毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-30 1993.2.3(Wed)

★夢を語る★〜Part2〜

《魅力的な人間》〜続・希望の種をまける教師になりたいな〜

(前号の続きだよ)

そうは言っても,俺も一人の人間である.自分の中の弱さに負けそうになることだってないわけではない.後悔に押し潰されそうにならないわけでもない.そう,誰だって弱さを持っているのである.それを誰もが見せまいとしているだけなのである.だからときどき声にして聞いてみたくなる,君達に.「俺は君達にとって魅力的な教師か?」と.

しかし,それは聞いてはいけない事だ.なぜなら,それは自分自身の弱さを君達に見せてしまう,さらけ出してしまうことになるから.俺の心の中にある不安に負けた自分自身を君達の前にさらけ出す事になるからである.だいたいが,そんなことは,俺自身が魅力的であるかどうかなど,わざわざ人に尋ねて答えてもらうことではないのである.そんなことをしなくても,自分に魅力があるかないかなどは,君達を見ていればわかることであるのだから.前号にも書いたように,君達は俺を映す鏡なのだから.それなのに,君達に「俺は君達にとって魅力的な教師か?」と尋ねることは,目の前にある君達という鏡を見ていないと言うことであるし,目の前の鏡すら直視できないような弱さを君達に見せるなど,そんな軟弱な生き方は俺自身が許せない.第一,そんな軟弱な教師が魅力的であろうはずもない.つまりは,「俺は君達にとって魅力的な教師か?」と尋ねたら,それこそ,その言葉を口に出したら,もう俺は魅力的でなくなってしまうのである.

それに,そんなこと聞かなくったって,ネ,俺なんか十二分に,いや,百二十分に魅力的でしょう.

そうは言っても,俺も君達と同じである.いつも自分なやった事が正しかったか間違っていたか,不安で仕方がない.自分の言葉が正しかったか間違っていたか,考えれば考えるほどに不安で仕方がない.誰かを傷つけたりしなかったか,誰かを悲しませたりはしなかっただろうか,と.でも,その不安に負けて何もできなくなったり,しゃべれなくなったり,あるいは下を向いて背中を丸めた人生をおくったりはしたくないし,そんな生き方は絶対にしない.それでは教師として君達の前に立てなくなってしまうし,それ以前に君達よりも先に生まれた者としての役割すらも放棄してしまうことになるから.プレッシャーになんか負けたりはしない.どんな事があろうとも.

そう,俺はいつも戦い続けている.自分の心の弱さと,未熟さと,軟弱さと,不安と.それしか俺には手がないから.自分の望む生き方をするためには,自分の希望を貫くためには,ただひたすらに,どれほど心が傷つこうが,負けそうになろうが,あるいは負けようが,死ぬまで戦い続けるしかないのである.そういう意味に置いては,君達と俺とは全く変わりがない.

いつだったかな?前任校にいた頃,卒業生が教育実習に来た事がある.直接担任を持っていた生徒ではないが,よく知っている生徒だ.今でも上手く言えないのだけれども,とても嬉しかった事を覚えている.何が嬉しいかって,彼が俺と同じ道を目指そうとしている事が嬉しかったのだ.だが,現実問題として,彼が教師にむいているかいないかと言う事を考えれば,ただ嬉しいと言うだけでは済まなくなる.そこには当然厳しい目を持って彼を見るわけで,正直に言えば,俺は向いていないと思った.”教師”にではなくて,”俺が考える教師”にである.ただその時は,教え子が教職を目指している,それだけで嬉しかったな.

いつか,俺の教えた生徒が教職について,いつか,同じ学校で教師としてまた出逢う.そんな事があったら,教師をやっていて本当に良かったと感じるかも知れないな.遠い遠い先の話ではあるが….もちろん,その時には,中途半端な気持ちで教職を目指していたりしたら,他の誰でもない,この俺がそいつの教職の道を潰してやる.理想が高いが故に,志しが高いが故に,絶対に妥協などはしたくないから.

教師は,【さるかに合戦】の蟹ではないが,「早く芽を出せ《希望の種》」と歌って水をまいているのだよ,肥料をやっているのだよ.そして,その水や肥料が,教師一人一人の魅力なのだ.だから,いくら《希望の種》をまいても,教師に魅力がなければ,まかれた種に水も肥料も与えられず,出るはずの芽も出ずに朽ちていく事になる訳だ.まあ,魅力のない教師が《希望の種》をまくとも思えないが….そんな教師に限って何もしないのだけども.

それに,《希望の種》をまいたからと言って,その《希望の種》が必ず芽を出すとは限らない.どんなに教師が魅力的であっても,一生懸命に,水や肥料をやっても,まかれた土壌が,まかれた心が荒れた荒野であった場合にはどうしようもない.そう,教師だけが頑張ってもダメなのである.まかれた君達も,いや,まかれた君達こそが【さるかに合戦】の蟹のように,「早く芽を出せ《希望の種》」と歌って水を,肥料をやらなければいけないのだよ.君達こそが,教師の魅力を吸収していかなければいけないのだ.何しろ,《希望の種》は君達の心にまかれたのだから.まかれた時点で,それはもう俺の物ではなくて,君達の物だから.

その意味においては,「お前がまいた《希望の種》など絶対に育ててやらないぞ!!」と言われるかも知れない.だが,だからといって,《希望の種》をまくのを止める訳にはいかない.そんな事をしたら,俺が俺でなくなってしまうし,俺が教師をしている意味も何もなくなってしまうから.大変な職業でしょ?教師って.

高校の数学の教師は確かに数学で飯が喰える職業の一つである.そういう意味において,高校の数学の教師に不満は全くない.とは言ったけど,高校の教師は純粋に数学だけでは飯が喰えないのも事実である.数学以外にも,いやむしろ数学以外の知識や技能の方が多く必要になってくる.もちろん好きな教科を教えているのだから,不平不満を言う気はないのだが.君達が思っているほど楽な商売ではないのだよ,教師という職業は.まあ,どんな仕事もそうではあるけどネ.働く事は大変なのヨ.外から見るよりもずっとずっと多くの苦労が,中に入ってみないと解らないような仕事が,実は働くという事の中に含まれているのだ.一言に,働くとは言うけれども…,

君達に伝えたい事は山ほどある.話したい事もたくさんある.中には言葉では伝わらない物もたくさんある.俺の行動を通して,生き方を通してでなければ伝わらない事があるし,実はそういう事の方が遥かに多い.時間がかかるし,何よりも君達が気がついてくれなければどうしようもない事でもある.そんなもどかしい思いをしながらも,やはり,君達に気がついてほしいと願っている俺がいる.この俺の想いを,熱い俺の想いを….君達の中のいったい何人に,俺の想いが伝わるのかな?そんな不安を感じながらも,毎日を頑張っている俺がいるし,俺に出来る事と言えばそんなことしかない.不安や弱さに負けずに,ただひたすらに頑張り続けるしか,戦い続けるしか….

だから,ではないが,君達も頑張りなさい.男の子も,女の子も,自分自身を内側から磨き続けなさい.自分自身を磨き続ければ必ず魅力的になれる.それこそ,間違いなく.それは,どんな大きなルビーも磨かなければただの石でしかないのと同じように,そして,たとえどんなに小さなルビーでも一生懸命磨かれた物は世界一美しく光り輝くように.

誰のためでもない.自分のために自分で頑張るのである.それくらいはできるよね?俺のためではない.君達自身のためである.

教師とは生徒に《希望の種》をまいて歩く職業である.そして,教育とはその芽を育てる事である.教師の魅力という,水と肥料を与える事で.そんな教師に,《希望の種》まける教師になれたらいいな.魅力的な教師になれたらいいな.

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
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