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Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-67 1993.11.24(Wed)

**短期集中連載**≡Part-2≡

★手のひらの宇宙★ 〜人間は進化するか?(New Type論を論じる.)〜

今現在,我々日本人は豊かで,裕福だといわれている.確かに豊かだし裕福である.日々の食事には困らないし,それどころか,贅沢をする事がトレンディーになっている.美味しいものしか食べないし,食べるものを平気で残せるし,もったいないという気持ちを抱かずに平気で捨てる事ができる.それこそ,たかだか30年前には想像だにしなかったほどの豊かで贅沢な生活を送っている.

今現在,日本は不況であるから,1,2年前ほどには,贅沢=トレンディーとはなっていないかもしれないが,ハッキリ言って,こんなに豊かな食事ばかりをしていていいのだろうか?と俺自身疑問を感じることがある.こんな言い方をすると,年寄りくさく,おやじくさく思われるが,現実として,俺が子供の頃は,食べるということに飢えていた.こんなことをいうと信用してもらえないかもしれないが,レストランで食事(今のように郊外型レストランがどこにでもあるわけではない時代である.ちょと大きめの喫茶店を大きくしたようなところを指しているのであるが.)をするのは,年に1度,それも冬のボーナスが出たときだけであった.それでも子供心に嬉しくて嬉しくてたまらなかったことを覚えている.そして,その頃は,TV番組で贅を極めた食事番組や,グルメ番組など1本もなかった.

今の生活は,俺から見たらものすごく贅沢だと言える.

ここでちょっと考えてみてほしい.こんなに日本の食生活は豊かになった.では,その豊かになった食生活を,日本人の呆れ返るほどの贅沢さをいったい誰が支えているのだろうか?と.

悲しい現実,反省しなければならない現実がそこにある.しっかりと見つめなければならない現実があるのである.いいかい?!今の我々の豊かな食生活を支えているのは,我々と同じ日本人ではないんだ!海外の,東南アジアや,南アメリカ,アフリカなど,主として,南半球の国々や,貧困な国々の人々である.

【富める北を支える貧した南】この図式が成り立っているからこそ,日本は豊かでいられるのである.

しかし日本人の多くはそんな事とは知らないし,あるいは,知っていても振り向きもしない.それ以前に知ろうともしていないというのが正しい.豊かであるからそれはそれでいい.何故豊かなのかなど考えても仕方がない.そんな意識があるのであろう.今の生活に,ぬるま湯のような生活に浸りきっているから,見つめなければならない現実にまで目を伏せるのである.

貧困の国の人々は,南半球の国の人々は,日本に売れば金になるからと,心を込めて育てたものが,作ったものが,日本という国で惜しげもなく捨てられていくということも知らずに一生懸命輸出する.そのために国土が荒廃しようが,川が汚染されようが,貧しい国の人々はその日の生活のために,豊かさを求めて大切な国土を荒廃させていく.

10年後100年後,自分の国がどうなっているのかなど考えもせずに,日本に輸出すれば金に変わる,その一念でひたすら働く.しかしそれは当然である.10年後100年後の事など考えれるはずがない.何故なら,今日食べる事で頭がいっぱいなのだから.彼等が悪いのではない.貧困が悪いのである.いや,貧困が悪であると考えることが悪いのである.

やがて,貧しさに耐えかねて,争いが起こる.それは,自然の摂理である.豊かな者と貧しい者がいて,豊かな者は更に豊かに贅沢に,貧しい者は努力をしても貧しくて,虐げられる事しかされず,その差は開くばかり.こんな状態が続けば,当然貧しき者達は力を合わせて豊かな者に刃を向ける.

人はいつまでたっても進化しない.進化できない.人類の精神は,実は5万年前と少しも変わっていないのである.

争うのは本能なのだから,そんな事は当然さ,と知らん顔をしているのかもしれないが,もう一度考えてごらん.石器時代,生きて行くために殺戮を繰り返えしてきた,道具を使うようになって,豊かさを求めて殺戮を繰り返してきた,そして,現代,独裁を夢見て殺戮を繰り返してきた.どれもこれも目的こそ違え,その行動にはなんの変化もない.だからといって,それを本能と呼んで済ましてしまっていいのだろうか?

争わずに生きていけるのであればそれがいいに決まっている.血を流さずに,同胞の多くの血を流さずに生きていけるのであればそれがいいに決まっている.

が,人類は自らの殺戮行為に対して何の反省もなく,同じ事を繰り返している.今のままでいけばおそらくこれからもそうであろう.変わったのは,変わるのは大義名分だけである.それだって,意図的に変えているだけに過ぎない,ただの自己弁護に過ぎないのに.

こんな我々が本当に完全に理解できるのか?これはとても難しい問題である.

争いばかりを繰り返す人類,同胞の血でもってしか進歩できない,発展できない人類.そんな人類に精神的な進化を期待していいのだろうか?今でさえ,人類にとっての長き歴史の中での歩の中でさえ,これっぽちも進化していないのに・・・.

いや,だからこそ進化を期待するのかも知れない.今の,人類が置かれている現状,歩んできた歴史を振り返って考えるからこそ人類は精神的に進化を遂げなければならないと,そう痛切に感じるのかも知れない.奪い合い,殺し合い,妬み合い,ひがみ合い,そんな歴史しか築き上げていない,そんな人類だからこそ.

確かに人類の文明の発達には他の生物に類を見ない素晴らしいものがある.自らの知恵と頭脳で,厳しい環境を,人類に適さない環境を適する環境へと変化させてきたし,変化させれないときには,道具を利用して環境に適応できる人類独自の環境を作ってきた.

その代表とも言えるものがエネルギーである.

現在では種々のエネルギーが我々の生活の中で我々の生活を支えていてくれる.が,そのおおもとは”火”である.人類が偶然にか,あるいは間違ってか見つけた”火”.その”火”の持つエネルギーに魅せられて,人類は誤った選択を,誤った発展をしてきたのかも知れない.ちょうど,アダムとイブが蛇にそそのかされて林檎を,知恵の実を食べたように,人類は”火”という”魔”に魅せられて,破滅への道を歩み始めてしまったのかも知れない.この先に待っているのが滅亡という行き止まりであるとも知らずに.

考えれば考えるほど,人類が見つけた”火”というエネルギーは,我々人類に想像できないほどの恩恵を与え続けてくれたことが解る. その一つは,寒さをしのぐ事である.地球の厳しい環境の中で生きていくにはどうしても寒さをしのぐ必要がでてくる.特に今のように穏やかな環境でなかった頃,氷河期などの生き物につらい時代などはそうである.まず寒さをしのがなければ生きていけないのである.人間に獣と同じような毛皮があれば別であるが,氷河期を生き残るに充分な毛皮があれば別であるが,人間には寒さをしのぐ毛皮がない.そんなとき,火の暖かさは人類を破滅から救ってくれたかのように思えるほど暖かであった事だろう.火があれば,寒さをしのげるのである.暖かな空気の中で息が出来るのである.これほど感謝する事はないであろう.それは今でも変わらない.特に北海道のような北国に暮らす者にとって,あのストーブの火の暖かさは言葉に出来ないほどの暖かさを持っている.

二つ目には,食生活の大きな変化である.人類が”火”を使う以前は全て生で食べていた.肉も草も果実も,口に入れる物は全て生であった.しかし,火を使うようになってから,人は調理する事を覚えた.肉に火を通す,魚を火で焼く,草を火で炒める,そして味をつける.こんな事をいったい人間以外のどの生物がしているだろうか?こんな事をしているのは人間だけである.食べる物を加工する,これはまさに”火”の恩恵であり,人類の知恵と言える事であろう.そして現在,日本に,世界に,豊かな食の文化がある.

次に人類が見つけたエネルギーは,それは電気である.我々の現在の生活から電気をなくして考える事は不可能にまでなっている.それほどまでに電気は我々人間の生活の中に深く浸透してしまっているのだ.君達の身の回りでだけでもいいから考えてごらん.照明,TV,ステレオ,洗濯機,冷蔵庫,掃除機,湯沸かし器,ドライヤー,どれをとっても電気で動く物ばかりだし,どれをとっても我々の生活に必要不可欠(?)な物ばかりだ.

?がつくのは,本当に必要不可欠かと問われると自信がないからだ.例えばTV.どうしても必要かと尋ねられたときに,別にTVがなくても生きてはいけるし,何がなんでも必要な物ではない.まあ,君達の中にはTVがないと生きていけないと言う情けない諸君もいるだろうが,命と引換にするような物でもない.例えば冷蔵庫.確かに食べ物を保存して置くには便利ではあるが,ないと困るという物ではない.30年ほど前までは日本人は冷蔵庫のない生活を誰もが普通にしていたのだから.つい最近である,これほどまでに大きな冷蔵庫が当たり前のように各家庭に入りだしたのは.

(続く)

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
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