毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-03 1992.7.15(Tue)

★自由な大学生活★

君達が受験に立ち向かう頃は,おそらくまだまだ厳しい受験の時代ではないかと思うが,俺が受験に立ち向かった頃は割と誰もが希望の大学に入れた頃だ.(それでも,大学受験は厳しかったんだよ.)今回は大学生活の魅力を話してあげよう.

大学生活の一番の魅力は,何と言っても,”自由”である.特に俺なんかは,親元を離れての一人暮らしだから,親の監視もなければ,社会的な責任もない非常に中途半端な,でもまったくフリーな立場で4年間過ごした.これは俺にとって大いに意義のある時間だった.今の俺はこの4年間なしには語れない.

しかし,大学生活は決してバラ色の日々ではなかった.何が一番辛かったかと言うと,金がないのが一番辛かった.最初の1年間は下宿住まいで,下宿代が\35,000,仕送りが\40,000,奨学金が\23,000,結局自由になる金は\28,000.これで一ヶ月暮らすのはとっても苦しかった.人とつきあうには,ある程度金が必要になる.遊びに誘われても,金がなければつきあえない.大学1年目の半年間は,大学と下宿の往復の日々だった.

2年目からは,自炊を始めたが,収入に変化があるわけではないので,当然苦しい日々が続く.そして,2年目からはバイトに明け暮れる毎日が始まる.1年目は,サークル活動を一生懸命やっていたので,どうしてもバイトをする時間が作れなかった.2年目になって,精神的にも,立場的にも余裕が出てきてバイトを始めた訳だ.最後4年生の頃は毎日,そう日曜日もなく毎日バイトをしていた.今にして思えば,あれほど稼いだ金はどこへ消えてしまったんだろう?

毎日,何をするでもないが,大学の自由な空気の元で過ごした時間は,俺を人間的に大きくしてくれたし,社会を見つめる眼も養ってくれた.良き友にも出逢えたし….

でも,今は大学もずいぶん管理的になってきて,昔のような自由な空気は失われつつあるけれども….

今よりは,素敵な何かが大学生活にはあるんじゃないかな?それは,何よりも”自由”ではあるが….それ以外にもきっと素敵な何かがあるはずだよ.

でも,一つだけ忠告をしておく.”自由”を手にするためには,同時に”責任”も背負わなければならない.何をするのも自分の自由であるし,どんな生活をしても誰も文句は言わないだろう.しかし,自分の行動に責任を持てないものは自由を使う資格がない.それほどに自由を得るにはそれなりの代償を払わなければ,責務を果たさなければならない.自由な日々を4年間送るのと,高校を出て社会に出るのとでは人間的な幅に大きな差ができると思う.(もちろん中には大学へ行っても人間的に”ありゃ〜!何だ,こいつは!”と思う奴は沢山いるけれども….)だから,俺は君達に大学へ行くことを勧めたい.

楽しいぞ大学は!なにしろ俺が初めて”学ぶ”事の楽しさを知った場所でもあるのだから.君達にも同じ思いを味わって欲しいな.

それに,いろいろな奴がいて,世間の広さも痛感できる.人間が面白いと思える.そんな場所だ!!

★人は何故に生きるのか?★

人は何故生きているのだろう?我々は,目的も希望も無く生きていく事はできない.時に思う.”何故に我々は生きているのだろう?”と.

その一つの答えとして,こんな話をしてあげよう.

君達は生まれたばかりの赤ん坊を見た事があるかな?生まれたばかりの赤ん坊は目も見えず,手のひらをぎゅっと握りしめている.全ての想いを,ただ泣くことだけに託して.でも,そんな小さな,生まれたての無力な赤ん坊でさえも,その手のひらの中に夢を握りしめているんだ.

しかし,悲しいかな,誰もがすべてそうなのだが,目を開けた時に,その目の中に飛び込んで来た光景に,思わず握りしめていた手のひらを開いてしまう.優しい母親の笑顔に,力強い父親の眼差しに,生まれてきた事の喜びを感じて,手のひらを開いてしまう.あれほど,生まれて来る前に神様から,『どんな事があっても,その手のひらを開いてはいけませんよ.』と言われていたのにもかかわらず.そして,その瞬間・・・,生まれてきたときに授けられた夢を失ってしまうんだ.大切な,大切な夢なのに・・・,

気が付いたときは,そう,物心ついた時には,自分が手のひらの中にどんな夢を握っていたのか,いや,自分が手のひらの中に夢を握っていた事さえ忘れてしまっている.

人は何故に生きるのか?それは,失ってしまった夢を見つけるために生きているんだ.失ってしまった夢を見つけることは不可能に近い.まして,見つけられたとしても,ただで取り返すことは出来ない.それなりの代償を支払わなけらばならない.人は皆神様に授けられた夢を失い,そして失った夢を見つけるために生きていく.だからこそ,神様は人間に,生きること自体が苦しみであるようにしたのかも知れない.

生きていく事は,時として余りにも苦しい.余りにも悲しい.それでも生きていかなければならないとしたら,それは失った夢と引き換えにできるに値するものだろう.生きること自体が・・・.

だから,自分自身に正直に生きていく事の出来る者には,夢を取り戻すチャンスが必ず1回は少なくとも訪れる.そのチャンスをうまく掴めば,失った夢を取り返す事が出来る.

ただ,それほどに,言うほどに,易しい事ではない.

昔,人がまだ自然と共に,自然の中で生きていた頃,神様はもっと人に優しかったし,人ももっと素直だった.生きている物の命の声を聴くことの出来る人間もいたし,人間に優しく語り掛けてくれる物もいた.だから,生きることがそれほど苦でもなかったんだけれど….

今は,人間が人間の事だけしか考えない,自分の事しか考えない,そんな心の貧しい人間ばかりになっているから・・・.だから,生きていく事は,そんな人間のなかで生きていく事は,ただ苦しみのみを背負い込む事にしかならない.

我々は,いや,君達は生まれた時代が悪かったのかもしれないナ.でも,そんな事ばかり言っていてもしかたがない.現実は受け入れなければならないのだから.

君達の中で,あるいは君達の知っている人の中で,失った夢を取り返すことが出来た者がいたら教えて欲しい.心の中に再びともっ

ともしひ゛

た希望という灯火を共に大きくして行きたいから….

自分の手のひらを見つめてごらん!!その手のひらに,生まれてきたときに握りしめていた夢のかけらが残っていないか,じっと見つめてごらん.君達の心が,まだ,生まれたときのピュアな状態であれば,きっと夢のかけらを見つけられると思うから.

Printed in Tounn.1992.
Written by Y.O^kouchi.1992.
Copyright 1987,1992 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.