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Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-71 1993.12.15(Wed)

**短期集中連載**≡Part-6≡(最終回)

★手のひらの宇宙★ 〜人間は進化するか?(New Type論を論じる.)〜

人類がNEW TYPEに変革するには時間がかかるし,多くの犠牲も必要であろう.人類はそれほどに幼いし,それほどに愚かな種であるから.

が,現実問題として,そんなに悠長なことは言っていられない.現に今ですら,この母なら星”地球”は滅ぼうとしているのだから.

目をそむけるわけにはいかないのである.今こそ進化への道を歩み出さなければならない時なのである.

悲観的な推測をしよう.今現在の愚かな人類では,当然の事ながら進化など望めるすべもない.そのひとつの大きな理由として,人類が,母なる地球という居心地のいい揺りかごの中にいつまでもいるからという事があげられる.

このあたたかな,実り豊かな大地の上にいる以上,人類は進化する必要を感じない.進化せずとも,この優しい母なる大地は人類の愚行を,環境を変えるという,母なる星をボロボロにするという思い上がりを優しく受け入れてしまっているから.

どうすることもできないのである.このままでは.

もはや残された手段は,宇宙での生活を始めるという事だけである.それもほとんどの人類が,いや,全人類が.

が,人類の技術力はそれほどまでに高水準ではない.正直,人類が宇宙に進出し,地球と宇宙とを自由に往来できるようになるにはまだまだ時間がかかる.それこそ,10年20年,いや,50年以上かかるかもしれない.そして,宇宙の無限の広がり,無限の大きさを肌で感じ,実感として恐怖を,現状のままの人類ではダメだという恐怖を感じるようになるにはもっともっと多くの時間を要する.が,そんな恐怖感を感じなければ,それも痛切に感じなければ,おそらく人類はNEW TYPEには進化できないであろう.

悲しいが,それが現実だし,それが人類の今の程度である.

NEW TYPEとは,お互いの意志を,主義主張や,信仰,思想,立場,国籍,民族の違い,さらには時間や空間の隔たりをも越えて理解できる人類の事を指す.

しかし,人類が地球上にいる限りはNEW TYPEへの変革は望めないのかも知れない.いや望めない.ひょっとしたら,地球上に生活の場を求めている限り,人類のNEW TYPEへの変革はありえないのかも知れない.きっとあり得ないであろう.

例え,今の人類が置かれている立場を,現状をしっかりと認識し,自己変革に努めようとしても,ただ,地球上にいるというだけでNEW TYPEになれないのかも知れないし,きっとなれないであろう.

なぜなら,人類が地球の重力に魂を引かれているからだ.地球の重力に魂を引かれて,進化すべき環境が目の前にあるのに,その環境に身を任せられないからだ.母なる地球の優しさに甘えて,環境に身を任せず,環境を変えることばかりに力を注ぐのである.

以前にも書いたが,進化とは必要に迫られなければ出来ないものである.どんなに気持ちだけが進化を目指しても,環境が進化を要求しなければ,進化などできるはずがない.

人類の置かれている状況はまさに今その状況であろう.進化しなければならないと気がつき始めたものがいる.これから,少しでも早く大勢の人々に進化しなければならない事を説いて回らなければならないと,痛切に感じている人々がいる.しかし,地球は,人類が置かれている環境は進化を要求していない.今これほどまでに地球は荒れ,滅び,悲鳴をあげているのに,地球は人類に進化を要求できないでいる.そして,ただ滅びの道を歩き続けている.

この母なる星は優しすぎるのである.あまりにもこの星の上に生まれてきた命たちに寛大すぎるのである.甘すぎるといってもいい.それこそ,人類の行ってきた愚行の数々を見れば,とうの昔に人類はこの地球上から消えていても,この母なる星の怒りにふれて消滅していてもいいはずである.

が,それすら出来ないでいるのが,この母なる地球である.

仕方がないのかもしれない.出来ないのだから.無理なのだから.地球自身が人類に進化を要求したくても,地球自身は人類に進化を要求する環境を用意できないのだから.

それ故に,この母なる星はただ悲鳴を上げ続けるしかないのかもしれない.

結局は,人類は地球の重力に魂を引かれているが為に進化できないという事になる.

その理由として,地球上にいる限り,人類は絶対的な位置関係で物事を理解する.

絶対的な位置関係とは?それは,誰もが当たり前に感じている上下の位置関係である.地球上にいる限り,人類にとっての上下は,地面に対して垂直方向を指し示すものである.そして,それは万人に共通である.誰もそれに対して異議を唱えるものはいない.そして,地面に対して水平方向を,前後左右で表現する.この前後左右は相対的なものである.自分を中心にして,あるいは相手を中心にして前後左右という.

これが人類の意識の根底にあるものである.”絶対”と呼べるものがある.だから最後のところで自分を譲れないのである.自己の思いに凝り固まってしまうのである.

意識しようがしまいが,無意識の中で,人類は,絶対というものの存在を信じて疑わないでいるのである.これが地球の重力に魂を引かれているゆえんである.

ところが,宇宙にでると,そこにはもう絶対的な位置関係は存在しなくなる.全てが自分を,他人を中心にして考えなければならない.上下も左右も前後も,全てが相対的な位置関係でしかなくなる.つまり,意識の中にある,いやあった”絶対”が消えるのである. ただし,地球で生まれ宇宙に出ていった者には,その”絶対”は消えてなくならない.地球で生まれたが故に,母なる星を知っているが故に,必ず,心のどこかで”絶対”というものの存在を信じてしまうのである.

しかし,宇宙で生まれ,宇宙で育ち,宇宙で生活をするようになった人類は”絶対”というものを身につけないで成長していける.この差こそが重要なのである.

地球で生まれ,地球の環境で,地球の重力を知ってしまったものには解らない,変革できない域であろう.

今人類はやっと宇宙という広大な大海原に漕ぎだしたばかりである.それも,小さないかだで.大きな船を作って,宇宙という大海原を航海するときは,まだまだ先の事である.100年も200年も先の事になるかも知れない.そして,そんな時代がきて,初めて人類は進化せざる負えない環境にたたされるのであろう.それまでは,目覚めたる者,NEW TYPEは悲しい想いを抱いたまま,ただ滅びへの道を歩き続ける地球を見守り続けるしかないのであろう.

ただ一つ気掛かりは,そんなに長くこの母なる地球が持ちこたえられるのだろうか?という事である.

我々の未来には限りない,無限の可能性が広がっている.ただ,その無限の可能性とともに,滅びの危険性をも合わせ持っている.我々の,一人一人の手をつなぎ合わせなければならないときなのかも知れない.自分の事だけではなく,他人の事も,そして,自分の子供,孫,将来の人類の事をも合わせ考えて,今という時に,今という時代に何が出来るのかを考えて行かなければならないのかも知れない.

例え,今すぐに人類が進化する事が無理でも,今すぐにNEW TYPEに変革できなくても,今我々OLD TYPEでできる事はいくらでもあるはずである.そのできる事を,将来の進化への,人類が生き残るためにはどうしても成し遂げなければならない進化への準備として,我々は今から始めなければならないのではないだろうか?

この星は,緑豊かで,青き水の豊かな惑星である.そんな地球は今人類の選択に静かに,そして大いなる期待をしている.自分自身ではどうする事もできない母なる星が,言葉にしないが,確かに人類に語りかけている.

”進化しなさい.このままでは滅びへの道をひた走る事になる.だから進化しなさい.自らの力で,NEW TYPEへと.”と.

君達にこの母なる星の,命をかけた切実なる願いが聞こえているだろうか?ちょっと耳を傾けてごらん.大地の声に,風のささやきに心の窓を開いてごらん.もし,この母なる大地の我々への声が聞けるならば,ともに手をとりNEW TYPEへの進化に努めようよ.例え進化できなくても,今できる事を,この母なる星のために力の限りやってみようよ.それこそが,今の我々の使命ではないのだろうか?

END

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.