毎週水曜日定期発行 Weekly Mathematics Magazine | 《数学通信》
MAT-66 1993.11.24(Wed) |
**短期集中連載**≡Part-1≡
★手のひらの宇宙★ 〜人間は進化するか?(New Type論を論じる.)〜
普段なかなか真面目な話しが出来ないので,こんな場を使わないとなかなか思っていることを君達に伝えられないから,直接話した方がいいのだろうけれど,根がシャイだから,つい照れてしまって,思っていることの万分の一も言えなくなるから.
でも,ちょっと真面目に考えてみたいし,考えてみてほしい,そう思ってペンをとった.
くさい話しでも,オタッキーな話しでもなく,我々の未来に関わる大切な問題であると信じている.だから,堅い話もあるし,難しい話しもあるが,考え出すと苦しくなるような話しもでてくるかもしれないが,それでも真剣に考えてみてもらいたい.
人類が地球上に発生して,まだ5万年.(ホモ・サピエンスが出現してからだよ.)この5万年の中で人類は進化しただろうか?
もちろん5万年という短い時間(地球ができて45億年という時間がたっている.)の中で進化などは出来ないかもしれないが,おそらくこの先も人類に肉体的な進化はありえないのではないかと思う.
その理由は,今の人間の肉体が究極の進化の状態であるからではない.それどころか,今の人類の肉体の形状は,究極の進化の状態にはほど遠いものであろう.空は飛べない,海には潜っていられない,寒さ暑さに弱い,そして,何よりも脆い肉体である.裸で北極や南極に放り出されれば,間違いなく死ぬのである.1トンもの重石をつけられて,海に放り込まれれば,1分で窒息死するのである.それどころか,殴り合うだけで折れてしまうような手や足をしているのである.とても究極の,もう進化を必要としない肉体とは呼べない.
では,何故人類はもう進化しないであろうと言えるのか?それは,人類が自らの肉体を進化という形で環境に合わせるのではなく,環境を自らの肉体にあわせるように,そこまでいかなくても,環境に合う,順応できる衣類,道具を開発して,それを利用して環境に合わせようとするから,進化するための必要条件をすべて排除しているからである.
そう,人類は今までの生物,人類以外の他のあらゆる生物のように,環境の変化に対して,あるいは悪条件の環境に対して,自らの肉体を変化させることで順応しようとは決してしていない.
そして,これからもそんな事はしないであろう.それは,自らの肉体を環境に合わせるのではなくて,自分の置かれている環境を変化させる事で,自分たちに都合のいいように作り替える事で順応してきた.いや,順応させてきた生物であるから.この事実は,人類以外の今まで地球上に出現した生物にはみられない事である.
では,この先,人類はどのような進化を遂げて行くのであろうか? 発展とか,衰退とかではなくて,進化である.前にも述べたが,俺はこれ以上は肉体的には進化しないだろうと思っている.なぜなら,それは環境に合わせる必要がないからである,人類が.
では・・・.人類に残された進化の方向は・・・,
そう残された人類の進化の方向は精神になる.人類がこの先もし,もしである,進化するとしたならば,進化できるとしたならば,それはおそらく精神的な部分の進化しかないであろう.
出来るとしたら,出来るとしたらだよ!
さて,それでは,精神的に進化するとはいったいどういう事だろうか?ちょっと考えてみてもらえないだろうか?
くれぐれも勘違いをしないでほしいのだが,精神的に進化するという事は,決して超能力者,ESP(エスパー)になる事ではない.(バビル2世やスターレッドのレッドになる事ではないんだよ.これはちょっとオタッキーぽくなってしまったね.)
人類の脳はその全体の半分も使われていない,それどころか2割ほどしか使われていないといわれている.だからその使われていない残りの部分が,脳が全部使われるようになったら,人類は超能力者になるかもしれない,という者もいる.が,この考えは俺に言わせれば余りにも単純すぎる,子どもじみた推測である.だってそうでしょう!使われていない8割の部分が使われるようになっただけで超能力者になれるのであれば,現在でさえ,超能力者で溢れ返っていてもおかしくないはずである.それに超能力が使えるようになる事が進化であるとは断言できない.
頭を冷やして冷静に考えてみれば判ることである.確かに,テレポーテーション(瞬間移動),サイコキネキス(精神感応),テレパシー(遠隔通話)などが出来るといいなと思うし,出来たらすごいとも思う.が,そのことが進化とは呼べないということも事実である.
なぜならば,例えばテレポーテーションができるとする.テレポーテーションができれば,何も苦労して歩く必要がない.歩く必要がなければ今我々が持っている2本の足は必要がなくなる.生物の体はうまくできていて,必要のないものは長い時間をかけて必ず消えていく.これが退化である.であれば,テレポーテーションができれば人類は2本の足がいらなくなり,2本な足は退化していくことになる.
と,ここまで話しただけで,すぐさま反論が返ってきそうである.こんな風に.”それなら,今人類は車を使っているではないか,あれだって,結局歩かなくていいということで,2本の足が退化するという理屈になるではないか!”と.
が,その反論は間違いである.車は,基本的に,運転をしなければ動かないのである.運転をするために手も使えば,足も使うし,頭も,目も使う.肉体の全ての部分を利用しないと車というものは動かせないのである.だから,車を人類が使用しても,それが退化の原因にはならないのである.
ところが,テレポーテーションは違う.念ずれば移動できるのである.考えればいいだけである.手も足も使う必要がない.必要がないんだよ!!
この違い解るでしょう.
同様に考えていくと,テレパシーができれば,人類はしゃべる必要がなくなる.必要のないものは必然的に消えていくものである.その理屈でいくと人類は声を失うことになる.透視ができるようになると,いままで人類が目を使って,可視光線に頼った視力でしかなかったものが,そんなものを必要としなくなる,それこそ目を閉じていれば,見たいものが見れるようになるのである.つまり,視力,目までも失うのである.そうやって考えていくと,超能力を身につければ身につけるほど,人類は肉体的に退化して行き,最後には息をする石ころ,生きている物体になってしまうと考えることが出来る.
そんな姿を想像したら,それはもはや人ではない.人類,霊長類とは呼べない全く異なものになってしまうのである.これではとても進化とは呼べない.それどころか退化きわまりないのである.
もちろん,超能力を身につけたら即,退化するというのではない.何万年,何十万年という時間をかけての話ではあるのだが,それが退化であることに変わりはない.
話しがずれてしまったので元に戻そう.
精神的に進化するとはどういうことを意味しているのか?
それは人と人とがお互いに完全に理解できるようになる事を意味するものである.これは現在使われていない脳,残っている8割の部分を使えるようにならないとできない事でだろうと考える.人と人とが完全に理解し合える,分かり合える,そんなことのどこが進化なのか,どこが精神的進化なのか?疑問に思う者もいるであろう. が,現実的な問題として,果たして今,我々は完全に理解し合えるという状況に一度でも出会ったことがあるだろうか?ちょっと友達のことを考えてごらん,親友と呼べる友達と,いったいどこまで心をオープンにしあっただろうか?どこまで解り合えたと言えるのだろうか?
”分かり合う.完全に理解し合う.”そんなこと,普通に考えればどだい無理な話であることは言うまでもない.
人と人とが完全に分かり合えるのであれば,主義主張,信仰,価値観,立場,思惑,利害,それら諸々のものを越えて分かり合えるのであれば,人類は二度と愚かな過ちを犯したりはしないであろう.
戦争,争い,いがみ合い,規模こそ違え,人類の歴史はいつも血塗られている.そう,人類の歴史は殺戮の歴史といってもいい.大勢の同胞の血を流さないと,人類は進歩できない,進歩してこれないでいた.それは今も変わっていない.
Printed in Tounn.1993.
Written by Y.O^kouchi.1993. Copyright 1987,1993 MAT Inc. MAT is Mathematics Assist Team Corporation. |