の道を歩いたことはないが,塵が集まれば山となる経験はしてきたつもりだ.いや経験してきた.継続することの大変さは誰よりも解っているつもりだ.

だから,俺が【塵も積もれば山となる】という諺を聞いたときに思うのは,「ああ,そんな諺もあったな.」ではなく,「大変なんだよな.継続することは.」だ.

いつか必ず自分自身の手で塵を集めなければならない時が来る.いつか必ず自分自身の足で千里の道を歩かなければならない時が来る.その時が遅ければ遅いほど,苦労も苦しみも増えている.乗り越えなければならない試練が大きくなっている.その時が早ければ早いほど,苦しみも試練も少ない.

今の苦しみは,決して大きな物ではない.大きく感じるのは君達が本当の苦しみも,本当の試練も知らないからだ.甘えていてはいけない.君達だけが苦労するわけではないし,君達だけが大変なわけではない.誰もがみんなだ.ただ,それを顔に出さないで笑って頑張っているだけだ.自分を悲劇の主人公にすることだけは絶対にしてはいけない.

 ★自己成長のための捨て駒★

俺の出身が愛知県だということは,このMAT Informationの創刊号で話したと思うが(本人はすっかり道産子のつもりでいるが.),ではなぜわざわざ北海道まで来たか?解るかな?わかんねーだろうな.

俺は昔,とても気が小さくて言いたいことも言えなかった.(今でももちろん気が小さくて言いたいことが言えずにいるが.)そして,そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった.何とか自己変革を遂げたいと思いながら,うまく自己変革ができずにいた.近所の人たちは小さな頃から俺を見て,俺のイメージが固定化されている.もちろん俺の親が俺を見る目も固定化されている.本州の方は歴史がある分,しがらみも多い.10数年の歳月をかけて出来上がってしまった殻を,イメージをぶち壊すことは並み大抵の事ではなかった.(俺にしてみればね.)

それでも何とか自己変革を遂げる手段はないかと模索していたときに,ふと浮かんだ事は,親元から離れることだ.しかも,できる限り遠くに離れて.

高校3年の春に担任の先生に,北海道教育大学の旭川分校か,琉球大学の教育学部を受験するつもりでいますと話したら,力一杯怒られた.真面目に考えてこいと.俺はいたって真剣に考えて得た結論なのに.

まあそれはいいとして,その頃の俺は,一応長男なので,家を継いでなどと考えていたわけだ.親が建てた家や土地は,俺がもらってと,まあ勝手なことを考えていたんだ.しかし,親元を離れる,離れたいと思うようになってからは,土地だの家だのという,いわゆる物欲がまったくなくなった.そう,消滅してしまったのだ.家や土地など弟がもらえばいい.そう思うようになった.

もし,物欲に取り付かれたままでいれば,今頃は北海道にはいなかったし,きっともっと情けない一生をうつむいたままで生きていくような人間になっていたと思う.

自己変革を遂げるためには,必ず代償がいる.得るだけということは絶対に有り得ない.必ず何かを手に入れたければ,それなりの代償を払わなければならない.俺の場合,自己変革を遂げる代わりに,物欲を捨てて来たわけだ

北海道に来た俺が言うのも変な部分があるが,一生を親元で過ごそうなどとけちな考えを持たないようにしてもらいたい.確かに北海道は住心地もいいし,素晴らしい土地だとは思うが,それは違う土地から来たから言えることだし,自己変革を遂げた今だから言えることであって,北海道から出て暮らしたことのない者が言えることではない.

世の中,凄い奴が山ほどいる.北海道の中にだけいては出会えないような凄い奴がたくさんいる.そんな奴に出会うことだけでも自分にはいい刺激になると思えるのだが.

結局,何が言いたいかと言うと,君達に北海道から一度出てごらんと言いたいのだ.世の中の広さを,自分の上に信じられないくらい凄い奴がいることを,そして,自分の下にもたくさんいることを,肌で感じ取らなければならない.それが必要なのだ.頭ではなく,肌で.

《井の中の蛙,大海を知らず.》ではなく,イソップ童話の「取れない葡萄はすっぱいにきまってる.」ではなく,広く世間を見つめる目を養うべきだね.

Printed in Tounn.1992.
Written by Y.O^kouchi.1992.
Copyright 1987,1992 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.