毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-42 1993.4.28(Wed)

★C&G★ Clean & Green 〜美しき地球を子ども達に託したい.〜=Part-1=

C&Gとは?ミルクチョコレートのM&Mとも違うし,株式会社のP&Gとも違う.東芝のE&Eとも違うし,富士フィルムのI&I,NECのC&Cとも違う.

C&GとはClean and Green,きれいで緑豊かな地球という意味だ.

我々が住んでいる地球はほんの小さな惑星にすぎない.限りある小さな星でしかない.そして,その小さな惑星には我々,人間だけが住んでいるのではなく,数限りない命がこの小さな惑星,地球,に住んでいる.でも,我々はそれをまったくと言っていいほど意識していない.そう,まるで地球は人間のためにのみ存在するかのように.

しっかりとその眼を見開いて欲しい.君達のその2つの瞳をしっかりと見開いて欲しい.地球上に住んでいるのは我々人間だけではないということを見つめて欲しい.この小さな星は命に満ち溢れているのだ.自然界はまさに命あるもののためにみごとに構成されているのだ.それこそ一つの無駄もなく,一つの間違い??!!もなく.その事実をしっかりと見つめて欲しい.

しかし,しかしであるである.最近の地球は汚れに汚れ,乱れに乱れきっている.あれほどみごとに構築されていた自然界のバランスがここ数百年,数千年で致命的なまでの壊滅状態の追い込まれている.その原因は・・・?ひとえに人間の存在にある.

もしこの世界に,あるいはこの世界の外にでも”神”と呼ばれるものが存在するのならば,(俺は無神論者だから,神などいるわけがないと確信しているが)唯一の間違いは人間を創造したことだろう.(もし,神がいるとして,神が人間を創り出したとして,人間を創り出した事を間違いだというのであれば,今の自分の存在はどうなるのか?存在しなくてもいいのか?神は間違いを犯さないはずなのに・・・.これではパラドックスに陥ってしまう.)

親として,人として,子ども達に,次の世代に美しい地球を残してやりたい.緑豊かな星を残してやりたい.それが我々の受け継いだ大いなる遺産のはずである.親から子へ,子から孫へとわずか数千年ではあるが,受け継いできた我々の,いや,命あるもの全ての大切な,そしてかけがえのない遺産のはずだ.

それを,人間だけが好き勝手に使い,汚し放題汚して,他の命あるもの達は生きていく場所さえも失われていく,こんな不公平があっていいのだろうか?

確かに,文明の発達とともに生活は豊かになった.便利にもなった.でも,それは我々だけ.人間だけでしかない.いやもっと視野を狭めれば,それは我々日本人を含む,先進国と呼ばれる国の,極一部の国の国民だけでしかない.もっと広い視野で考えてごらん.我々だけが豊かになっても,我々だけの生活が便利になっても,それでは何の意味もないし,何の価値もないんだそう思わないかい? 日本は豊かになった.でも世界の他の国は?アフリカは?アジアは?今もどこかで一日の食料さえままならずに飢えに耐えている人々がいる.着るものもなく,ボロボロの衣類をまとっている子ども達がいる.病気になっても医者もいなければ,薬もなく,ただ村の祈祷師にすがるしかない母親がいる.国の将来を憂いて勉学に励みたくても,学校がない,独学で学びたくても本がない,そんな国で精一杯生きている人々がいる.絶望のどん底に落とされながら,希望の光を奪われながら,それでも明日も見つめて,未来を見つめて,精一杯に努力をし,精一杯に誠実に生きている人々がいるのだ.そう考えれば,いや,その現実を見つめれば,それに比べて,君達は,いや我々は,何という贅沢をしていることだろう?と,そう思い知らされるであろう.

戦後40数年,日本は信じられない回復力を世界に見せつけた.今やジャパンマネーとまで呼ばれ,日本の資本投資は世界から恐れられるほどにまでなった.

しかし,我々はその40数年間に大切な心を捨ててきてしまった.親を思う心.他人をいたわる心.師を敬う心.命を育む心.真実を見つめる心,不正に立ち向かう心,子供達を包み込む優しい心,見えないものにも,重要に思えないものにも思いをはせる広い心,そして共に生きてきた,その中で数え切れないほどの恵みを受けた自然を恐れ敬う心.

今の繁栄を得るために失ったものは余りにも大きい.大きすぎる.

人間の社会を見ただけでもこれほどの不公平が存在するのだ.自然界に目をやると,更に悲惨な不公平が大手を振るってまかり通っている.

いったい,人間が地球上に姿を現して今日にいたるまでの間に何種類,いや,何百,何千,何万の種が絶滅して行ったことだろう.それが自然界における自然淘汰の形による種の絶滅であるのならばいい.ごく自然な,長いサイクルにおける種の淘汰であればいい. しかし,人間という種が出現したことによって,人間が自然を破壊することによって,人間が空気を,水を汚すことによって既存の種が絶滅して行くのであれば,それは決して許されることではない.それは第一自然淘汰とは呼ばないのだから.

肉食獣は,生きるために殺生をする.しかし,それは必要最小限度の量で無駄はない.草食獣は生きて行くために草木を食べるが,全ての植物を喰い尽くす事はない.数年に一度,数十年に一度,いなごなどの昆虫が大量発生するが,それは自然界で狂ったバランスを整える為のもので,一見全ての草木を喰い尽くして行くように見えるが,最後には増えすぎた自分達が自殺していく.見事なまでの調和である.まるで,自分達の存在が自然界に与える影響が,客観的に解るかのように,あえて自らの命を断っていく.自然という中で暮らしていくための掟のように.どんなときにも,その掟は絶対であるかのように.

人間が,森を伐採していく.森に住む生き物達は住む場所を奪われ,食料を奪われ,森のバランスを失なわれていく.

木の切り倒された山は,貯水作用を失い,ふもとの村には大雨の度に洪水が押し寄せる.洪水を防ぐために,山肌をコンクリートで固め,ダムを作り,更に自然を破壊していく.コンクリートで塗り固められた山肌は,さらに森の,山の貯水作用を奪い去っていく.完全なる悪循環である.一見人間の知恵が,技術が,自然を見事にコントロールしているかのように見える事もあるかも知れない.が,それは大きな間違いであるし,人間のおごった見方でしかない.

【失った物は取り戻せない.壊してしまった物は元通りに戻せない.】

人間が絶滅させてしまった種は二度と蘇らない.獣も鳥も魚も植物も昆虫も絶えた種は復活しない.そればかりではない.失った森も,削られた山も,汚された海も,汚染された空も,もう二度と昔の美しさを我々に見せてはくれないだろう.それは,我々人間の技術などというちゃちなもので復活ができるようなちっぽけな存在ではない.自然は途方もなくでかいのだ.

〜続く〜

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.