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Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-70 1993.12.15(Wed)

**短期集中連載**≡Part-5≡

★手のひらの宇宙★ 〜人間は進化するか?(New Type論を論じる.)〜

強制的に移住させられた者と,地球で安穏と生活している者,その両者の間に軋轢(あつれき)が生じないわけがない.そこに争いの火種ができる.そして再び大規模な戦争が起こる.

その構図はまさに,第2次世界大戦のときの構図と変わらなくなってくる.力と力のぶつかりあい,エゴとエゴのぶつかりあい,欲と欲とのぶつかりあいである.

そう考えていくと,人類はやはり進化しなければいけなくなってくる.地球にいても,宇宙に出ても,人類が今のままの人類であれば,結局何も変わらないのである.住む環境が少しだけ,ほんの少しだけ変わったと言うだけで,人として進化せざるを得ないという事になる.争いをなくすために,エゴとエゴがぶつかりあわないように,物事の解決を全て力に頼らないようになるために,人は解り合えるようにならなければならない.

いったいどうすればいいだろう?人と人とが主義主張,思想,信仰そういう諸々の物を越えて理解し合えるようになるためには.

人類の歴史は決して長い歴史ではない.しかしそろそろ人類が自らの意志で進化の方向を模索し始めないと,人類は本当に取り返しのつかない過ちを犯してしまう事になるだろう.もしこのまま人類が進化しないで進んでいったら,おそらくこの母なる地球を破壊してしまう事だろう.そうなってからでは遅い.今でさえ,この母なる地球を壊滅的状況に追い込んでいるというのに…,この母なる地球を失ってしまったら,我々人類は住むべき場所を失う.暖かく包み込んでくれる揺りかごを失うのである.だからこそ,そうなる前に進化しなければならないのである.

進化した人類.それをNEW TYPEと呼ぶ.時間や距離,信条やエゴなどには左右されずに理解し合える人類の事を.NEW TYPEという.

NEW TYPEとは進化した人類の事を言う.決して俗に言われる”新人類”とは別の物である.俗に言う”新人類”とは,ただ単に軽薄な若者や,思慮分別のない若者を指して言うが,NEW TYPEとはそんな俗な若者を指す事ではない.まさに進化した人類である. しかし,残念ながら我々はNEW TYPEではない.完全にOLD TYPEの人類である.進化しなければ….そんな想いも抱いていないまだ未成熟のOLD TYPEの人類である.

では,どうすればいい?我々はまだ意識もしていない,進化せざるをえない状況に今我々は置かれている事に.では,どうすればいい?進化しなければいけない状況にある事に気がついた者は.世界中の人類が全て同時にNEW TYPEに進化できればそれがいい.しかしそんな事はありえない.

生物の進化を見てもそうである.進化とは環境に適応しようとする生物の切実な努力である.その努力をした物だけが進化していける.その努力をしなかった物は進化しない.当然の事ながら,初めのうちは進化しなかった物の数が圧倒的に多い.数の上で不利であるし,当然の事ながら進化しなかった物の迫害を受けるであろう.その迫害の中で耐えに耐えて,環境が進化しなかった物を駆逐していく時を待つしかない.環境は進化した物の味方である.必ず進化しなかった物を淘汰していく.その時を進化した物はひたすら待ち続けて堪え忍べばいい.

進化とは,目の前に切実な現実が差し迫ったときに初めて行われる.差し迫った現実が目の前に現れない限り,生物は進化などしない.そんの努力を払うほど生物には余裕がないからだ.今という時を生きていくだけで精一杯だからだ.

それは人間にも言える.進化せざるをえない状況がどうしても必要だ.そう考えたときに,今我々の目の前にそのような現実が差し迫ってあるか?あるか?あるか?残念ながらそうではない.今人類は,まさに我が世の春がごとき時代を送っている.

人類の科学力を持ってすれば,いつか必ず不可能はなくなる.それが今の人類の心の奥底にある思い上がりである.バイオテクノロジーを駆使して遺伝子を操作する.いままで考えられなかった生物を人口的に作り出したり,遺伝子を組み替えて,人間に有用な生物を作り出したりしようとしている.さらには,無から有を作り出そうと迄考えるであろう.それは神の領域である.俺の仕事である.

誤解をしないで欲しい.俺は神がいるという事を信じているのではない.もし,神というものがいるとすればおそらく人類はとうの昔に滅亡していただろうし,いや,正しくはとうの昔に滅ぼされていただろうしそれ以前に人類など地球にいなっかたであろうと思う.俺が言うのは,そういう神ではなくて,自然に対する畏敬の念,これが神であるという事だ.神というものが実態をなして存在するのではなく,神という意識が精神的な拠り所となって宗教を形成するのではなくて,自然,世界に対する畏敬の念,畏怖の念これが人の心の中に存在する神の姿であるという事だ.だから人は自分の心に背くとき,善悪の悪を行うとき,自らの心に負荷を感じる.それが良心の呵責(かしゃく)であり,プレッシャーである.

まあ,もちろんそんな事すら感じない厚顔無恥な厚かましい人間も沢山いるが,ごく普通の人間はいつも自らの心の中に神がいる.いかんいかんまた話しが逸れてしまった.ちゃんと元に戻さなければ.

そんな人類が,我が世の春を行くがごとき人類がどうして進化などという事を感じるだろうか?そんな必要性を感じる事すらないであろう.

しかし,それでは遅いのである.今,今進化し始めないと人類は生き残れないかもしれないのである.人類はいままでこの母なる地球を好き放題汚してきた.やりたい放題荒らしてきた.おそらくこの先もそうであろう.この母なる地球が決して人類に対してその復讐をしないと思いこんで.しかしそれは明らかに間違いである.今地球は密かに,少しずつしかし確実に我々人類に対して復讐を始めようとしている.いや,この表現は正しくないかもしれない.地球が復讐を始めようとしているのではなくて,我々人類が,自ら人類は破滅させようとしている,そう言った方が正しいかもしれない.

君達のその両の目を見開いて,しっかりと現実を見つめてごらん.その両の耳をたたせて,しっかりと現実の声を聞いてごらん.密かに忍び寄ってくる崩壊の陰が見えるであろう.じわじわと響き始めた崩壊の序曲が聞こえるであろう.人口の増加,地球温暖化,核の恐怖,オゾン層の破壊などという魔の陰が,魔の音が.

その魔の陰が見える者は,その魔の音が聞こえる者は切実に思う.進化しなければならないと.争う事をやめなければならないと.人類はお互いが理解し合い,手を携え合わなければならないと.

だが,悲しい事にその現実を見つめている者はほとんどいない.確かにマスコミや科学者は警告をしている.が,そこに切羽詰まった,狂気に満ちた危機感はみじんもない.”このままでは10年後には,このままではいづれ,地球そのものが危なくなります.”そんな悠長な,説得力のない言い方ではなんら警告にならない.警告とは,”おまえら祈れ!!祈らねえと人類は滅亡するぞ!!!”と髪の毛を振り乱しながら,取り乱しながら,誰も相手にしなくてもひたすらに訴え続けることである.残念であるが,今は,魔の忍び寄る恐怖など感じる余地もない人類がほとんどである.そして,それが今の人類の置かれている現状でもある.

そんな状況で進化を叫んでも空しいだけである.NEW TYPEなどと声を大にして唱えても誰も耳を貸さないであろう.でも,それでも俺はあえて声を大にして言いたい.進化しなければならない.進化して,OLD TYPEの世界を終わらせなければならないと.

NEW TYPEとは時間と空間,個人の主義主張,信条などを越えて理解し合える人類の事を言う.言葉ではなく,テレパシーではなく,意志の力で,精神の力でお互いに理解し合える人類の事を言う.そんな人類の世界になれば,争いなど起きるはずがない.争いとは,お互いが理解し合えないから起こるものだから.そんな人類の世界の世界になれば個人的な利害で地球を破壊したりはしない.自分だけの利益だけを考えて行動したりはしなくなるから.意志の力でお互いに理解し合えるのであれば,個人の利益だけを考えたときに瞬時に全体をも考えれるようになるから.

しかし,NEW TYPEへの変革には,NEW TYPEへの進化には,時間がかかるし,多くの争いが必要である.悲しいが,今すぐには,人はOLD TYPEからNEW TYPEへは進化できない.

悲しいがそれが認めざるをえない現実である.

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
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