1980年代前半、パーソナルコンピュータの普及に伴って、教育にもコンピュータを活用できないかとする気運が一部に高まった。そのCAI
(Computer Assisted Instruction)は、当時アメリカでも盛んに試みられており、その効用や限界についてもある程度明らかになりつつあるものであった。能力の低いコンピュータでもそれなりに使おうとするアメリカの姿勢は、無理をしてでも見栄えの良いソフトウェアを作ろうとする日本とは根本的に異なるものであった。
コンピュータを活用しようとまず最初に試みたのが、教授内容や方法をそのままコンピュータに移そうとした、いわゆるドリル/チュートリアル・タイプの教材ソフトウェアである。「コンピュータに教師の代わりができるものか。非人間的である。」という非難があったが、全くその通りであり、教師の代行という、教育を自ら否定するようなことが行われた。しかし今では、ドリル/チュートリアル・タイプでも、生徒に与えるタイミングや方法さえ間違わなければ、それなりの成果を挙げることが分かってきている。また、知的CAI(Intelligent
CAI)と呼ばれる分野の研究も進み、エキスパートシステムなど、適応される対象によっては大きな成果を生み出している。
次に試みられ始めたのがシミュレーションである。簡単には体験できないことや、危険が伴うことなどに対しては、コンピュータのソフトウェアで擬似的に体験できる。これはコンピュータならではの活用方法で、教師の教授能力を拡張する方向のものである。また、これはある意味で授業におけるプレゼンテーションを考えることになり、授業を一つの技術として捉えるための良い視点になるものと思う。最近のコンピュータの機能向上に伴い、シミュレーション分野での進歩は目覚ましい。ヴァーチャル・リアリティ(仮想現実感)とは、こうした流れの延長に位置するものと思われる。
この時点で、コンピュータの活用に対しては一つの成熟が見られ、あとは現場でどのような実践が積み上げられていくか。そして学習の流れの中でどれだけ有機的に関連づけられていくかということに焦点が絞られてきたように思われる。しかし、90年代に入ってきて様相が変わってきた。マルチメディアである。
内容がない、実体が見えない、明確な定義がどこにもないなどと、一部からは非難や疑問の声もあるが、確かにコンピュータはいろいろなメディアを統一的に扱えるようになり、その可能性を飛躍的に拡大してきた。また特に最近のネットワーク環境の充実には眼を見張るものがある。
現在のマルチメディアには、二つの側面があるといわれている。一つはCD-ROMに代表されるような流通媒体であり、もう一つはネットワークである。優秀なCD-ROMが出てきたことで、データベース的な活用方法が現実的になってきた。世の中にある一般的なデータベースでは取り扱いに発散してしまいそうな題材も、ある程度編集されて提供されることで実のある学習が可能になるのである。ネットワークには、パソコン通信・LAN(Local
Area Network)やWAN(Wide Area Network)・インターネットなどがある。特にインターネットの普及は目覚ましく、教育や経済を始め、社会の構造さえも変革するのではないかと言われており、その動きを肌で感じる昨今である。
教育は、この現在を生きる子供たちに必要な知識や行動規範の基盤を与えるものである。その教育が社会の流れから大きく後れをとり、社会の変革を後追いする中でますますひずみを大きくしている。学校は、高度情報通信社会に対応する「新しい学校」として構築されなければならない。