毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-49 1993.6.2(Wed)

★指数関数曲線の恐怖★〜続・人類の未来は暗い!!〜

指数関数のグラフの持っている恐ろしさは,その脅威的な増加という1点に尽きる.そう,ある日,ある時,突然に,しかも脅威的に増加を始める.さらには始まった増加は二度と止まらない.それどころか,止めどなく,加速し続けるのである.

数式として,関数として捉えると,そこには恐怖心もなにも起こらない.そう,そこが数学という学問が持っているもっとも恐ろしい落とし穴なのである.想像力,イメージ力のないものが数学を駆使すると,その末路は悲劇的なくらいに恐怖に満ちたものである.

数学はまさに純粋な論理学の世界として構築されている.リンゴが1個,ミカンが1個,バナナが1本,そんな具体的なものが問題となるのではなく,存在として1であるということだけが問題になり,更には,1という数字が完全に記号化されていく.数学はその記号化された1というものたちを使って新たな世界を,純粋な理論だけの世界を構築していく学問である.だから,数学の世界においては,たとえその外の世界で核戦争をしていようが,複雑に絡み合った公式群や計算式群だけが意味を持つのである.

指数関数もその世界の一つの産物と考えることができる.だから,2を100乗したら?そんな値の計算だけならばスーパーコンピュータがやってくれる.だが…,

現実世界に生きているんだ,我々は.純粋理論の世界の中で生活を営んでいるのではない.泣いたり笑ったり,腹を空かしたり,喧嘩をしたり恋をしたりと,この,生きていくのに理論だけではなく,感性とか,欲望とか渦巻いている現実世界に生きているのである.つまりは,この現実世界においては数字一つ一つに当然のことながら意味があるのである.そう,リンゴが1個,ミカンが1個,バナナが1本というように.

だからである.2の100乗にも当然のことながら現実世界においては意味があるのである.では,どんな?そこが問題なのである.

増えすぎた人口は,その終わりを知らぬかのように更に増え続けていく.人口問題に話を絞って考えるときに,数学者にとっての2の100乗が,それこそ,単なる数値としての2の100乗が50年後の地球の人口の予測数値であるとしたら….

数学者にとっては,単なる一つの値である.しかもその数学者に想像力とかイメージ力がなかったら?そんな一つの無意味なデータを公表しようと思うだろうか?公表されないに違いない.

その結果として,人類は増えすぎた自らの人口によって破滅していく.領土の奪い合い,食料の奪い合い,そして殺戮,最後には地球そのものをも破滅させていく.

もっと早くこのことに気がついていれば….そんな後悔の言葉がこだまする.

なんていうことにもなりかねない.そう,数学者は論理的であればいいのではない.かなりの想像力,イメージ力がなければ数学者としては失格なのである.なぜなら,我々は「現実」という,この不自由な,そしてだからこそおもしろい世界でのみ生きているのだから.

ちょっと話がそれてしまった.話を元に戻そう.確か前号では,南北問題を途中まで話していたと思う.そう,増えすぎた子供はその家庭をも圧迫すると.

では,子どもを生まなければいいではないか!?確かにそうである.が,それは理屈.理論的にはそうなるのであるが,我々はバルカン星人(バルタン星人ではない.バルタン星人はウルトラマンにでてくる怪獣の名前である.バルカン星人とはあのスタートレックにでてくるミスタースポックのことである.)ではない.感情よりも論理的思考が優先などしない.

親として,子どもがかわいくないはずがない.自分の子が欲しいと思うのはそれは当然の生理的欲求である.

今現在,中国では一人っ子政策が行われている.子供は一人しか作ってはいけないというのである.二人以上作るとかなりのペナルティが課せられることになっている.たとえば給料が半分になるとか….かなり強くその政策は推し進められているが,現実には,隠れて二人目を作る夫婦が少なくないという.方法などいくらでもある.名義さえ我が子でなければいいのである.それに当然そこにつけ込んで商売をするやからだっている.

そこまでして….今の君達にはそんな気持ちはきっと理解できないであろう.無理もない.まだ,愛の意味も知らないのである.恋に燃えることはあっても,愛するということの経験のない君達である.間違うなよ!!恋と愛は別物である.愛しさという言葉で愛を語ったり,恋を語ったりするが同じものではないのだ.まあ,この話はいずれゆっくりしてあげよう.

地球という小さな惑星は実は無限に広がっているわけではない.そこには有限の広がりしかない.だが悲しいことに人間の認識力は非常に貧しい.だからこそ,知識として知っていても,それを現実の問題として捉えることができない.宇宙から地球をみれば,いかにこの地球という惑星が小さいかが手に取るようにわかる.が,誰も彼もが地球を宇宙から見ることができるわけではない.数十人である.50億人いて,たった数十人である.TVの映像として地球を宇宙から見ても,感動こそすれ,それはその映像に感動をしたのであって,地球というそのものに感動したわけではない.だから,地球が丸いと知っていても,だから地球は有限であるのだという認識ができないのである.言われれば,当たり前だろうが!と答えるが,毎日の生活の中で,地球が有限であることを認識し続けてはいない.

更に,人は利己的である.特に集団の中にはいると,自分の責任もその集団分の一になるかのような誤解に陥る.だからついつい,俺一人ぐらい…,そう思って勝手な行動に走る.ここでも認識力の欠如が指摘できる.自分がそう考えるということは,他人もそう考えるということである.それぐらいのことが認識できないのが我々人間,人類なのである.どこが,霊長類なのか?

先進国が増えすぎる人口に警告を発する.が,後進国はそれに耳を貸さない.なぜか?自分たちは豊かだからそれでいいかもしれないが,俺達は貧困に喘いでいるのだ.今こそ労働力が必要なのだ!そう叫ぶに違いない.

結局感情論なのである.未来よりも,50年も先の未来よりも,今この瞬間の方が大切なのである.後進国の人々は今日食うことで精一杯で,明日のことなど考えられない.増して50年先のことになど思いも馳せられないのは当然のことである.

先進国への羨望のまなざしを持ちつつ,そして野心をも持っている.そんな国々がどうして先進国の提唱することにあっさり賛成してくれるだろうか.

話が変わるが,結局人口抑制問題は捕鯨禁止問題と同類なのである.アメリカが捕鯨をやめろと自然保護,動物保護の立場で押し進めているが,違うのである.アメリカだって昔捕鯨をしていた.そして,不必要な部分は全て無駄にし,捨てていた.日本のように全てを活用などしていなかった.鯨から作られるものは,もはや全て石油製品で代用できるようになった.アメリカはそう考えている.だから経済大国になった,ちょっと目障りな日本を叩くための材料として捕鯨禁止を持ち出したに過ぎないのである.人口問題だって,先進国は豊かになって,人口もそんなに急激に増えなくなったし,後はこのままの状態が維持できればいい.今の裕福な暮らしが続けられればいい.そのためにも,これ以上地球の人口が増えてはいけないのだ.なぜなら,自分達まで追いつめられてしまうから.だから,人口を抑制しようとしているのである.もちろん,それだけではなく,純粋に人類の未来に対して警告も発しているのだが.後進国のものにはその先進国の意図が見えるからこそ,素直に耳を貸そうとしないのである.

人類の未来に出口が見えない.

感情という大きな壁が立ちはだかっているのがよく見える.そう,人類を滅ぼすものがあるとしたら,それは増えすぎた人口や核戦争などといった現象的なものではなく,もちろん,最終的な現象としてそのようなものに繋がろうとも,その現象の起因しているものは,結局のところ,人間の感情であろう.理性と感情は天秤に掛けて,結局感情に流されていく愚かさが人類を滅ぼすのであろう.人類を破滅へ導くのであろう.

君達が俺ぐらいになる頃,あるいは親の年齢になる頃,地球はいったいどうなっているのだろう?世界はどうなっているのだろう?人類はどうなっているのだろう?

人類の未来は暗い!!

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.