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Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-40 1993.4.21(Wed)

★チェルノブイリ原子力発電所の事故から7年.★〜数学は地球を救えるか?==PART-1==〜

ソビエトの原子力発電所事故が起きたのが今から7年前の1986年4月26日.俗に言うチェルノブイリ原発事故である.もう,あれから7年も時間が経過してしまった.

君達は覚えているだろうか?いや,7年前といえば9歳か10歳,小学校の3年生か4年生である.当時の事を知らないといった方が正しいかも知れない.それも無理もない話しである.小学校3,4年生にそんな事に興味のある奴がたくさんいるはずがない.例え,親が一生懸命に説明してくれたとしても,全く解らないという事が適当な表現となるくらいの知識しかなかったときである.知っているのは,知識としてであって,それも後から聞かされた知識としてだけであって,当時のあの緊張感を体験したうちには入らない.それはちょうど,俺が戦争を,あの太平洋戦争を知識としてのみ受け入れているのと同じように,戦争当時の緊張感を知らないのと同じように,である.

あの時,世界は震撼した.ソビエトから原子力発電所の事故のニュースが世界に流れたものの,詳しい内容はいっさいが外部に知らされる事なく,西側の憶測の中で,事故の究明が行われたに等しい.現在も,事故の模様,被害状況,死傷者の数,被爆者の数等はいっさい憶測にすぎない.そして,現在もその傷跡は癒えてはいない.そう,7年経った今でさえである.現在,ソビエト連邦が崩壊し,ロシアを核とした共和国制がとられ,資本主義か,民主化,市場経済制の導入が積極的に行われているから情報も徐々に公開されるようになって,チェルノブイリ原発の内部が公開されたり,その傷跡が詳しく報告されたり,外国のTVカメラが現地のレポートを行えるようになったのである.もし,ソビエト連邦が崩壊していなければ・・・.考えただけでぞっとする.

チェルノブイリ事故がもたらした被害は,ソビエト国内にとどまらず,西側ヨーロッパに,いや,世界中に及んでいる.それはもはや,対岸の火事ではない.現在世界は急速に隣国との距離を縮めている.以前であれば,自国の事故は自国だけの問題であったが,現在は一国の事故は世界中の問題となるほど世界は狭くなっている.チェルノブイリのように,大気中に死の灰をまき散らすような,人体に,自然に,悪影響をもたらすものについては,まさに,そのいい例と言える.

破壊された原子炉から放出された死の灰は,大気中に散らばり,風に運ばれ,ソビエト国内ばかりでなく,隣国のヨーロッパ,アジア,加えて,日本,アメリカにまでも,ひいては世界中に放出されたのだ.死の灰が金色に輝き,肌にふれると激痛が走ると言うのであれば,その被害の広がりを人々は実感として受けとめた事だろう.しかし,現実は違う.死の灰は大気中に拡散し,目に見えなくなり,微量であれば,痛みも感じない.世界中に散らばった死の灰を実感する事なく,認識する事なく,我々は今日に到っている.そう,判らないという事が恐怖につながるのである.見えないけれども人体に,そして自然に有害なのである.それもものすごく.

被害はそれだけではない.大気中に散らばった放射能は,自然界に半永久的に残っている.半永久的にというのは,ウランの半減期(詳しい事は化学で習う.ひょっとして理科Tで習ったかな?簡単に言うと,放射性元素は,放射線を出す事によって,自らを組成を変え,別の物質へと変化していく.その変化に要する時間を半減期と呼ぶ.)が数百年と非常に長いため,その影響が消えるには数千年という時間が必要となるからだ.汚染された植物は,即座にその影響を,被害を体で表現する.奇形化した葉,異様な花,そういった変種として人間に訴える.ところが我々人間はその声に無頓着だ.植物の叫びを聞こうともしない.植物だけではない.汚染された牧草を食べた家畜達も悲鳴を体で表す.乳牛であれば,搾ったミルクから放射能が検出される.肉牛であればその肉から放射能が検出される.

ごく一部の心ある人々は世界中に原子力発電所の事故のもたらした被害を懸命に訴えているが,世界中のどれほどの人々が耳を傾けていたのだろうか?ましてや,あの事故から7年である.7年という時間は長い.そう,人間にとっては.記憶の中からあの忌まわしい事故のあった事すらをも消してしまうには充分すぎるほどの時間である.それは俺にしても同じである.年に1度から3度ぐらい,それこそ何かの折りに触れたときしか思い出さない.いや思い出せないのである.そんな俺が,君達に偉そうに覚えていないと行けないぞ!!と言いたいわけではない.

では,”ソビエトは世界の国々に謝罪をしろ!”と言いたいのか?そうではない.別にソビエトだけが原発事故を起こしたわけではない.アメリカも十数年前に大規模な原発事故を起こしている.かの有名な”スリーマイル原子力発電所事故”である.これは君達は知らない事故だろう.俺だって当時の事を知らないのだ.後になって,ある程度社会的な事に関心を持つようになってから知識として知った事である.

俺が言いたいのは,ソビエトが悪いとか,アメリカが悪いとか言う事ではない.”なぜ地球を破壊せしめる力を持つ原子力発電所を世界中の国々は,特に日本は争って建設するのだろうか?”と言う事である.

現在,世界中の国々に原子力発電所がある.もちろん日本にもある.そう,北海道にもある.札幌から100キロメートルも離れていない泊村に原子力発電所がある.そして,日本の原子力発電所でも大規模ではないが,小さな事故があちこちで絶えず起こっている.泊でもおこっている.日本でも,いつチェルノブイリのような,スリーマイルのような事故が起きるか解らない.現に昨年も北陸にある原子力発電所で一歩間違えば,チェルノブイリの二の舞を踏むような事故がおこっているから.

今ある原子力発電所の全てが100%完全に安全だとは言えない.むしろ100%,絶対的に危険とは言える.それほど危険であれば,なぜ原子力発電所を政府は推進するのだろうか?政府は,電力会社は技術的にもまったく心配はない,安全だという.あんなに大きな事故があったのに,日本でも事故が多発しているのに.それこそ,”絶対安全だ!!”と言う.世の中に”絶対”なんていうものはない.そう,軽々しく,絶対なんていう言葉を使ってはいけない.(”絶対”が使えるのは俺だけである.)なのに,電力会社の幹部や,政治家達は”絶対安全だ!!”と言う.だからこそ腹が立つ.だからこそ許せないのである.

加えて,原子力発電所が存在するのは,地方の田舎の街だ.人口の密集した大都会には存在しない.政府や電力会社の言うとおり本当に安全ならば,なぜ人口密集地の大都市に原子力発電所を建設しないのだろうか?電力会社の言い分はこうである.”大都市は地価が高く原子力発電所の建設には適さないし,コスト面でも電力が割高になる.だから,地価の安い地方の田舎の街に原子力発電所を建設するんだ.”しかし,電力を運ぶ電線を日本海側から太平洋側まで設営するだけでもかなりの経費をかけている.それではその経費で電力は割高にならないのか?さらに,現在の電力会社の原子力発電所の設置方法は,過疎化に悩む田舎の街に雇用を確保するからと言って原子力発電所を建設するという方法を取っている.過疎に苦しむ田舎の街にとっては飛びつきたくなるような話だ.多少の危険には目をつぶっても・・・.

落ちついて考えればよく解る事だと思う.金が絡んでいるからだ.原子力発電所を作ると儲かる.だから,政府も電力会社も原子力発電所の建設を推進するんだ.君達にはまだ世の中の裏側のドロドロとした部分はよく解らないと思うが,常識で考えれるようなきれいなものではない.いつも人間の憎悪が交差し,裏切りと嘘に満ち溢れた世界だ.

いったい何が言いたいのか?俺が言いたい事は,”では俺には何ができるのだろうか?””君達には何ができるのだろうか?”と言う問いかけである.俺にできる事はせいぜい数学である.これが物理学であれば,原子炉制御の仕組みの改良をしたり,原子力の安全な運用方法を研究したりする事ができるし,異なる分野では宇宙の起源を解明する可能性もある.でも,俺にできるのは数学である.果たして,数学で世界の安全を守れるのだろうか?数学で世界を救えるのだろうか?そう考えると,悲観的な観測しかできず絶望的な気持ちにとりつかれる.”なんて俺は無力なんだろう!”

でも,でもである.それでも何か方法があるはずだ.数学が世界のために貢献できる事,数学が世界を救う方法があるはずだ.俺はそう信じる.

では,いったい何ができるのだろう?これが課題である.

〜続く〜

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
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