毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-32 1993.2.10(Wed)

★数学の迷信<其の1>★ 〜数学ができる人は頭がいい?〜

数学にまつわる迷信は数知れず存在する.今回はその中の最たるものの一つを取り上げて話をしよう.

◎ 数学ができる人は頭がいい!! ◎

意外と信じられていて,そんなはずはないと知っていながら,人に言われるとやっぱりそうかなと信じてしまう.それが上記の迷信である.

落ちついて考えてごらん.数学ができるから頭がいいなんてナンセンスだよ.それなら,数学ができない人は頭が悪いのか?そんな事はない.君達のクラスにいったい何人数学が得意だという人がいる?10人も20人もいるか?そんなにいないだろう?そして,さらに数学が得意な人で頭がいいと思える人になると,クラスに1人いるかいないかだ.残りの40数人は馬鹿という事になる.でも,逆に考えてごらん.クラスの中で頭がいいという人は何人いる?その中で数学はどうも不得意だという人は何人いる? 頭がいいと思われていて数学が不得意な人が浮かび上がってくるだろう?

たったこれだけの事でも,最初の文章が嘘だとわかる.

しかし,君達は母親のこんな会話を耳にする事だろう.

母A:「お宅のお子様は数学が得意だとか,いいですわね頭が良くて,うちの息子(娘)など数学がまるっきりダメで,将来どうし ようかと心配していますのよ.」

母B:「そんな事ありませんわよ.うちの息子(娘)は全然勉強しないんですのよ.」

母A:「いいじゃありませんか,勉強しなくても成績がよろしくて,それに引き換え,うちの息子(娘)は・・・.」

母B:「とんでもありません,友達と遊び回っていったいどうなる事やら・・・.」

まさに,大間違いである.いったい何が間違っているか?まず1つめは,「頭がいい」という事の意味である.誰もが最初に考える事は,頭がいい=勉強ができる,である.これが根本的に間違っている.

それに,数学ができないからといって息子(娘)の将来を真っ暗にされたのではたまったものではない.自分の将来が数学で決まってしまうなんて考えただけでもぞっとするだろう?

頭がいいという事と勉強ができるという事とはまったくと言ってもいいほど違う.勉強なんか,頭が良かろうが悪かろうがやればできる.もちろんそれぞれの能力に応じて差はある.1時間でできる人もいれば30時間かかる人もいる.決められた時間の中では早くできる者,飲み込みの早い者が勉強ができるという事になる.しかし,時間という枠を外してしまえば,勉強など誰でもできる事だ.

確かに現実問題としては,飲み込みの早い者は学校の成績が良くなる傾向になる.でも,それは決して頭がいいからではなく,ちょっと人より早く理解できたり,ちょっと人より努力したりしただけの事だ.

それでは頭がいいとは?

君達はTVのソニーのコマーシャルを見た事があるかな?といってももう3,4年も前のCMだから,記憶にすら残っていないと思うが,Back to the Futureにでてくる博士のような人物と,エリート大学講師風の人物が次のような会話を交わすCMだ.

「しかし,君は頭を傾けたら知識がこぼれそうだね.」と言って,博士が講師の頭を指で押す.すると講師が,

「ペラペラ・・・・・」と難しい学問的知識を流暢に流れるようにしゃべり出す.そこで博士が,

「しかし大切な事は,いついかなる時でも知識を知恵に変える事ができる事だよ.」と釘を刺し,講師はうなだれる.

とまあ,こんなCMだ.(現在は,放送されていない.)

つまり頭がいいとは,知識がある事ではなく知恵がある事だ.知識など時間さえかければ誰もが莫大な量の知識を手にいれる事ができる.(全部覚えていられるかは別な問題だが・・・.)もっと言えば,手元に百科辞典でも置いておけば済むのである.つまりは,知識などは金で買えるのである.必要なときにページをめくっていけば良いものなのである.

しかし,知恵は時間をかければいいという物ではない.金で買えるものでもない.どんなに莫大な時間を費やしても一欠片の知恵も身につけられない者もいれば,わずか数日で膨大な知恵を手にいれる者もいる.莫大な金をつぎ込んでも一欠片の知恵を手に入れられない者もいれば,10セントで知恵を手に入れられる者もいる.

いったい何が違うのか?

姿勢が違うのだ.心構えが違うのだ.意気込みが違うのだ.集中力が違うのだ.つまり,心の問題だと思う.知恵とは,現実問題に即座に,正確に対応できる力をいい,知識とは理論的理想的世界での問題に対応する力をいう.(全てが そうではないが,大別するとそうなる.)現実問題に対応するためには,幾千万の複雑に絡み合った問題をも同時に考え最高の妥協点,あるいは最高の利益をあげるとともに最小の犠牲で終わらせる手段を見つけなければならない.中途半端な気持ちや,機械的な処理ではうまくいくはずもないし,まして,ローカルでしか物を見れない,考えられない人間には知恵は身につかない.グローバルな視野を持ちながら,同時に複数のローカル的視野を持つ.これが知恵のある人間だし,そういう心構えで日常を過ごしている者こそが,そういう者のみが知恵を身につけられる.

つまり,頭がいいとは,どんな物事に対しても常にグローバルな視野を持ちつつ複数のローカルな視野で見つめる事ができる事を言うのである.よく頭が切れるというが,あれは瞬時に複数の視野で物事を見つめる事ができ,正確に現実問題に対応できる事を言うのである.要は時間の問題なのだ.短時間で判断できればできるほど,頭が切れると噂されるのである.

しかし,一口に複数の視野を持つといっても,たやすい事ではない.人は常に自分の立場を基準に考える.相手の立場を理解する余裕は余りない.だからこそ争いごとが起こるのだし,意見が食い違うのだから.ましてグローバルな視野を持つ事などはもっと難しい.自分の立場しか考えられない者がどうして全体を見つめる事ができる?

全体を見つめる心の余裕,自分に不利な状況をしっかりと受け入れる素直さ,相手の立場を理解する謙虚さ,そういった物が必要とされる.そして,それは自分自身が自分自身を変えていかなければ絶対に身につけられない物でもある.いくら人から言われてもダメなのだ.自分が気がつかない限り・・・.

さて,お解りいただけたかな?

◎ 数学ができる人は頭がいい!! ◎

これは明らかに嘘である.数学ができる人は単に数学ができると言うだけの事だ.頭がいいという事とは別の問題だ.

さてさて,君達の中で果たしていったい何人くらいの人間が真に頭がいいといえる人間だろうか?自信はあるかな?

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.