北海道苫小牧東高等学校
矢嶋 裕之

はじめに

 12月の数学実践研究会の際に提出した前レポート(『時代は復古主義に傾倒す?(前編)〜生活科と『生活単元学習』』)では、自分の娘の学校の様子を見てはっと気がついたことをまずまとめた。そして、そのことはよくよくたどっていくと、小学校で実践されている『生活科』が『生活単元学習』の頃の実践に復古的にリバイバルあるいは傾倒しているのではないかという仮説を呈した。そして、最後に同様なことは新しい科目である「数学基礎」でも言えるのではないかという仮説を述べて未完成ながらもペンを置いた。
 そして、前レポート作成後、私は数冊の著書を読み比較する作業を繰り返し、新しい科目『数学基礎』の方については、まだ何(白表紙本など)もないので明確なことは述べられないものの、小学校の『生活科』についてはかなりの部分で昔の『生活単元学習』の頃の実践内容のリバイバル(と言っても、昔とは教育の環境が大きく異なっているから、同じことのリプリントとはならないだろうが)ともうけとれるということが確認できた。本稿は、私が読んだ数冊の著書からの引用を元にして、小学校の『生活科』の誕生までのプロセスを通し、今、時代が昔の『生活単元学習』時代の教育に再び戻りつつあることを述べたものである。

第1章 現行の教育課程までの改訂の経過

 小学校では、平成4年度から全面実施されている現行の教育課程への改訂は、昭和22年に初めて学習指導要領が編集、刊行されてから5回目の全面改定となる。そして、今回の改訂へ続く社会構造の変化は、単に私たちの生活の仕方という範疇にとどまらず、学校現場を含む教育のあり方にも大きく影響を与えていることはご承知の通りである。この章では、学習指導要領(現行の学習指導要領)改訂の際の基本方針を簡単に確認した上で、新教科として設定された「生活科」の誕生までの経過についてまとめてみた。

(1)小学校学習指導要領の改訂方針の簡単なまとめ

@教育活動全体を通じて、自動の発達段階や各教科等の特性に応じ、豊かな心をもちたくましく生きる人間の育成を図ること。

【心豊かな人間の育成】
A国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視し、個性を生かす教育を充実するとともに、幼稚園教育や中学校教育との関連を緊密にして各教科などの内容の一貫性を図ること。 
【基礎・基本の重視と個性教育の推進】
B社会の変化に主体的に対応できる能力や創造性の基礎を培うことを重視するととも に、自ら学ぶ意欲を高めるようにすること。
【自己教育力の育成】
C我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視するとともに、世界の文化や歴史についての理解を深め、国際社会に生きる日本人としての資質を養うこと。
【文化と伝統の尊重と国際理解の推進】
 本稿は学習指導要領の改訂について述べたものではないので、ごく簡単に項目だけ拾ってみたのだが、次の項目でかなりの部分が重複してくるので合わせて考察していただければと思う。

(2)生活科設定の経緯

 本稿をまとめるためにいくつかの著書を読むまでは、こんなに長い時間がかかって『生活科』が創設されてきたということは全く知らなかった。かなり長くなるが、小学校低学年の教育のあり方の論議が重ねられ始めた昭和40年代からの経過をまとめなければならない。

@昭和42年の教育課程審議会の答申
 低学年社会科について『低学年の内容のうち、具体性に欠け、教師の説明を中心にした学習に流れやすいもの(たとえば、学級生活と個人の関係を示したものなど)の取り扱いについて検討を加えるとともに、児童の生活に即した具体的な社会の要請(たとえば、安全に関する認識や公民としての意識のめばえを育てることなど)等についても充分配慮して改善を図り、児童の発達段階を考慮して、他教科、道徳等とも関連させて、効果的な指導ができるようにする』と述べ、一方、低学年理科について『低学年においては児童がみずから身近な事物や現象にはたらきかけることを尊重し、児童が対象と比較したり、関係づけたりするなどの経験を豊富にするような内容に改善する』と述べている。
 当時は昭和32年に生まれた私が小学校4年生頃で、教員をしている今なら述べられていることが実体験と比較してわかるような気がするが、この頃から生活科創設への準備が始まっているとなると感慨も深く、知識の詰め込み教育ではなく、現在でいう教科横断的な学習が進められていたらもっと学習に意欲が出たろうにと思う。

A昭和46年の中央教育審議会の答申
低学年教育のあり方について『特に低学年においては、知性・情操・意志および身体の総合的な教育訓練により生活および学習の基本的な態度・能力を育てることが大切であるから、これまでの教科の区分にとらわれず、児童の発達段階に即した教育課程の構成のしかたについて検討する必要がある』と述べている。
 私が中学2年、受験のことが重くのしかかってきた頃で、教科書だけで進められている授業が嫌でしょうがなかったという記憶がある。

B昭和51年の教育課程審議会の答申
 低学年の各教科等の編成は現行通りとし、児童の具体的かつ総合的な活動を通して知識・技能の習得や態度・習慣の育成を一層重視する観点から合科的な指導を従来以上に推進するような措置をとることが望ましいと述べている。
 実は、この昭和51年頃から今回創設された新教科『生活科』についての具体的な研究などが始まっている。昭和50年の同審議会の中間まとめでは、低学年の教科構成のあり方について、それを改めるべきであるとする意見や改める必要はないとする意見を両方要約して載せ、次のような改善方向を示している。

 そして、昭和51年の教育課程審議会の審議のまとめでは、上記の新教科の研究のまとめを参考にしながら検討した結果、前述のような方針に至ったのである。すなわち、教科編成のあり方については、今後の研究と試行の積み重ねが必要であるとの考え方を示し、当面は、合科的な指導を推進すべきであるとの方針である。

C昭和58年の中央教育審議会教育内容等小委員会の審議経過報告
 11月に取りまとめられたこの報告では、小学校低学年の教科構成のあり方について、次の提言をしている。

D昭和61年の臨時教育審議会の第二次答申
 4月のこの答申では、小学校低学年においては、教科の総合化を進めることを提言している。その趣旨として『小学校の低学年の児童は、発達段階的には思考や感情が未分化の段階にある。こうしたことや、幼児教育から小学校教育への移行を円滑にする観点から、小学校低学年の教科の構成については、読・書・算の基礎の習得を重視するとともに、社会・理科などを中心として、教科の総合化を進め、児童の具体的な活動・体験を通じて総合的に指導することができるよう検討する必要がある』と述べている。

E教育研究開発学校及び教育課程研究指定校における研究
 文部省では、小学校低学年教育のあり方を探るため、昭和51年度から教育研究開発学校を設けて、小学校低学年における総合学習について研究を進めてきた。この研究開発学校においては、小学校低学年の教育効果を一層高める観点から、これまで問題指摘のあった点などを踏まえ、現行の各教科等を再構成した上で、児童の活動や体験を重視しながら、いわゆる認知的側面や情意的側面を含めて総合的にねらいの達成を図るよう計画し、研究を行っている。その内容構成は、

などの形態がとられているが、最初の形態のものが最も多い。一方、従前の教育課程の基準の枠内において、低学年のあり方を研究するため、昭和52年度から教育課程研究指定校に委ねて『低学年おける合科的な指導』をテーマにして研究を進めてきた。これらの学校では、低学年の各教科のねらいを一層有効に達成させるという観点から、児童の具体的な活動に着目して内容の再構成を行い、総合的な指導を行っている。その内容構成は、などの形態がとられているが、最初の形態が比較的多い。

F昭和61年の小学校低学年の教育に関する調査研究協力者会議の審議のまとめ
 文部省は昭和59年7月に小学校低学年の教育に関する調査研究協力者会議を設け、小学校低学年の教科構成のあり方について検討を行った。そして、昭和61年7月に『小学校低学年の教科構成のあり方について(審議のまとめ)』を決定した。この中で、次のような点を重視しながら改善を図る必要があるとしている。

 このような観点から、低学年の教科構成について検討した結果、従前のように7教科により編成するよりは、教科を集約し、再構成した方が適当であるとしている。児童が自分たちとのかかわりにおいて人々(社会)や自然をとらえ、児童の生活に即した様々な活動や体験を通して社会認識や自然認識の芽を育てるとともに、そのような活動や体験を行う中において自己認識を培い、生活上必要な習慣や技能を身につけさせ、自立への基礎を養うことをねらいとする総合的な新教科として『生活科』(当時は仮称となっていたが)を設けることを提言している。初めて『生活科』という名称が世に出たのはこの時であった。

G昭和62年の教育課程審議会の答申
 Fを受けて、この答申では、『低学年については、生活や学習の基礎的な能力や態度などの育成を重視し、低学年の児童の心身の発達状況に即した学習導が展開できるようにする観点から、新教科として『生活科』を設定し、体験的な学習を通して総合的な指導を一層推進するのが適当である。『生活科』は、具体的な活動や体験を通して、自分と身近な社会や自然とのかかわりに関心をもち、自分自身や自分の生活について考えさせるとともに、その過程において生活上必要な習慣や技能を身に付けさせ、自立への基礎を養うことをねらいとして構想するのが適当である。なお、これに伴い、低学年の社会科及び理科は廃止する』と答申している。また、このときに具体的な授業時間数についても述べられている。それは、生活の内容を展開するために必要な授業時間を確保するとともに国語の力の充実に配慮し、『生活科』は第1学年102単位時間、第2学年105単位時間を充て、国語は第1学年34単位時間、第2学年35単位時間増やすこととしている。

 かなり長くなった『生活科』の誕生への経緯の説明であったが、これらをもとに『生活科』誕生の背景のまとめをすると、次のような3点に集約される。

  1. 低学年については、児童の発達段階を考慮して基礎教育の充実を図る。
  2. 低学年における学習指導上の問題点を克服する。
  3. 社会の変化に対応するという観点から、低学年教育のあり方の見直しが求められている。
 『生活科』は、これらの三つの背景をもとに構想されたものであり、この背景にある趣旨は、この教科のねらいや内容の設定においてはもとより、学習活動の展開においてもその底を流れる精神として考慮されなければならないものである。

(3)『生活科』のめざすものは何か

 『生活科』の教科目標は、『具体的な活動を通して、自分と身近な社会や自然とのかかわりに関心をもち、自分自身や自分の生活について考えさせるとともに、その過程において生活上必要な習慣や技能を身に付けさせ、自立への基礎を養う』ことであるとされている。これは、次の4つの趣旨に基づいて設定されたものである。

  1. 低学年児童には具体的な活動を通して思考するという発達上の特徴がみられるので、直接体験を重視した学習活動を展開し、意欲的に学習や生活ができるようにする。
  2. 児童を取り巻く社会環境や自然環境を自らもそれらを構成するものとして一体的にとらえ、またそこに生活するという立場から、それらに関心をもち、自分自身の生活について考えさせるようにする。   【生活科の中心的なねらい】
  3. 社会、自然及び自分自身にかかわる学習の過程において、生活上必要な習慣や技能を身に付けさせるようにする。
  4. 第一から第三までのねらいは、生活や学習の基礎的な能力や態度の育成を目指すものであり、それらを通じて自立への基礎を養う。これは、『生活科』の総括的なねらいであり、この教科における指導は最終的にはこのねらいの達成を目指さなければならない。
 大学時代の教育原理などのレクチャーノートを元に記憶や知識が曖昧になってしまったところを文献にあたって確認しながらの作業であったため、思ったより時間を要したが『生活科』という新教科の誕生の裏側にあった背景などは十分すぎるほどわかってきた。しかし、この第1章では昭和40年代以降の状況と『生活科』というものについてしか述べていない。昭和20年代後半に行われていた『生活単元学習』や『合科的指導』(今でいう、総合的学習?)等との関わりなど、扱う範囲をもう少し幅広くして考察したのが次章である。

第2章 生活科前史と『生活単元学習』………(私の求めていた答えがここに)

 今回、新たに述べ10冊近くの著書を読んだが、第1章であげたような昭和40年代以降の流れについてのみ記述されたものが多く、なかなか昭和20年代からの流れについては調べられなかった。部分的であれ、こうした時代の記述について述べられたものを見つけたので、それをもとにこの章で昭和20年代から第1章で述べた内容までに至る流れをまとめることとしたい。実は、長いこと私が求めていた答えが見つかったのである。

(1)戦後直後に『総合的学習』の実践が………

 第2次世界大戦後の日本の第一期の教育の時代(昭和20〜27年)は『新教育の時代』と称せられる。この時代の特徴は、新生日本の建設のために人格の完成=個人の尊厳を基本とする民主的・平和的な社会生活人の育成をめざした、いわゆる経験カリキラムブームが全国でわき起こった(らしい、私が生まれる前だからわからないが)ということがあげられる。それは、新教科としての『社会科』を中核とするコア・カリキラムの編成や実践であったり、あるいは、教科を『国語・算数』『社会・理科』『音楽・図工・家庭』『体育』というように広領域に編成しての『生活単元学習』(問題解決学習)の試みであったりするものであった。今日でいう、『合科学習』や『総合的学習』の試みであると言ってよい。そして、このような各地での自主的で地域性豊かなカリキラム作りや実践は、当時の学習指導要領が『試案』とされていたことにも起因するものであった(これらについては、私の前回発表したレポート『Is this a revival?(3)』に当時の学習指導要領を紹介してあるので参照されたし)。

(2)系統学習への変身により知識主体教育へ

 ところが、昭和27年の4月以降、ことに昭和30年代の前半から、日本は経済の高度成長を基調とする欧米に追いつき・追い越せ型政策を最優先させることとなる。そして、学校教育も一翼を担うこととなる。道徳教育の徹底、基礎学力の充実、科学技術教育の振興、中高コース制の導入などを柱とする『学習指導要領』の改訂・告示(小・中は昭和33年、つまり私の生まれた翌年、高校は昭和30年)の動きがそれである(だから、『生活単元学習』に基づく教科書は数年で消えていったわけなのである。予想はしていたが、明確な理解を得て、ついこの間迄の『すっきりしない気分』が消えた私である)。そして、新教育で登場したばかりの社会科が地理・歴史・公民の各分野にわたる知識主体の教育へと改訂されたり(これが、ついこの間迄文部省が進めていた『詰め込み教育』の元となったのだが)、社会科の担っていた道徳教育的側面が分離されて『道徳』が特設されることとなった。一方、科学技術教育の振興、基礎学力の向上のもとに算数・数学、理科、国語をはじめとする各教科での知識の系統的学習が進められることになった。こうして、経験中心のカリキラム作りである『生活単元学習』の実践から、教科カリキラムである系統的学習への変身の中で、いわゆる『低学年における合科的な指導』が登場することとなる。これは、昭和33年度改訂版の『小学校学習指導要領』の第1章総則・第一教育課程の編成の(四)各教科、道徳、特別教育活動および学校行事等に配当する授業時数の項(カ)として、『第1学年および第2学年においては、一部の各教科について、合わせて授業を行うことができることになっている(規則第25条の第2項)。この場合、目標、内容、授業時数等は、それぞれの教科に示されたものを充足するように配慮しなければならないこと』とされたのである。では、ここで言う『一部の各教科について、合わせて授業を行う』とはどういうことなのだろうか。多くの学者は新しい教科を作って授業するということではないと言う。なぜなら、すでに述べてきたように教育上の転換に伴い、学習指導要領には各教科の目標、内容、そしてその授業時数が各学年別に独立して告示されるようになったのだし、このため、さらに各教科の一部であれ教科全体であれ、それらを全面的に統合して新教科を作るという発想はまず困難であっただろうからというものである。一部の教科の一部の内容を合わせて、合科的に授業する(指導する)ということではないかと思われるのである。もちろん、これは今でいう『総合的学習』や『小学校の生活科』に他ならない。しかも、それが小学校低学年、すなわち第1学年と第2学年に限ってのこととされたのである。現在の小学校の『生活科』が小学校低学年に限定しているのは、この時期の教育に由来すると考えるのは考えすぎだろうか。
 いずれにせよ、本稿の第1章と第2章のここまで述べたことから、素人の私にも『教育リバイバル論』の結論は、私が立てた仮説の通りだと自信が持てるようになってきた。そして、最後に、昭和40年代前半への流れを確認して稿を閉じたいと思う。

(3)次の改訂でまた変わり、………

 次の改訂である昭和43年版『小学校学習指導要領』には、この『一部の各教科について、合わせて授業を行う……』の記述はみられない。もちろん、前述の学校教育法施行規則第25条の二の規定はこの時期にも存在していたし、もちろん、それは今日まで続いている。多分、各教科分立の中での系統的指導の一層の強まりの中で(事実、この時期には、各教科等の内容は激増され、各教科書はかつてないほどの分厚いものになっていた。それを使って詰め込まれていたのが私たちの世代というわけなのである)、前述までの合科的な指導の発想は姿を消し、代わって、教科別の系統的指導が低学年から進められるようになった、とさえ想像されるのである。
 そして、これに続く、本稿第1章の(2)のAで述べた昭和46年の中央教育審議会答申『今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について』は、それまでの教育における量的な拡張政策(高校から大学・短大への進学率の急上昇をもたらすとともに、受験競争の激化、落ちこぼれ、非行等の教育問題を現出)から、質への転換策を求めるものと言える。言い換えるならば、日本経済はすでに欧米に追いついた。今後はむしろ個人の自由、人間本意の『高次福祉社会』をめざすべしとの財界の要求とも呼応し(経済同友会『高次福祉社会のための高等教育制度』(昭和44年))、『自主的・創造的な人間の育成』のもとに、幼稚園から大学までの教育を一貫させるものとして構想し、必要な改革を提案しようとするものであった。以後の流れについては、第1章で述べているのでここでは省略したい。

(4)恩師の戒め

 今回、大学当時の教職関連科目のレクチャーノートや録音テープ(当時はビデオカメラはまだなかった)などを自宅の書庫から出して検証してきたのだが(とは言っても、第1章の終わりでも述べたように不十分なところが多かったのだが)、教育原理の担当教官(確か、近隣の私立大学の教授だったと思ったが)の最終講義での戒めをまとめてあった所に目がいったときには、しばらく動けなかった。今から20年以上も昔、当時は大学院へ進学して大学に残ることしか考えていなかった私は、何も考えずひたすらノートをとり続けていた。この恩師の言葉を残して、本稿を閉じたいと思う。
 『もうじき、これまでの文部省の政策とは180度も違うと思える程、学校側に全面的な教育の裁量権を与える時代が来る。ただ、そのとき、学校現場がうまく機能できなかった場合、次に文部省がどういう政策に出てくるか、教育原理を学んだ皆さんには容易に想像がつくはず。これから学校の先生になる人はそのことを決して忘れないでほしい。』


おわりに

 最近の私のレポートだけを読んでいる方は、『なぜ、数学の先生が数学の研究会で小学校の『生活科』についてのレポートなのか』と疑問に思うだろう。どうも、性格というのか性分というのか、1年以上前に教育課程研究協議会の際の新科目『数学基礎』の教材事例を聞いた瞬間からこだわってきた『教育リバイバル論』、教育学については素人の私にも結論を確信できる時期になってきた。ここ2ヶ月ほど、小学校における『生活科』と『生活単元学習』との関わりについて調べてきたが、いくら書いても書くべき内容がなかなかなくならず、また深入りしてしまったという後悔の念が強い。しかし、自分で調べれば調べるほど、これまで見えなかったものもわかるようになってきた。これが研究生活の最も楽しい所である。
 さて、本稿は第1稿時には、膨大すぎてそのままではとても印刷できる量ではなくなっていたため、本日持参したように10ページまでに削りに削ったものである。ただ、大幅に削ったため、残ったのが引用部分がほとんどとなり、ワープロとにらめっこしていた日々のことを考えると著者としてはむなしさが残るが、これもしかたがあるまいと思っている。それほど内容が多いようで、大学院の学生ならそれらをまとめて論文にできるだろうなあと思ったほどである。本稿の完成で、小学校の『生活科』についての論述に一区切りをつけ、次回はいよいよ『数学基礎』の内容について、前回のレポートで提起した仮説の実証となるレポートを書きたいと思っている。ただ、まだ何もない(白表紙本など資料が)ので、次回の例会に間に合うか疑問だが。
 今月、正月明けの勤務日に私の手にも新教科『情報』の免許状が届いた。本校で、いつから『情報』の授業が始まるのかわからないが、数学科の教員であるあと2年強の間、諸先生方と一緒に研鑽に務めたいと願っている私である。

1月23日(火)
レポートの英文化がうまくいかず落胆しながら脱稿する

【参考文献】