毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-56 1993.8.25(Wed)

★告!講習をサボった者へ!★

長い,否,短い夏休みが終わってしまった.早いものである.その短い夏休みの,その中のたった10日間の講習にすら満足に出席できない者がいる!何が情けないかって?たった10日間すら頑張ることの出来ない軟弱な,意志薄弱な,そんな君達の姿を見せられた,見なければならなかったということである.

別にいいけど,・・・.君達が頑張らなかった結果については君達自身がその責任を,その結果に対する後悔をすればいいのであるか.俺が悔いるわけでも嘆き悲しむわけでもない.

ただ,毎年,毎年,君達の先輩達が,本当に追い込まれたときに,口をそろえたように”あのとき頑張っておけば,・・・.””もっと早くから勉強していれば,・・・.”という言葉をこぼしているのを聞いているから,同じ思いを君達に味わってほしくないと思って,出来る限りの手を差し伸べているつもりなのだけれども,・・・.

まあ,俺の思いの全てが君達に,いや,君に伝わるとは思っていないけれども,・・・.

出来ることならば,君達全員の力になりたい!!が,考えを変えた.変えざる終えないと感じた.頑張れない姿を見たのは何もこの夏休みのことだけではない.1学期の平常講習でもそうである.去年の講習もそうである.結局,頑張れない者はいつまで経っても頑張れないのである.本当に追い込まれて,手遅れになって初めて自分の愚かさに気がつくのである.が,その時は完全に手遅れである.別に脅しではない.単なる事実である.だいたい君達を脅したところで,身代金が取れるわけでもないし,一銭にもならないのだから.

力とは,コツコツ努力を積み重ねなければ身につけられない.

判ってはいるのだが,それがなかなか出来ないのである.その思いはよく判る.が,だからといって,”出来ない〜”と言っていても仕方がない.要は自分の心の中に眠っている”本気”をいかに目覚めさせるか?ということなのである.

残念ながら,その”本気”を目覚めさせるのは俺には出来ない.そう,君の”本気”は君の手で目覚めさせるしかないのである.

君が目覚めたら,心の中に”本気”を目覚めさせたら,その後は俺が持てる力の全てで君を全面的にバックアップしよう.鬼と呼ばれようが,悪魔と呼ばれようが,最後に君が笑顔でいられるように,徹底的に,戦うに必要な力をつけれるよう,援護してあげよう.

が,それも君達次第である.

お互いの人間関係は,基本的に信頼関係の上になり立っている.俺が君達に信頼されなければ,君達は俺の言葉に耳を傾けてくれないように,君達も俺に信頼されなければ,君達は俺の援助を受けられないのである.お互い様である.

平たく言えば,信仰と同じである.毎日毎日神様にお祈りをしていると,困ったときの神様が助けてくれるように,でも,普段は神様なんか忘れているくせに,困ったときだけ”神様助けて下さい!”とお祈りするような者を神様は助けたりはしないように.あったり前でしょう?神様は人間を愛しているのではなくて,自分を信仰してくれる者を,心から信仰してくれる者のみを愛するのである.だから,俺のような無神論者は,どんなに困っても神頼みなんかしたくもない!と思っている.そうでしょう!いもしないものにたのんでいったい何になると言うのだろう?(それに俺が神様なのだから)

努力の出来ない者,誠意を見せられない者,口先だけで,何一つ実行できない者,軟弱な精神しか持ち合わせていない者,自らの夢を簡単に捨ててしまうような愚か者,そんな者に貸す力は,そんなエネルギーはない!!

やり直しの効かないことがある.二度と取り戻せないものがある.取り戻せても血を吐くような苦しみを,悲しくなるような思いを長い時間味わわなければ取り戻せない,そんなものがある.『信頼』である.『信用』である.

チャンスがあるのかないのか,それさえも判らない.チャンスが与えられるのか,与えられないのか,それさえも言われない.が,これだけはハッキリしている.講習を申し込まなくても何も言われない,点数が悪くても追試もしてもらえない,そんな状況が起きたら,それは完全に手を差し伸べられなくなったということの証である.

教師がそんなことをしていいのか?いいに決まってるじゃない!間違うなよ!教師である前に一人の人間である.感情に左右されることがあって当然であるし,だからこそ,いろいろなタイプの教師がそろっているのである.教職が聖職であるなどというそんなカビの生えた古くさい考え方は持ち合わせていない.差別は良くないが,相手に応じた対応が異なるのは当然である.君達にも,好きな教師,嫌いな教師がいるように,教師にも,力を貸してやりたい生徒,貸したくない生徒がいてもそれは当然である.その辺りは全く君達と同じである.

2学期の平常講習もある.冬休みの講習もある.朝講習もある.

あれもしたい,これもしなければいけない,君達が受験に行く直前までのプログラムが既に頭の中に出来上がっていて,いつまでにどれぐらいの力が必要で,いつ何をしなければいけないのか,そのためのどんな授業をしなければいけないのか,そのためにどんなテキストを作ればいいのか,それら全てが既に頭の中にあるのである.

そう,俺の用意は既に出来上がっている.後は君達次第である.君達の準備がいつ出来るかだけである.

講習をサボった者,反省をしなさい!そして,反省したということを今後の生活の中で見せなさい!

★無惨!★〜実力テストの結果より〜

おいおい,こんな結果しか出せないようではこの先が思いやられるぞ!!

正直,こんな点数しか取れないっていうことは,いったいどんな夏休みを送っていたのかって判っちゃうぞ!まあ,予想道理,というよりも,予想以上に遊びすぎた夏休みだね.

点数を見て,採点をして,怒りを通り越して,呆れる,呆れるを通り越して,勝手にしたら,とさえ思った.正直な話,俺が困るわけではないのだ.俺が手を貸してあげるよ!といっても,君達はそんな手はいらない!というのである.であれば,勝手にすればいい.俺は二度と手を貸さない.

何のために実力テストがあるのか?実力テストだから,実力で受けるか?馬鹿こくでない!テストに対して何の準備もしないで臨めるほどの実力を持っているのか?ないでしょう!そんな実力!

何で夏休みに課題がでるの?君達が結局一人で勉強できないからでしょう!ほっといたら,ダラダラ夏休みを送ってしまうからでしょう!君達はそう見られているし,実際そうだからでしょう!

正直に言おうか?今回は追試なんかやめてしまおう!そう思った.何で俺がこんな頑張らない奴のために一生懸命にならなければいけないのだろう?そう思った.だから,出来ない奴に対して,さらに手を伸ばすことはやめよう!そう考えた.でも,もう一度考え直した.夏期講習のことと同じである.欠席者が多くなる.気分が悪くなる.だからといって,一生懸命出席しているものに対して,何でこんなに休んでいるのよ?と文句を言っても,それは一生懸命に講習にでている者に対して失礼である.それと同じである.だから追試をすることにした.もう一度夏休みの取り組みを反省しなさい.

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.