インターネット利用の問題点

5_1 活用する場合の問題点

 インターネットを利用する場合における問題点も表面化しつつある。大阪教育大学の教育情報リンクリスト「インターネットと教育」の調査結果からいくつか探っていく。

 まず、受信する場合(WWW教育情報を利用する場合)の問題点を見てみよう(次のグラフを参照)。この中で注目すべきは、「役に立たない情報が多く有用な情報が埋没」(31%)、「情報が一般向けで教育用でない」(20%)、「必要な情報が存在しない」(19%)という点である。つまり、利用可能な教育・学習情報が不足している、ということである。

 2_1で数学に関するWebページについてみてみたが、こうした情報量の絶対的不足は数学に関しても(特に数学に関しては?)おおいに当てはまるところである。問題点のトップにある「ネットワーク設備」をはじめとする設備面での環境は、これから急速に整備されていくことが予想される。そのとき、本当に必要な情報が得られるかどうか。そうした教育のための1次情報を急いで整備していく必要があろう。このホームページもその一翼を担っていくつもりであるが、道研や情報処理センター等の行政機関の負う責任は大きいといえる。

<情報受信時の問題点>
「インターネットと教育利用の現状'97.1」大阪教育大学Webページより



5_2 公開する場合の問題点

 情報発信時についての結果から見てみよう(次のグラフを参照)。この中で注目されるのは、まず「校内組織の未整備」(35%)という点である。インターネットに学校全体としてどのように取り組むのか、そうしたコンセンサスと体制の不十分が指摘されている。

 次に、「情報の更新」(19%)、「コンテンツ作成」(16%)に手間がかかるという運用・管理の面での大変さがうかがえる。実際に学校でホームページを作成しても、人事異動にも関わらず学校長の名前が更新されていないであるとか、担当の教員の移動に伴ってページが消滅したなどの話を聞く。この研究会のページの編集も個人的な努力によるところが多く、そうした同様の危惧はぬぐえない。研究会が母体となっているため、更新して行く内容はこれからも数多く存在する。今や世界共通の記述言語となったHTMLファイルの作成は、みんなが共通に身につけていきたいものである。

 もう一つ注目したいのは、「サーバの管理」という点である。今はまだ比率は少ないが、将来的には大きな問題となろう。専用線を引いていなくても、校内イントラネット環境の整備に進むことにより、これまで以上のネットワーク管理者の重要性の増大とそれに伴う管理者への負担過多という現象が起こってくる。今のところ環境面での整備状況が良くないためあまり表面化しないが、コンピュータの更新時期に伴うイントラネット環境の整備に伴いここ数年で大きな問題となって表面化しよう。

<情報発進時の問題点>
「インターネットと教育利用の現状'97.1」大阪教育大学Webページより



5_3 インターネット利用の問題点

 最後に、5_2の中にある「個人情報保護条例による制約」などによるインターネット利用における問題点について簡単に触れてみたい。「情報教育ネットワーク形成推進事業」運営上の留意事項として、次の点があげられた。

  1. 生徒が有害情報に触れることのないように、十分注意し指導すること。
  2. 生徒及び関係者の個人情報、肖像権、著作権等の保護に努めること。
  3. ホームページへ掲載する場合においても、上記2の事項に十分留意すること。
  4. 発信する情報は、他人を誹謗中傷したり、著作権、知的所有権などに触れたりするものとならないように配慮し、生徒にネットワーク利用上の基本的モラルである「ネチケット」が身に付くように指導すること。
  5. 自校のホームページから他のページへのリンクは、有害情報が含まれないことや教育効果が十分あることを確認した上で設定するものとする。
  6. コンピュータウイルスに対しては十分に配慮すること。
 特に行政側では「個人情報保護」についてはかなり神経を使っているようである。通称“世田谷事件”に見られるように、個人の人権に絡んで様々な問題が派生する可能性がある。「足利私立情報学園」のように、ネット上で内規的な提案がなされている。学校のホームページ制作が盛んになりつるある現在、道研を初めとする行政側はしかるべきガイドラインを早急に示す必要があろう。  また、コンピュータを利用する上で生じる弊害、例えば「生活体験、自然体験の不足」「心身の健康に対する影響」などについても、最近はよく取り上げられる。仮想(バーチャルリアリティ)と現実の区別のつかない子供、サイバースペースの中でしか関心を示せない子供。そうした問題についても考えていかなくてはならなくなるであろう。最近はやりの「たまごっち」なども、そうした仮想空間の逸すといえるであろう。