毎週水曜日定期発行
Weekly Mathematics Magazine
《数学通信》
MAT-68 1993.12.8(Wed)

**短期集中連載**≡Part-3≡

★手のひらの宇宙★ 〜人間は進化するか?(New Type論を論じる.)〜

前号までの話し,覚えているか?ちょっと前号の最後の部分を載せておこう.

次に人類が見つけたエネルギーは,それは電気である.我々の現在の生活から電気をなくして考える事は不可能にまでなっている.それほどまでに電気は我々人間の生活の中に深く浸透してしまっているのだ.君達の身の回りでだけでもいいから考えてごらん.照明,TV,ステレオ,洗濯機,冷蔵庫,掃除機,湯沸かし器,ドライヤー,どれをとっても電気で動く物ばかりだし,どれをとっても我々の生活に必要不可欠(?)な物ばかりだ.

?がつくのは,本当に必要不可欠かと問われると自信がないからだ.例えばTV.どうしても必要かと尋ねられたときに,別にTVがなくても生きてはいけるし,何がなんでも必要な物ではない.まあ,君達の中にはTVがないと生きていけないと言う情けない諸君もいるだろうが,命と引換にするような物でもない.例えば冷蔵庫.確かに食べ物を保存して置くには便利ではあるが,ないと困るという物ではない.30年ほど前までは日本人は冷蔵庫のない生活を誰もが普通にしていたのだから.つい最近である,これほどまでに大きな冷蔵庫が当たり前のように各家庭に入りだしたのは.

そして照明,これもそうである.確かに電球の光は明るいし,便利ではある.でも電気がないから生活できないという事はない.ロウソクの光もあれば,月明かりや星明かりもある.暗くなれば暗くなったなりの生活があるのであるから.無理に夜を明るくして暮らさなければいけないわけではない.明るい方が精神的に安心できるから明るくしているだけであって,暗いなりの生活になれてしまえばどうということはないのである.

我々の今の生活は便利すぎて大切な物を見失っているように思えて仕方がない.

生まれたときから電気のある生活をしている君達や,俺にはなかなか電気のない生活という物は想像出来ないし,そんな生活が本当に出来るのだろうかと不安になるし,信じられないでいる.正直,こうは書いているが,本当にそんな生活が出来るのかと問い詰められたら,俺自身も自信がない.生きていけるのだろうか?2,3日ならばともかく,1年も2年も,あるいは数十年も.

そして,そう考えれば考えるほどに,今の生活を捨てられない,変えられないと,より思ってしまうのである.

しかし我々は気づかなければいけない.この裕福な,便利な生活は他の犠牲の上に成り立っているという事を.便利な電気を手に入れるために,人類は人類が出現する以前の生物達の化石(石炭や石油)を次から次ぎへと掘り起こし,何億,何十億とかけて蓄えてきた資源を数百年で使いきろうとしているという事を.そればかりか,更に高エネルギーを手にいれようとして,危険きわまりない,”核”,原子力にまで手を染めてしまっているという事を.

その結果が今の生活である.滅亡という危険と背中合わせの便利な生活なのである.

真面目に,真剣に目を見開いて現実を見つめてほしい.君達の父さんの中にも北海道電力で働いている者がいると思うが,実際に泊原発の運営に当たっている者もいるかもしれないが,それはそれ,それは父さんの仕事,そう割り切ってこれからの話を聞いてほしい.

今の電力会社のやり方は汚い!はっきり言える!が,間違うな!だからといって,北電に勤めている者を責めているわけではない.全く別の話である.今の電力会社のやり方は,特に原子力発電所の建設の方法は卑劣きわまりない!社会の先生などに聞いてみるといい.いったいどんな場所に原子力発電所が建設されているのかを.どんな場所に放射性廃棄物処理施設だの,ウラン再処理工場などを作ろうとしているのかを.どれもこれも過疎地ばかりである.どれ1つとっても都市部には存在しない.電力会社の言い分は決まっている.都市部は土地が高いから.原子力発電所は絶対に安全ですから,どこに造っても同じなのですが,少しでもコストが安い方がいいので,郡部に造っているだけです.と.

君達にはまだ解らないであろう.過疎の村がどれほど頭を抱えて過疎対策に昼夜努力をしているのかを.人は宝である.町に,村に人がいなくなる,町としての,村としての最低限の機能すら満足に働かなくなる.これは滅亡を意味する.壊滅的崩壊を意味する.少しでも町から,村から,若者が,あるいは働き手が逃げていかないような仕事を町の中で,村の中でつくりたい.大きな企業は来てくれないだろうか?公共事業をたくさん持って来れないだろうか?若い人たちが集まってくるような特色をつくれないだろうか?そこに,原子力発電所建設計画を持ち込む.電力会社が来てくれれば,少なくとも数十人の雇用は見込める,将来的にも.建設時には数千人の雇用が見込める.原発は危険かもしれない.が,表面上は電力会社が絶対安全だというのだから,この話しを断るのはもったいない.背に腹は替えられないのである.

泊村だってそうである.札幌に住む君達は自分のことのように感じていないかもしれないが,泊村は危険と隣り合わせ,いや,危険の中での生活を強いられているのである.

それだけではない!泊原発が事故を起こせば,必ず,札幌も放射能におそわれるのである.死の灰の被害に遭うのである.その現実が分かっているかい?札幌から泊村まで直線距離にして100キロ足らず.わずか100キロである.

東京電力のように,北陸に原子力発電所をつくってそこから東京の電力をまかなう.もし万一北陸の原発が事故を起こそうが直接的には東京に被害は来ない.こんなのもうエゴ丸だし,最低の行為である.

過疎の地域に,甘い汁と引換に危険な原子力発電所を建設して,都会の電力をまかなう.しかし,都会に暮らす者はそれを当たり前と思い,原子力発電所の危険性には興味を示さない.それどころか過疎の地域に貢献したとさえ思っている.今の自分の生活がどれほどの人々の犠牲の上に成り立っているかを考えもせず,その日の生活が楽しければいい,満足できればいい,そんな人間が集まっている都会,いや地球.

そんな危険きわまりないものにまで手を出してまでも維持しなければならないような生活なのだろうか?今の生活って?そこまでしなければならないような便利さならばなくてもいいのではないだろうか?

特に日本は便利最優先国家であるから,便利=正義と信じている者が多いし,便利になるならばモラルも糞もないという者も多い.ひどい言い方をすれば,エゴイスティック人間の集まりといってもいい.

未成年者の喫煙はいけません!そう言いながらタバコの自動販売機を設置している.何故?自分たちが便利であればいいのである.大人が,欲しいときにタバコが買えるように,それが自動販売機の目的である.青少年の健全な育成を!そう叫びながら自動販売機を撤去しようとしない.口先だけのいい加減さが見えてくるよね.本当に青少年の健全育成を!未成年者がタバコを吸ってはいけません!というのであれば,自分たちが不便な思いをしてでも,全てのタバコの自動販売機を撤去すべきである!店でしか,直接店員さんからしかタバコを買えないようにしてから言うべきである!それを,自動販売機は撤去しない!子供にはタバコを買うな!買ったら買ったそいつが悪い!そんな身勝手な言い分がどこにあるって言うんだ!タバコに興味を持つ年頃の子供がいつでもタバコを自由に手に入れられる環境をつくっていて,タバコを吸う子供が悪いという.大人としての最低限の責任すら果たせないのに,正義を振りかざす人間のクズである!そんな奴.

いかんいかん.話しが感情的になってしまった.もう少し落ち着いて話しを続けよう.

俺は正直自動販売機は必要ないと思っている.確かに便利である.それは認める.が,便利さだけを追求して手に入れたものは,便利さだけを追求したが故に心を持たないものばかりである.

都会を見てごらん!便利さだけが追求された結果として,心がすさみこそすれ,心が潤うような所ではない.そんなところで育つという事は,人として大切なものを欠けた状態で育つという事ではないか!

そんなことすら気づかずに,エゴむき出しに,便利さだけを,企業利益だけを追求している日本人,いやどの国の企業もそうなのであろう.ただ,日本人があまりにもアホだから,企業がやりたいように,好き放題やっているだけなのである.

このままでいいのだろうか?やがて地球そのものが失われてしまうのではないだろうか?心配になってくる.SFでは済まなくなってくる.

Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993.
Copyright 1987,1993 MAT Inc.
MAT is Mathematics Assist Team Corporation.