毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-09 1992.9.21(Tue)

★『いい女』の話★

MAT Information第4号で円周率の話をしたが,その中で出てきた『いい女』の話を今回はしてみたいと思う.まだ君達は子どもだから,女の価値とか,男の価値とかはよく分からないと思うが,それに,これから話す『いい女』は,俺が考えている『いい女』であって,世間で誰もがそう思う『いい女』とは,ずれていると思うから,そういうモノかなという程度に聞いてくれればいいと思う.

『いい女』とは,基本的にはやはり『悪女』である.勘違いするなよ!!『悪女』とは誰とでも遊び歩き,一夜を共にし,体を開く,そんな軽薄な尻軽女を指しているのではないからな!!君達の今の知識ではきっと『悪女』というと,そんな風に考えてしまうと思うから忠告しておこう.『悪女』とは,男を虜にする女を指すのである.彼氏がいようがいなかろうが,結婚していようがしていなかろうが,そんな事は関係無しに男を引きつけてやまない,魅了してやまない,そんな女を指すのである.(『いい男』も同じである.)俗に言う,『いい人』ではダメなのである.『いい人』には魅力がないのである.確かに『いい人』はいい人なのであるが,それだけでしかない.そこから先へのあと一歩をどうしても踏み出せないで終わってしまうのである.そんな人を,そんな男を『いい人』と呼ぶのである.だから,『いい女』,『いい男』とは意味がまるっきり違うのである.

よくいるでしょう!彼はいい人なんだけれども・・・,彼女はいい人なんだけれども・・・,と形容される人が.そんな奴に限って彼女(彼氏)がいないのである.

ちょっと話しがそれてしまったが,元に戻して話しを続けると,『いい女』は基本的に『悪女』でなければいけない.男を引きつける魅力がなければ,男を虜にする魅力がなければ,『いい女』にはなれない.しかし,それだけだけでも『いい女』にはなれない.『悪女』である事は,『いい女』であるための必要条件であるが,十分条件ではない.あと何があれば『いい女』と呼べるのだろうか?

一つは,真剣である事.生き方が,真剣でなければいけない.中途半端な,投げやりな,その場しのぎの生き方をしているようではいけない.『いい女』は魅力的であるが故に,いつも真剣であるはずである.その真剣さがどこから来るのかというと,その生き方から来るはずである.真剣,そうでなければならない.

二つは,光輝いている事.『いい女』故に魅力的であるし,魅力的であるが故に,光輝いているはずである.男を引きつける魅力とは,顔がきれいだとか,スタイルがいいとか,そんな外見的な事でのみ,決定されるような安易な物ではない.確かに,美人の方がいいだろうし,スタイルがいい方がいい事は確かであるが,それは,個人の魅力のほんの一部分でしかない.千分の一,万分の一,いや,一億分の一の重みしかない.言葉が言うほどに魅力を左右したりはしないのだ.美人とか,スタイルがいいとかいう事は.魅力とは常に内面からにじみでる物である.内面より,湧きい出る物である.だからこそ,自分自身を磨かなければ,魅力的な人間にはなれない.どんなに頑張っても,一日やそこらの付け焼き刃で魅力的な人間にはなれない.(俺を見ろ俺を!!こんなにいい男は他にはいないだろう!!これも日々の自己研鑽の賜ですよ!!)

では,どうすれば自分自身に磨きをかけるのかというと,投げやりに物事を考えないとか,どんな些細な事にも手を抜かないとか,自分の欠点にしっかりと目を向け,その欠点を直すように努力をするとか,自分の内部に想いを馳せて人生の深淵にて戯れるとか,いろいろと方法はある.要は努力を惜しまないという事が大切なのである.それも,人の見ていないところで誰にも気づかれずにである.よくいるでしょう,誰かの見ているところで一生懸命で,一人になると何も努力をしないという奴が,そんなのは最低の奴で,ただの格好付けに過ぎない.本当の努力とは誰にも気づかれずに行う物である.だからこそ『いい女』は,光輝き,人を引き付けるのである.何の努力も苦労もしないで『いい女』でいられるわけがない.必ず大変な想いを,大変な苦労をしているのである.でも,その大変な苦労を誰かに見せてしまったら,その時点で『いい女』でなくなってしまう.ただの『いい人』になってしまう.ただの,『努力家』になってしまう.そう,『いい女』の魅力の一つは,輝きの一つは,何の苦労もしないでも『いい女』でいられるというふうに思われるところにある.誰もが,ダイエットに励んでいるときに,その隣で涼しい顔をして,ごちそうさまと言い,そんな苦労をしなければならないなんて,そんな事をしてまで食べたい物を我慢するなんて,かわいそうですね,とちょっと冷たい目で見下していく,そんな事ができる事である.それでは,ダイエットなんか全く考えていないかと言うと,実は他の誰よりも食べ物には気をつけているんだというそんな見えないところでの努力を惜しまない女でなければいけない.

魅力的になりたいと思うのは誰もが同じである.光輝きたいと思うのは誰もが同じである.でも,だからといって誰もが魅力的になれるわけでもないし,誰もが光輝けるわけでもない.そうなれるのは,自分を人知れず磨きあげた者だけである.

三つは,賢い事である.誤解しないでほしい.賢い=成績がいい,ではない.賢いとは知識がある事ではなく,知恵がある事である.例えば,何人もの言い寄る男を相手に,上手く全部の男と付き合っていけるような女は賢い女である.もちろんその女には2種類あるが.1つは他にも付き合っている男がいるとはっきり分かっていても,それでもいいという女と,他にも付き合っている男がいるのだろうか?とさえも思わせないで男達と付き合っていけるそんな女.特に後者の女は賢いを通り越しているかも知れない.しいて言えば,

”怖い”とさえ言える.

嘘一つ取ってもそうである.嘘がなぜ嘘かと言えば,ばれてしまうから嘘が嘘になる.嘘だって,ばれなければ嘘ではいのだ.間違うなよ!!嘘を君達につけと言っているのではない.どうせ君達がついたところで嘘でしかない.ばれるような低俗な嘘しかつけないのだから!!俺は君達には嘘なんかつくな!!と言いたいのだ!!どうせばれるからやめておけと言いたいのだ!!だから,嘘にならないような嘘をつけるという事はそれだけで賢いとも言える.

四つは人の心が読めるという事である.別にこれはESP(エスパー)になれと言っているのではない.そんな事は無理なのであるから!!そうではなくて,逢ったときの相手の顔色とか,表情とか,喋り方とかその内容とかそんな様々な事からそのときの相手の心の有り様を読み取れるようでなければいけない.でなければ,相手が落ち込んでいるときに,一人で騒ぎ立てて神経を逆なでしたりして怒らせてしまったりする.そんなのは『いい女』がする事ではない.そんな低俗なミスは絶対にしてはいけない.『いい女』が『いい女』でいられるのは,時に相手の心に合わせて自分を演じ分けられるからである.

『いい女』はやっぱりいい女である.ちょっとシックな黒いドレスで,さりげない微かな香の香水で,派手ではなく,だからといって何一つアクセサリーをつけていないというのでもなく,それでいて,潤んだ瞳が男の心を誘うように誘惑している,そんな女に逢ってみたいものである.

だが,忘れてはいけない.『いい女』に逢いたければ,自分自身が『いい男』にならなければいけない.『いい女』だからこそ,誰にも声を気安くかけたりしない.『いい女』に声をかけられるのは『いい女』がその価値を認めた男だけである.その辺に転がっている石ころ程度の価値しかない男や,石ころにも及ばない男(石ころならば文鎮代わりになりはするが,どうしようもない男は文鎮にすらならない.それどころか腐って異臭を発する.存在自体が問題となる.)には絶対に声をかけない.だから,男を磨かなければならない.世の中にはつり合いというものがある.つり合わないものは壊れるしかない.どんなに『いい女』でも,男を見る目がない者は『いい女』ではない.男の価値も分からないような浅はかな頭では土台『いい女』にはなれないのだ.『いい女』と付き合いたければ自分を磨き,『いい男』になるしかない,そう,俺のように!!

やっぱり,『いい女』は悪女がいいよね!魅力的な,心を酔わせる悪女がいいよね!!

Printed in Tounn.1992.
Written by Y.O^kouchi.1992.
Copyright 1987,1992 MAT Inc.
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