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Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-41 1993.4.21(Wed)

★チェルノブイリ原子力発電所の事故から7年.★〜数学は地球を救えるか?==PART-2==〜

チェルノブイリ原子力発電所事故から7年,はたして”数学は地球を救えるか?”この問いかけは難しい.君達にも難しいだろうが,これは俺自身にも難しい.いや,難しすぎる!

いつも真剣に考えて生きているし,毎日を一生懸命に生きているのだが,真剣に考えてみた.それこそ,今度ばかりは真剣に考えてみた.

なぜなら,話が行き詰まってしまったからだ.正直な話,1話で完結させるつもりではいたんだが・・・,話すことが沢山ありすぎて,書きたい事が沢山ありすぎて,書ききれなかった.加えて,大切な結論部分がうまくまとまらなくなってしまったのだ.答は明確なものとして存在する.俺の意識の中に,俺の頭の中に,確固たるものとして答は存在する.が,その答に話しが結びついていかない.というよりも,その答に対して俺自身が責任を取れないのではないだろうかという不安がついてまわるからこそ,断言できないでいるのかも知れない.それこそ,いつもならば,純粋に理論の中で遊んでいられるような話ししかしていないから,それに対して,責任を取るとか,取らないとかという問題など存在もしないし,たとえ責任を問われるようなものであったとしても,”いいよ,取ってあげようじゃないの!!”と啖呵を切ることもできた.理論を組み上げていくことに対しては,想像力と創造力とが要求されるだけである.その自分自身の世界に対して,矛盾のない理論武装をすればいいだけのことであるから,それは得意中の得意である.

しかし,今回は違う.たぶん違うと思う.

数学は地球を救えるか?

数学は自然科学の分野ではちょっと異質な学問だ.たとえば,化学であれば,実験・観察などを通して自然界の真理を追求していけるだろうし,地学などでは地質調査などを通して地球誕生の歴史などを紐解く事もできるし,天文観測などから,宇宙誕生の秘密に迫る事もできる.物理学もそうだ.基本的には理論を実験などを通して裏付ける事ができるし,現実の事象を理論の裏付けとして利用することもできる..(もちろん中には,地球上の舞台では実験ができない理論も沢山あるが・・・.例えば相対性理論など.)

しかし,数学は違う.実験を通してとか,観察を通してとか,調査を通してとかいう類の学問ではない.完全に理論だけの学問である.加えて,出来上がった理論世界の中で更に新たな理論が一人歩きを始める学問である.数学の世界はまさに一寸先は闇である.気を抜くと自分が作り出した理論世界に喰われてしまう.(これではまるでガイバーではないか!い,いかんオタッキーに走ってしまった.失礼,失礼.)

第一,実験をしようにも実験をする手だてがない.

例えば,4次元のユークリド空間にできる3次元の球体を持つ性質は・・・と話を始められてもその話を実証する実験はできない.なぜなら,4次元の世界を作り出す事ができないからだ.4次元の世界は存在するのかも知れない.だが,その存在の確認はされていないし,ましてや作り出すことは現段階ではできない.以前MAT Informationで話したと思うが,(以前2,4,6組でなかった者は知らないが,)4次元とは,縦横高さのほかに新たに軸をもうけた世界で,その4つめの軸の取り方でまったく異なる4次元が出来上がる.(詳しくはMAT Information6,7号をご覧あれ.)もちろん理論上はである.

しかし,現実問題として,目の前に4次元を作れるかというとまったく不可能といってもいい.さらにはそれがn次元にまで膨らんでいくのである.4次元でも具体化できないものを,どうしてn次元で具体化できよう.

数学は,理論の学問である.まさに純粋理論の学問である.具体ではなく,抽象をもてあそぶ,そんな心地良さを持っている学問である.他の自然科学とは大きく異なる事は解ってもらえただろう,と思う.

しかし,数学は他の自然科学に多大なる影響を及ぼしている.もちろん,他の学問も数学に多大な影響を及ぼしてはいるが,数学で発見された新しい法則,定理が他の自然科学の分野の学問を飛躍的に進歩させたり,他の自然科学の分野の学問を飛躍させるがために,あるいは飛躍させた結果として,数学の世界に新たな法則,定理が導入されたりとか.

けれども学問的には日陰者の身である.自然科学の根底をなしているにもかかわらず,数学を研究して飯を喰える人は世界中に微々たるほどしかいない.そう,数学者と呼ばれる人間がいったい世界中に何人いるというのだ.一千万人に一人,いや,一億人に一人ぐらいしかいないかも知れない.嘆かわしい事だ.まあ,君達にすれば,数学者などという職業は全然格好良くないのだろうが・・・,俺には,数学者という職業は,まさに神様に等しい職業の響きを持つのだが.(最近は,さも自分は数学者だといわんばかりにTVに出たり,本を書いたりとかいう者が多くて嘆かわしい限りの状況であるが,あんなのは数学者ではない.偽物である.)本当の数学者は,神様と同じで,そんなに簡単に人々の前に姿を現したりはしない.霞を喰って,自分が作り出した理論世界で戯れて遊んでいるよ.

しかし反面,人々は数学に恐怖と敬意の念を持っている.もちろんそれはたぶんに誤解と偏見ではあるが.

さて,話がまた逸れてきそうなので元に戻す事にしよう.

数学は地球を救えるか?

残念ながら現在の俺の力では数学は地球を救えない.いや,数学では地球を救えない,というところだ.なぜなら,まだまだ俺には数学の本質がつかめていないからだ.数学の入り口にいてその奥の方を覗いているだけの人間に過ぎないからだ.数学の持っている底力を知らない者が,偉そうに,数学は地球など救えない,と言うのもおこがましいし,かと言って,数学の底力を知らない者が,数学は地球を救える,と大見栄切っても責任を持ちきれない.そう,俺は責任を負いきるだけの力がまだ,まだないのである.ずっと持てないかも知れない.が・・・,辛いところだ.情けないことだ.悔しい.本当に悔しい.もっと力が欲しい!!!

でも,数学は地球を救える.

俺はそう信じている.

もちろん,数学だけで地球が救えるとは思っていないし,それ程までに現在の地球が置かれている状況がシンプルで易しいものだとも思ってはいない.数学だけが地球を救うのではなくて,数学も,物理学も,化学も,あらゆる分野の学問が全て地球を救う力を持っている.どれか1つの学問が,どれか1つの学問だけが地球を救うのではなくて,地球を救えるのではなくて,全ての学問の力を集結させて,初めて地球を救う事ができる.そうでないだろうか?俺はそう思うし,そう信じている.そう,確固たる信念と共に!

それでは俺は何ができる?俺にできる事は微々たることだ.本当に微々たることでしかない.しかし,しかしである.その微々たる事も大勢が集まれば,微々たるものではなく,膨大なものに変わる.(君達にはひょっとしたらまだよく解らないかも知れない.君達は塵を集めて山とした事があるか?そんな経験のない者には言ってる事が理解できないかも知れない.)一人一人が,みんながみんな本当に地球を救おうと思って行動すれば,生活すれば,今の危機的な状況におかれた地球を救う事だってできる.

大切な事は信じる事である.できないかも知れないではなくて,できる,だからやるんだ!この気持ちだと思う.俺の中には今一この気持ちがまだ弱いのでいけないと反省しているんだが・・・

君達にも同じ事が言える.

この地球は君達の地球でもある.君達の子供の地球でもある.そう,本当に,みんなのための地球である.我々,生命を育んでくれた母なる地球である.一握りの金持ちのための地球ではない.一握りの人間のためにズタズタにされていい地球でもはない.だから,だからである.ごくわずかの人間のために地球がボロボロになっていかないように,そんなことをさせないために,そのためにも,君達にもっともっと真剣に毎日を生きて欲しいし,もっともっと世界に目を向けて欲しい,そう願っているのである.

俺も頑張る.俺は俺にできる部分で頑張る.例えばそれが数学であったり,教育であったりするわけだ.だから君達にも頑張って欲しい.真剣に考えてみて欲しい.

数学は地球を救えるか?それは君達の想いにかかっている.

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.