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毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-38 1993.3.24(Wed)

★君達に野心はないのか???!!!★

忙しい時間の合間をぬって,ようやく冬休みの課題の1の方だけ,”10年後の自分”にだけは一通り目をとした.どんな夢が詰まっているかなとワクワクドキドキしながら,ゆっくり丁寧に読んだ.正直言って,がっかりした.

君達個人の夢であるし,君達の10年後の姿である,どんな未来を夢見てもそれは君達の勝手である!!だから,それについて俺がどうこう意見を挟むことは,それはある意味でおこがましいことになる.だが,それを承知であえて言わしてもらおう!

君達に野心はないのか!

君達に野心はないのか!

君達の未来は輝いていないの?平々凡々のそんないつでも手にはいるようなそんな人生でしかないの?世界を変えたいとか,歴史を変えたいだとか,そんな野心はないの?

まあ,そんな大それたこと口にできるわけないじゃない,言葉にできるわけないじゃない,思っていても,そういう者もきっと中にいるだろう.事実,読んでいて,こいつの文は上手い,そう,唸らせるような文を書いてくれた者もいる.(2組の佐々木の文なんか読んでいてヘーと感心してしまった.佐々木の情熱が伝わってきて,読んでいる俺まで心の中の情熱が燃え上がるように感じた.)あるいは,全くの夢物語のような形で,フィクションである,と断りながらも夢見ていることを描いてくれた者達もいる.

でも,大半は,いやほとんどの者は,野心の欠片もなく,小さくまとまった未来を描いているに過ぎない.15だよ.16だよ.君達はまだそんな年でしかないのだよ.酸いも甘いも知り尽くしたおいぼれ老人とはわけが違う.限りない未来が存在しているはずなのに,どうしてそれを夢見ないの!!!

もし,描いているのであれば許して欲しい.ただ言葉にしなかっただけだというのであれば許して欲しい.君達の誰もが作文が上手なわけではないだろうし,思っていることを誰もが上手く言葉に置き換えられるとも限らない.すごい事を考えていても,それが上手く言葉にならずにもどかしい想いをしている者だっているはずであるし,そんな事気恥ずかしくって大河内なんかに言えるわけないじゃないか, そんなシャイな奴だっているはずである.だが,君達の大半はそうではないであろう.もしそうなら,どんなに文が下手でも,その文のどこかに君達の情熱の欠片がこぼれているはずであるから.残念ながら,君達の情熱の欠片が見えなかった.

俺は高校時代,今もそうであるが,すごいシャイで言いたい事が上手く人前で言えなかった.もちろん今もシャイで言えないのだが.夢なんて気恥ずかしいので,他人になんか言えなかった.でも,そう,いつか世界を変えてやるんだとか,俺が世界を,という野心があった.馬鹿なのかも知れない.でも,そんな境地に至るのにはかなりの時間が必要であった.高校3年生にならないとそんな気持ちにならなかった.いや,実はもっと以前からそんな気持ちになっていたのだが,気がつかなかっただけかも知れない.恥ずかしがり屋だから.

高校時代で一つ残念な事がある.何か?それは,声高に,

”君達に野心はないのか?!”

そう俺達に叫んでくれる教師がいなかった事である.もし,そう叫んでくれる教師がいたら,俺はもっと早く自分自身に自信がもてたかも知れないのに.高校生の頃に自信がもてたかも知れないのに.

だからと言うわけではないが,俺が君達に叫ぼうではないか.

”君達に野心はないのか?!”と.

いいじゃない,そんな教師が一人や二人いたって.だって教師は生徒の道標だもの.”野心を抱け!世界に挑め!夢をつかめ!”そういう道標があってもいいじゃない.俺はそんな道標になりたい.そして,君達に”野心を抱け!!”と叫び続けたい.

平凡な人生が悪いわけではない.むしろ平凡な人生を送る事がいちばん難しい事かも知れない.事実,俺の後輩で,結婚してすぐに離婚してしまった奴を知っているし,妻の友達で,31であるが,男運が悪く,悲しい恋を繰り返している女性も知っている.月に1度は遊びにきては,俺と戯れては帰っていく.(彼女に言わせると,友達のだんなで,友達のような口を聞けるのは俺ぐらいだと言う事で,どうも俺は異性として見られていないのではないかと思ったりもするのだが.)また,離婚調停中という者もいるし,25才で死んでしまった後輩も知っている.(病気でなく事故で)何事もなく,それこそ平凡な毎日がつまらない,そう言えるような人生を送る事が実は一番難しいのかも知れない,そうは思う.

でも,結婚して,温かい家庭があって,優しいだんな様がいて(きれいで可愛い妻がいて),そんな小さな幸せを描いたって仕方がないじゃない.だって,そんなものいつでも手に入れられるのだもの.

”夢”は手に届かないところにあるから”夢”なんだよ.すぐに手に入ってしまうような,そんなすぐ近くにあるよな,そんなものを”夢”とは決して呼ばない.だってそうでしょう!何故”夢”はあれ程までに輝いて我々の心を誘うの?天空に輝く星々のように手に届かないところにあるから,あれ程までに輝いて我々の心を魅了するのでしょう?”おいでおいで”と.”夢”だって同じだよ.手の届かないところにあるから,だからこそ光輝いているんだよ.いいかい,”夢”は手に届かないところにあるから”夢”なんだよ.そんなすぐに手の届くところにあるような,そんな小さな,そんなこじんまりとした希望を”夢”だなんて思わないでもらいたい.

仕事だってそうである.サラリーマンになって,給料が多くて,休みが多くて,なんて,そんなどうでもいいことに心を奪われるのではなくて,大きな事に挑みたいとか,自分の全身全霊を傾けれるそんな仕事をしたい,とどうして考えないの.(別にサラリーマンが悪いわけではない.人は結局は誰も彼もサラリーマンになるのだろうけれども.そういう俺もその一人ではあるのだが,ただ,自分にその自覚がないだけで.)

その気になりさえすればいつでも叶ってしまうような,そんな小さくまとまってしまった希望を,”夢”と呼ばないで欲しい.小さくこじんまりとまとまる事はそれこそいつでもできる.でも,そうしたら,人としても魅力までをも失っていってしまうんだよ.いいかい!魅力とは,長所もあれば短所もあるから魅力なのだ.非の打ちどころがない代わりに,特に取りざたすようなところもない,そんなこじんまりとした,小さくまとまった人間なんかはっきり言って魅力がない.ダメなところもたくさんあるけれだ,でも,心惹かれるところもたくさんあって,まだまだ未完成で,これから上手くすれば絶対にいい人間になれるな,それが魅力である.声高に自らの夢を語りながら,実はその夢が叶えられないと判っていて,それでもその夢に向かってただひたすらに突き進んでいく.それは一見愚かしい事のように思えるが,その情熱,そのエネルギーに人々は魅了されていく.それこそが人の魅力でる.自分なら絶対に諦めているであろう事に,果敢に挑み続ける姿を見せられたとき,人は自分の無力さ,意志の弱さを見せつけられると同時に,その人への魅力にも魅せられるのである.

夢は君達個人のものである.自分だけのものであり,俺や,他人なんかにどうこう言われるものではない.だからこそ,野心を抱かなければいけない.自らの心が輝きを放つように.

最後にもう一度言おう.

”野心を抱け!!”

誰のためでもない.自分のためにだ.

★平成4年度第1学年が終了★

この1年は短かったか,それとも長かったか?終わってみれば早いよね.何にしても,もう終わりである.4月からはT類型,U類型と別れてそれぞれの進路の実現に向けて努力を続けていくしかない.ここらで,ちょっとこの1年間を反省してみてもらいたい.どうだっただろう.本当に頑張っただろうか?満足のいく1年だっただろうか?俺から言わせれば,全く努力不足と言わざるをえない.

特にU類型にいく者,春の講習をしっかり受けて,数Tの完全マスターに努めろ!今年1年は,俺も鬼になる事はなかったが,来年は違うぞ!それこそ,阿修羅のごとき鬼と化し,君達の前に立ちはだかろう!!俺を乗りこえて,希望を実現させろ!!

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.