毎週水曜日定期発行 Weekly Mathematics Magazine | 《数学通信》
MAT-47 1993.5.26(Wed) |
★ああ〜・・・.★〜その人の人となり,価値は失敗したときに解る!〜
中間考査が終わって,結果はいかがでしたか?まあこんなもんでしょう,ええっ??こんなに悪いの?そんなにみんないいの?まあ様々でしょうが,俺からみれば,「さすがU類型だね,伊達に来てるわけじゃないや.」と言うのが正直な感想だね.予想したよりもいい点数(平均点が)だったから.確かに問題は基本的な問題が中心ではあるが,かなり量もあったし,難しい問題も入っていた.途中計算も書かなければならないから,いくら計算が早くても,そこそこの時間は必ずかかる.きっと初めてのタイプの出題傾向に戸惑う者も多いだろう,と予想し,平均点も60いけば善としようと思っていたのだが.なかなかやるじゃない!今後もこの調子で頑張ってもらいたいものである.多いに期待している.
その一方で,当然のごとく頑張れなかった者がいる.点数の悪かった者がいる.まあ,それは当然のことである.仕方のないことである.が,だからといって,このままでいいわけがない!大切なのは試験が終わってからである.
良かったから「たいしたことないじゃない」と高をくくるか,「この調子で頑張るぞ!」と気持ちを引き締めなおすか.悪かったから,「もうダメだ.U類型に来て失敗した.」と早くも諦めてしまうか,「このままではダメだ!この次はしっかり頑張らなければいけない!」と新たな決意を抱くか.
結局,人の有り様はその人の心次第,気持ち次第でしかない.
いくら俺が,”頑張れ!!手を貸すぞ!!”と言っても,その手を握り返してくれなければ俺は力を貸してやれない.(当然のごとく,どうせ握り返してくれるなら,可愛い子がいいな.)そう,貸したくても貸せないのである.俺はこんなに力を持っているのに,君達に貸しても余るくらい力が余っているのに・・・.
失敗したときに,その人の人となりがよく解る.
失敗を敗北として受け入れてしまうか,あるいは失敗を次のステップへのジャンプ台として,自分自身への試練として前向きに受け止めるか,それによって得られる結果は天と地ほどの差がある.
そうでしょう,片や敗北として受け入れてしまえば,そこから先に進むことは出来ない.負け犬に明日はないのである.しっぽを丸めてしまった,負け犬は,その地域では生きていけない,あるいは,ただひたすらに虐げられた余生を送るしかない.つまりは,U類型に来たことを後悔し,早くも,文転(文系に志望を変えること)してしまうことと同じである.U類型では生きていけないから,T類型に変えるというのである.”ざけんな!!”そんなに世の中甘くないぞ!!それに,そんな気持ちはT類型の者に対して失礼であるし,そんな気持ちでは文転しても成功などしない.いったい,今までに何をしたというのだ?君達は,失敗した君達は何もしていないのだ.そう,まだ何もしていないのだ.だから失敗したんじゃないか!
努力のないところに成功などはありえない.ただ,努力をしたからといって成功するとは限らないが.だが,努力なくして成功へは至れない.あったりまえだい!!
その一方で,今回の失敗を冷静に,そして謙虚に受け入れることが出来るのであれば,そこには当然のごとく光輝く君の夢が見えるはずである.なりたいものがあるでしょう!やりたいことがあるでしょう!だからU類型に来たのでしょう!見栄や,プライドだけで来たわけではないはずである.失敗は失敗で仕方がない.終わってしまったことを,くよくよ考えても仕方がない.前向きに,建設的に考えないと.何で失敗したの?勉強しなかったからでしょう.努力をしなかったからでしょう.そうだ,そうだよ.なら死ぬくらい努力をしてみよう!それでダメならばそれは仕方がない.でも,なにもしないうちから諦めてしまうなんて,それこそ俺の,君の,プライドが許さない!勉強しなかったのだから出来なくても当然,ではなくて,勉強しなかった自分の意志の弱さ,軟弱さ,いい加減さを多いに反省するのである.
たかが定期テストに向けてすら勉強できない者が大事をなす事など出来るはずがない.ましてや自分の夢を叶えることすら出来るはずがない.
忘れてもらっては困る.君が頑張ろうが,頑張らなかろうが,俺は痛くもかゆくもない.自らの夢を諦めて,しっぽを丸めて,トボトボと,ヨタヨタと重たい足を引きずって情けない自分に苛まれながら生きていく君達を,あざ笑っていればいいのである.えっ?なんて正確が悪いんだって?誤解しないでくれよ!本当に性格が悪かったから,こんな事をくどくどとは書かない.君達にいちいちこんなアドバイスも送らない.それこそ,ただ黙って心のなかでほくそえんでいるよ.
「ガンバの冒険」というアニメを知っているだろうか?7匹のネズミ達が,巨大なイタチ達に立ち向かっていく,感動巨編である.レンタルビデオ屋で貸してくれる.原作もある.「冒険者たち」という話しである.貸して欲しければ貸してやる.その中に,主人公ガンバのこんな台詞がある.『しっぽを立てろ!』ガンバが,仲間に頑張ろうという意思表示のときに,あるいはイタチに立ち向かうときに,言う台詞である.
いいか,何もしないうちにしっぽを丸めてはいけない.『しっぽを立てろ!』失敗しても,絶対にしっぽを丸めるな!丸まったしっぽは二度と立たない.そう,二度と役に立たないのだ!
失敗は敗北ではない!失敗は失敗でしかない.この次失敗しなければいいのである.同じ失敗を繰り返さなければいいのである.簡単な事なんだよ.
人の評価なんか,実はちょっとしたところで決まったりする.力があるとかないとかという,客観的なところではなくて,その人の姿勢で決まるのが世の常である.
セールスマンが,何度足を運んでも,全く売れない会社に対して,それでも何度も笑顔で足を運べば,その会社の人の中には,「偉いねあのセールス.いつも笑顔で.」と思い,注文を頼む人が現れるかも知れない.全く売れないからといって,その会社に顔を出さなくなると,そのうち,上司から命令されてその会社を訪れても注文なんて取れるはずがない.セールスの力があるとか,ないとかではないのだ.セールスを行うその人の姿勢,心意気でそのセールスマンの評価が決まるのである.
人間なんてそんなものである.世間の評価なんてそんなものである.現に俺なんかもそんな評価しかしていないのだから,セールスマンいついては.
君達も同じでる.一生懸命頑張る者に対しては,成績が悪くても良い評価をあげたいと思う.(この気持ちが大切なんだよ.実際にあげるとかあげないとかではなくて,そう思われる事に大きな意義があるのである.)一生懸命頑張らない者に対しては,いくら成績が良くても,良い評価なんてあげたくないと思う.
努力点は,数字にならない点数である.君の頑張りと,彼の頑張り,彼女の頑張り,それぞれの持っている力に応じて,当然のごとく頑張りが異なるし,異なって当然である.君が10頑張っても,君より力の劣る彼女が20頑張って君よりも5点悪い点を取ったとしたら・・・,点数は5点低いが,俺は彼女の方を高く評価したい.もちろん実際の評価は点数が中心であるから・・・,
それに,努力は目に見えないものであるから,誰がどれだけ努力したかなんて誰にも解らないのである.解っているのは,本当に自分自身を見つめている者だけである.自分の夢に真剣にかけている者だけである.
点数として評価されないが,努力点はその人に接する態度として評価される.差別でもひいきでもない.一生懸命頑張っている者に優しく接してどこが悪い?だらだら生きている者につれなく接してどこが悪い?君達が俺を,俺達教員をその姿勢で評価しているように,実は俺も,俺達教員も,君達をその姿勢で無意識のうちに評価しているのである.俺は極力そんな事を表に出さないように努めてはいるが,きっと態度に現れているだろうな,と思っている.そして,それはそれでいいとも思っている.
だって人間だもの,そんな主観が交じって当然じゃない!
忘れるなよ!君達はペーパーテストだけで評価されているのではなくて,実は,毎日のその姿勢,君達のその心意気,努力の方が高く評価されているんだよ!
その人の人となりは実は毎日に生き方の中に現れてくる.そして,その人の人となりは,失敗したときのその後の対処の仕方で一番よく解るのである.
いいか!!君達のこれからの人生の方向を決める大切な時期を君達は迎えているのだ!真剣に今回の自分の取り組みを見つめ直し,しなければならない反省はちゃんと反省しろよ!
君の人生だ!君の夢だ!そして,今始まったばかりだ!全てが!
Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993. Copyright 1987,1993 MAT Inc. MAT is Mathematics Assist Team Corporation. |