毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-08 1992.9.16(Tue)

★数学は恋愛と同じだよね!!手を抜くと失敗するよ!!★

数学は恋愛と同じである!!いきなりこんな事を言われるとなんだろうと思うかも知れないが,これは本当の事である!!数学は恋愛のように妙に難しいし,また,妙に心をくすぐる物である.

例えばどこが似ているか?しっかりとモノにする前に手を抜くと失敗する,痛い目に合うという点ではそっくりである.具体的に言えば,彼女の(彼の)心をつかまえるまではとにかく誠意を尽くすしかない.自分の想いを,心を,伝えるしかない.ありったけの,出来るだけの行動で.誤解しないでほしい,彼女の(彼の)心を捕まえるまでには,かなりの時間がかかる.つき合えるようになったからと言って,彼女の(彼の)心を捕まえたわけではない.本当の自分を,本当の自分の魅力を彼女に(彼に)伝えるのは,つき合い出してからである.それからの頑張り,努力でもって自分の魅力を見せて,彼女の(彼の)ハートをくぎ付けにしなければならないのだ!!本当に,彼女の(彼の)心を捕まえたならば,それからは多少,多少だよ!!,多少ならば,手を抜いても,笑って,あるいはちょっと怒ってでも,許してくれるだろう.でも,心を捕まえる前に手を抜いてしまうと,何?!この人??真面目に私の事を考えてくれているのだろうかしら??本当に私の事を好いていてくれているのかしら??単に私の事を学生時代の,その場しのぎの女程度にしか考えていないのではないかしら??と思われてあっけなくふられてしまう.それこそ,間違いなく.数学も同じである.本当に自分自身に力がつけば,途中計算を省略して,手を抜いても一向に構わない.それで充分に正しい答を出せる.だが,中途半端にしか分かっていないときに,面倒くさいからと言って途中計算を省略したり,演習問題を沢山解かなかったりすると,自分では分かっているつもりでも実は何も分かっていなくて,結局問題が解けなくなっていくのである.

恋愛に手を抜かなくても数学に手を抜く奴は沢山いる.だが,恋愛に手を抜いて,数学では手を抜かないと言う奴はほとんど,いや,全くいないといっても言い.(当たり前か!!)確かに,数学よりも今の君たちには恋愛の方が魅力的かも知れない.その気持ちが分からないわけではない.でも,ただ単に恋愛にのめり込んでいっても,自分自身に魅力がなければ結局破局しか待っていない.それにさえ気が付かない自分の愚かさに早く気が付くべきである.もちろん数学を一生懸命やれば自分が魅力的になるという保証はない.でも,何に対しても一生懸命になれないような軟弱者は,恋愛すらする資格がない.資格があってもふられるのが関の山である.

恋愛は数学と同じくらいに奥深いし,また難しい.難解である.だから,一言で好きだとか嫌いだとか,楽しいとか面白くないとか,出来るとか,出来ないとか語れる物ではない.

そうでしょう!?恋愛だって,恋愛とはなにか?と聞かれたときにうまく説明できない.人を好きになると言う事はどういう事なのかと聞かれても,なかなかうまく説明できる物ではない.『好き』という想いすら自分の中で持て余してしまうと言うのに,それを他人に説明しようなどという事は到底無理な事である.数学もしかり.数学が面白いか?と考えても,今の君たちには到底面白いとは言い難い代物だろう.本当に数学が分かるには,まだまだ学ばねばならない事が多すぎる.まだまだ登らねばならない階段が多すぎるのである.その階段を上り詰めた先に,面白い,という感覚が生まれるのである.今の君たちに俺がいくら数学の面白さを説いたところで,それは「糠に釘」「のれんに腕押し」「馬の耳に念仏」「蛙の面にしょんべん」である.

悩んでいい!!苦しんでいい!!君たちの若さの特権である.人を好きになって,その切ない想いに胸をしめつけられて,悶々と眠れぬ夜を過ごすのも大切な事である.好きだという想いを上手く伝えられずに,心の中で涙しながらクラスメートを演じたり,他人を演じたりしていくのもまた大切な事である.

同じように,解けない数学の問題を抱えて,何日も頭を抱えて苦しむのも大切な事である.何日も何日も考え続けた挙げ句に,やっぱり自分では解けないと自分の非力さを嘆き悲しむ事も大切な事である.

そんな経験を積み重ねていかないと,結局自分自身の魅力を引き出せないのである.そんな経験をしないと自分自身を成長させていけないのである.

恋愛に一生懸命になれるのであれば,数学にも一生懸命になれるはずである.恋愛に向けるエネルギーと同じエネルギーを数学にも向ける事ができれば,必ず数学の面白さが分かるようになる.色恋に悩むのはいい.だが,絶対に色恋に溺れるな.溺れてしまうとあとは沈むしかない.そして,一度沈むと二度と浮かび上がって来れなくなる.それが色恋の恐ろしいところだ.気を付けたまえ.

忘れるな,恋愛と数学は似ているんだ!!絶対に手を抜くな!!手を抜いたら必ず失敗するぞ!!!

★続々々4次元の話〜宇宙の外には何がある?〜★

前号でも4次元の話をしたが,君達はどれくらい理解できたかな?なかなか簡単には理解できないと思うし,それは当然のことである.なにしろ我々は3次元人なのだから.4次元の本質が本当に解るはずがない.想像の域を越えれないのだ.

ところで,話が変わるように思えるが,宇宙の外には何があると思う?想像できるかい?俺にはちょっと想像できない.でもなぜ想像できないのだろう?俺は真剣に考えてみた.どうして俺には宇宙の外を想像できないのだろうかと.結論.それは,俺が宇宙の内部の世界に属しているから,そして,なおかつ外の世界を知らないから.これに尽きるということだ.当り前の事だって?そうだよ!当り前なんだよ.でも,これが以外と大きな壁になるんだ.我々の今住んでいる宇宙はまさに3次元世界である.その3次元世界の属物である我々が,3次元世界を超えるであろう宇宙の外の事に想像が及ぶはずがない.

我々が,宇宙の内部でしか生活をしていない,それだけの存在でしかないと言うことは,我々の思考が宇宙の内部の事のみに束縛されてしまうということだ.従って,我々の物の考え方はどうしても3次元空間をBaseにしたものでしかないということだ.

ところが,宇宙の外が3次元であるという保証はどこにもない.現にこの宇宙は今も膨張を続けているのである.これは科学的にも証明されている.だが,膨張を続けれるという事は,よくよく考えてみると宇宙が存在しているのは3次元世界ではないのではないだろうかと思えてくる.もし,この宇宙が3次元世界に存在しているとすると,今の宇宙の膨張を許すような3次元空間が宇宙の外になければならない.果たしてそんな3次元空間があるのだろうか?それよりも,我々の宇宙空間は実は4次元世界の中にあって,その中の3次元世界なんだと考えた方が,むしろ自然なのではないだろうか?無限に膨張を続ける宇宙という3次元空間を平気で包み込めるのは,やはり,3次元よりも次元の高い4次元空間ではないだろうか?

宇宙の外には何がある?我々の理解と想像を超えた4次元空間,4次元世界が存在するのである.

それは,3次元世界で2次元の世界が作れるように,(例えば将棋や,碁などは2次元のゲームである.)4次元の世界であれば,3次元の世界がたやすく作れるはずである.そう考えると,我々の知らない世界が,そして我々の知らない次元人がいるかも知れないと考えられる.4次元人や,5次元人がいてもおかしくないのである.

だが,我々は3次元世界の属物であるし,3次元世界しか知らない.つまりは,我々がこの3次元の世界でしか生活していない限り3次元人でしかなく,4次元人や5次元人,そして2次元人の物の考え方は永遠に理解できないし,他次元のことなど理解できるはずもないという事でもある.

いつの日か,我々が他次元世界の人間と遭遇したときに,共に理解し合い,いがみ合いではなく,友好的に共存できるかどうかは,他次元的な物の考え方が出来るかどうかにかかってくるんではないのかな?

そして,その他次元的な物の考え方ができるかどうかは,結局のところ個々人の想像力にかかってくるのではないだろうか?豊かな想像力があれば,我々は他次元人と手を取り合って共に生きていけるかも知れない!!そうだ!!想像力に磨きをかけろ!!!

Printed in Tounn.1992.
Written by Y.O^kouchi.1992.
Copyright 1987,1992 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.