毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-25 1992.12.16(Tue)

★穴のあいたバケツでは水は汲めない.★

君達は穴のあいたバケツである.いきなりこんな事を言われると,一体何の事だろうと思うかも知れないが,今の君達を言い表すのに最適の表現だと思う.【穴があいたバケツでは水は汲めない.】読んで字のごとくである.穴があいたバケツで水を汲もうとしても汲んだ水は空いた穴からこぼれてしまう.どんなに頑張っても穴をふさがない限り水がこぼれでる.こぼれでる水の量よりも多い量の水をバケツに入れないとバケツは水で一杯にならない.

これと同じで,君達にも穴が沢山あいている.いったいどんな穴か?それは不得意教科という穴である.国語は得意だけれど,数学は苦手だ.理数系の科目は得意なんだが英語がどうも,国語がどうもと言ったように,君達はそれぞれに得意科目と,不得意科目を持っている.それは何も君達だけに言えることではなくて,誰もがそうである.みんながみんな得意科目と不得意科目を持っているのだ.

得意科目を一生懸命勉強する,これは容易にできることだ.なにしろ自分が得意としていることを勉強するのだから,たいして苦痛でもないしそれほどの不快感もない.むしろ楽しくできる.しかし,不得意科目を克服するとなると並み大抵の事ではない.なにしろ嫌いなものを,勉強したくないものを,解らないものを解るようにしようとするのだから大変である.ちょっとやそっとの決心ではすぐに挫折してしまう.

しかし,よく落ち着いて考えてみてほしい.得意科目を一生懸命勉強する,これは穴のあいたバケツに入れる量を増やすことである.つまり水道の蛇口を目一杯まで空けることになる.得意科目ばかり勉強することはバケツの穴を省みずひたすら入れる水の量を増やすことばかりに神経を注ぐ,こぼれる水の量など考えにいれないやり方だ.しかし,それには限度がある.無制限に入れる水の量を多くできるかというと,そうではない.どんなに一生懸命得意科目ばかりを勉強しても,とれる点数には限界がある.100点満点ならば100点までしかとれない.どんなに頑張っても200点300点とはとれない.

一方,不得意科目を克服することは,バケツにあいた穴をふさぐことだ.バケツの穴をふさぐと一言で言うが,そんなに簡単なことではない.空いている穴の大きさも様々であろうから,中には底が抜けているようなバケツもあるだろう.底がないバケツの底をつけることは容易ではない.又,そこまでひどくないにしても,大きな穴があいているバケツばかりであろうからすぐにはふさがらない.時間をかけてこつこつと,少しずつではあるが確実にふさいでいかなければならない.根気強く,粘り強く努力しなければならない.まさに不得意科目を克服することそのものである.しかし,それをやらなければならない.不得意な科目があるということは点数が取れない科目があると言うことである.他人と競争しなければいけないときに,人に劣る部分があるということは不利でしかない.

個性や人柄を競うのであれば,デメリットは工夫すれば幾らでもメリットに変えることができる.発想を転換すればいい.短所はいくらでも長所にできる.もちろん,人間的な成長としての話をしても勉強と同じような事が言える.今よりも更に人間的に成長をしようと考えれば,自分の至らぬ所,,未熟な所を治していかなければならない.それはバケツの穴をふさぐようなものである.ちょっとやそっとでふさげるほどに簡単な事ではない.どう考えても,やっぱり大変な事なのである.大きな穴をふさぐという事は.

しかし,試験では別である.デメリットはデメリットでしかない.試験は点数が物を言う世界である.点数の取れないものには情け容赦のない世界だ.悲しいかな,君達は目の前の敵と戦わなければならない.いや君達自身と戦わなければならない.そう,楽をしたい,苦労したくない,遊びたい,大学へ行きたい,お金が欲しい,そんな欲望や自堕落な自分自身と!

受験戦争は過熱の一途をたどるばかりだ.その現実に向かって,君達は自分の弱点を克服しないで臨むのか?穴のあいたままのバケツで臨むのか?よく考えてほしい.

誰もこんな事は好き好んで言いたいわけではない.俺はこんな事を君達に言いたいのではない.もっともっと別の事が言いたい.心を語りたい.夢を語りたい.

 でも,心を語るためには,夢を語るためには,まず目の前の壁を乗り越えないことにはどうしようもない.夢を語っていれば夢がかなうか?そんははずはない.夢を語る前に,夢を語りながら,夢を実現させる努力をしなければならない.心を語りながら,現実も見すえなければならない.現実から目を逸し,背中を丸めて生きていくような人間を育てたくない.現実をしっかりと見つめ,なおかつ心豊かな,夢を語れる人間を育てたい.

そのためには,まず君達の目の前にある現実をしっかりと把握させなければならないはずだ.

あえて苦言を呈す.

 自分の中の自分と戦え!自分自身の弱さと戦え!軟弱な精神とふがいない意志と戦え!君達自身の代わりをしてくれるものは,世界中どこを探してもいない.自分の人生は自分で,自分一人で切り開かなければならない.人に頼るな.人に頼ろうとする心の弱さと戦え!

苦しみや悩みの混沌とした泥海の中から,強い意志と,強靭な自分自身を見つけ出すのだ.

今はまさに苦悩の時節なのだ.古くさい言葉ではあるが青春時代が楽しいときだとは,40,50になったおじさんおばさんが言う台詞だ.青春時代のまっただ中にいる奴が青春時代が楽しいとは決して言わない.青春時代とは,年老いて振り返ったときに輝きを魅せる時代だ.青春の中にいる者には苦しみと悩みの時でしかない.要はそのときをどう過ごすかで,年老いたときの輝きが決まる.

恋愛で悩むもよし.勉強で悩むもよし.友人問題で悩むもよし.将来の事で悩むのもよし.沢山悩め!しかし,絶対に逃げ出すな!一度逃げだしたら,一生逃げ回ることになりかねない.

★冬休みを有意義に★

いよいよあと僅かで2学期が終了する.待に待った冬休みである.クリスマスもあれば正月もある.遊ぶ計画で頭の中はいっぱいの者も大勢いるだろう.しかし,冬休みは講習もあれば補習(わずかな人数だが.)もある.遊ぶだけの計画では駄目だ.夏休みに入るときにも確か言ったと思うが,遊ぶのは遊んでいい.その代わり遊んだと同じ時間,いやそれ以上の時間一生懸命勉強しなければいけない.

君達には毎日のように言ってきたつもりだ.『毎日勉強しなさい.』と.1時間でも2時間でもいい,とにかく毎日勉強する習慣を今つけておかないと.2年生や3年生になってからでは遅すぎる.1年生の今のうちに毎日勉強する習慣をつけないと.この冬休みはそのための最後のチャンスだと言ってもいい.このチャンスを逃したら君達は3年生の今ごろ途方に暮れるしかないことだろう.

遊びすぎて体を壊すだとか,夜ふかしのしすぎで生活のリズムが狂うだとか,そんな生活を送るなよ.俺が辛いのではなくて自分が辛くなるだけだ.

チャンスに強くなるためには常に自分をベストの状態にしなければならない.目の前にチャンスが転がってきてもそのチャンスがつかめないようでは悲しすぎる.中には,目の前にチャンスが来た事すら判らないままで終わってしまう者もいる.それはとても情けない事だ.

クリスマスも正月も関係ない.遊ぶときには大いに遊ぶが,やるべき事もしっかりやらねば!!この冬休みの過ごし方が3学期を決めると言ってもいい.3学期に涙しさないように!

Printed in Tounn.1992.
Written by Y.O^kouchi.1992.
Copyright 1987,1992 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.