毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-36 1993.3.2(Wed)

★心の中にある自分だけの答★〜大切なのはその姿勢である!〜

数学を専攻したからだろか?それとも,元々俺の中にその種の資質があったからだろうか?どちらにせよ,俺自身は考える事が好きである.それも,”ものすごく”という形容がピッタリくるほどに考え込む事が好きである.君達からすれば,先生考え過ぎだよ!!そう言われそうであるが,俺からすれば,まだまだ考え足りないと思っている.

先日,大学時代の同級生から電話が来た.”大河内君,元気?”懐かしい声であった.大学時代の,同じ数学科の同級生である彼女とは,それこそ,卒業してからは,仲間の結婚式で顔を合わすぐらいで,ここ数年は全く連絡が絶えていた.せいぜい年賀状をやりとりするぐらいである.しっかり者で,頑張り屋さんだが,いまだに一人で,電話が来たときは結婚するという話かと思った.今は,十勝の方で小学校の先生をしている.

自信を無くしていたんだと言う事だ.職場の中で,上手く自分を出せずに,思い通りにならない現実に自分自身を見失い,つまらない人間関係ばかりに気を遣い,大切な生徒に目を向けられずにいたんだと言う事だ.話を聞いていて,”ヘエ〜,彼女でもそんな事があるんだ?!”と思った.俺のように,小心者で,周りに気を遣いすぎて,言いたい事の千分の一も言えずにいる者ならともかくネ.(いい加減に嘘をつくのは止めろ!!どこが小心で,どこが周りに気を遣っているんだ!!どこが言いたい事の千分の一なんだ!!そう君達からの反論がきそうであるが,実際言いたい事の千分の一しか言っていないのだから仕方がないじゃない.それに,君達からみたら,周りに気を遣っていないように見えるかも知れないが,それはそれ,君達がまだまだ未熟であるからで,俺のように高等な気の遣い方が理解できないだけなんだよ.まあ,小心と言うのは,嘘かもしれないけれども.)

結局は,そんな悩みの相談をしてきたわけではなく,そんな自分が”Be You セミナー”というセミナーを受けて自身を取り戻す事が出来たので,大河内君もどうだろう?という,いわば,勧誘の電話であった.びっくりした?昔の彼女からの電話を自慢しているのかと思った?本当にそうなら,こんな所に書かないで,ちゃんと隠れてこっそり上手い事やってますよ.ばれなきゃいいのだから.

”Be You セミナー”自分らしくなるためにという事で,自分の中にある潜在的な性格,能力を表面に引き出す手助けをしてくれる,自己開発プログラムらしい.らしい,というのは詳しくは聞いていないからである.聞いても仕方がないと思ったからでもあるが.ただ,余りにも彼女が真剣に,熱心に進めるので,むげにも断れなかっただけの事である.

では,なぜ俺に電話をしてきたのか?年賀状に体重が10s減ったと書いてあったのを見て,何か悩んでいるのではないだろうか?と思ったかららしい.加えて,そのセミナーは札幌で定期的に開催されているので,札幌にいる俺なら受けれるのではないかと考えたからだろう.確かに札幌は便利な街である.何でもかんでもそろっていて,便利極まりない.ただ,正直俺は余り好きではないが….

そんな熱心な彼女を傷つけないように,当たり障りない言葉を選びながら,電話を切った.どれくらいだろう?40分ぐらい話していただろうか?しばらくぶりという事もあって,俺にしては珍しくなが電話をしてしまった.そして,電話を切ってから,いや,電話中も思っていたのだが,違うよネと.

何が?答は,外にあるのだろうか?いや,答は自分の心の中にしかないのである.自分が抱え込んだ悩みの答は,結局は自分の中にしか存在しないのである.誰かに答えてもらったり,誰かに頼ったりしても,それは本当の答を手にいれた事にはならないのである.俺はそう思っている.

彼女は,セミナーに通う事によって,失っていた自分自身を取り戻す事が出来たと言っている.それはそれでいい.自分自身をもう一度理解する事が出来てよかったと言っている.いいところも,嫌なところも全部見えてきてよかったと言っている.自分がこの先どうなりたいのかという目標となる人間像も見つけられてよかったと言っている.それはそれでいい.

でもね,そんな事は俺に言わせれば,わざわざセミナーを受けに行かなくても,自分自身の中に答を求めて行けば嫌でも見つけられる事でしょう,といえる事である.1期のセミナーを受けるだけで,10万近い費用が必要になるらしい.まあ,それなりの価値があるのだろうとは思う.自信を失っている者が再び自信を取り戻せるのである.それは金に換算できないくらいの価値がある.それに,多くの経験,データが蓄積されているので,自分だけで自己開発して行くよりも,ずっと効率がいいであろうと言う事もわかる.3年かかる事が,3カ月で出来たりするのであろう.まあ,あくまでも精神的なレベルの問題であるから.

でも,俺には,その姿勢,それ自身が軟弱に映ってしまう.俺だって,始めからこんなに自信があった訳ではない.まあ,今は確かに自信に溢れているし,自分の行動に責任だって持てるけれども,それだって,教職9年という,いや,人生32年というその生き方,経験の中から造り上げてきたものである.始めからこうだった訳ではない.それこそ,教職について3年間は,自信の欠片すらなかったし,自分自身をしっかっり見つめる勇気もなかった.逃げ出したくなる事ばかりの毎日だったし,今にして思えば,埋めてしまいたくなるくらい恥ずかしい,情けない毎日であった.

そんな毎日から,逃げ出す事はいともたやすい.辞めてしまえばいいのである.自分は教師に向いていないと逃げ出してしまえばいいのである.他に向いている職があるはずだと尻尾を巻いてこそこそ逃げて行けばいいのである.しかし,それこそ軟弱者ではないか!何一つ努力をしないで,あきらめてしまう,打ちのめされるだけを受け入れてしまう.そんなのはただの負け犬である.”嫌だ!絶対に嫌だ!このまま,負けたまま逃げ出すなんて!!”それは心の叫びである.自分自身の中にしまい込まれていた心の叫びである.

結局は,毎日の姿勢である.泣き虫な自分が嫌なら,絶対に泣かないぞと誓って毎日を送ればいい.弱虫な自分が嫌なら,ちょっとの事ではあきらめたり逃げ出したりしないぞと誓って毎日を送ればいい.そして,常に自分の中に答を求めていけばいいだけの事である.なぜ自分は泣き虫なのだろう?自分の中に答を求めるのである.もちろん見たくない自分,隠して置きたい自分がそこにいる.泣き虫な訳がそこにある.ドロドロとした,すごく醜い自分の本当の姿がそこにある.なぜ自分は弱虫なのだろう?すぐにあきらめてしまうのはなぜだろう?自分自身をもう一度しっかりと見つめればそんなのは誰にだって嫌が上にもわかってしまうのである.簡単な事なんだから.それすら出来ないから,人は精神が弱いといわれるのである.軟弱者と罵られるのである.

君達はこの先何年生きる?例えば,君達が俺に挑んできたとして,(まあ,勝とうなどと考える事がそもそも大間違いなのではあるが!)

今すぐにこの偉大なる大河内大先生に人間的に勝てるか?無理である.わかりきっているが,絶対に無理である.なぜ?生き方の姿勢が違うから,そして,その経験が違うから.16の君達が,32の偉大なる大河内大先生に勝とうなどというのは,今すぐ人間的に勝とうというのは絶対に無理である.だからといって,このまま負けたままでいいのか?悔しいよね!当たり前である.負けたまま終わるのはそれこそ悔しい.”悔しくなんかないよ!”そんなのはただの強がりでしかない.そういう奴に限って,自分自身を見つめる事すら出来ない軟弱者の極みである.

あきらめるな!そう,君達にはまだ時間がある.16年という時間があるではないか?俺が32年かけて手にいれた今の自分自身を君達が28年で手にいれる事ができれば,それは君達の勝ちである.もちろんその時は俺はさらに高みに至っているが.(生きていれば)

自分の中には,それこそ無限に答がある.自分の心の中は,それこそ果てしない宇宙である.その中から答を見つける事は,大海に落とした指輪を拾うほどに難しい事でもある.だが,だからといって,何もしないでいていいという事にはならない.答はちゃんと心の中に,自らの心の中にあるのである.それを自らの手で引き出せるかどうかは,それはまさに生き方の姿勢にかかってくる.

彼女が,自分を見失っていたから,セミナーに頼った.それを責める気はさらさらない.だって,それは彼女の生き方だから.どんな手段を使おうが,結局彼女は自分の心の中にある自分自身を見つめる事が出来たのである.それだけで充分である.

ただ,俺にすれば,それすら自分でやりたいし,その方が絶対に格好いいと思っているだけである.

だから,君達にも言う.可能性の芽をつぶすな.それも,くだらない見栄や,情けない自分自身の軟弱さで!!心の中にある本当の自分自身を,醜い自分自身を見つめ,そして,戦え!!

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.