●返信8(9月9日)
> 差出人 : sanae > 差出人 : Yasuyuki Iijima > 差出人 : Yasuyuki Iijima > 差出人 : Yasuyuki Iijima > 差出人 : Naofumi HOLY Horio > 差出人 : Akio Furukawa > 差出人 : 寺尾 敦
> 件名 : [mathedu97-00824] Re: 2 円の交点を通る直線の問題について
> 送信日時 : 1997年9月9日 22:44
>
早苗@数実研です。
こんなに話がつながるとは思っていませんでした。
一つは私の提案の仕方がよくなかったことがあげられます。
> "[mathedu97-00817] Re: 2 円の交点を通る直線の問題について "
> ""Yasuyuki Iijima"” wrote:
>> ----------------------------------------------------
>>
「x^2+y^2=1・・・@、x^2+y^2-6x-8y+16=0・・・A の交点を通る直線は何か」
>> という問題を
>> @−Aより 6x+8y-17=0・・・(*)
>> としてしまうのは、テクニック偏重の受験数学の弊害の最たるものである
> ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
> ********やはり,ここはかなり刺激的だと思います。 ********
> どういう意味で,弊害と考えるべきか,そして,その対策はどう考えるべきか
> ということを思うと思います。
ここの指摘のとおりだと思います。
また、その後の指摘のとおり、
>> 「(*)の直線は虚数の軌跡によって作られる曲線の影のようなもの」
>> と述べられました。
>> 結局は虚円の世界をイメージ化させなければ簡単には、
>> 説明できないという結論が出ました。
> ということでしたので,
> (1) この説明は数学的に妥当か。
> (2) この説明は,高校生に対する説明として妥当か。
> ということを思いました。
>おそらく,早苗先生,菅原先生の第一の意図は(1)の方にあるのではないでしょうか。
生徒への「虚空間のイメージ化」というものを、何とかうまく説明できないものか、というのがそもそもの発想です。
> * 同心円の場合
> * 円の大きさが異なる場合
>をすぐに思い浮かべてみました。当たり前ですが,同心円の場合には,交点はありません。
>式もできません。円の大きさが異なる場合, ホームページの方で書かれていた
>二つの双曲面をイメージすると,「直線じゃないて2次曲線かな」とも思いつつ,式の面では,
>2次の係数を1にそろえれば,消えること,また幾何的には根軸のことを考えると,妥当なこと>から,一定の理解ができます。
>さらに,「円」でなく,「楕円」などを考えると,「影」は直線にはならないことも示唆されます。
ここの部分の”イメージ化”のよいアイディアがあれば、教えて欲しかったわけです。
福島先生が書かれているように、
>今後のカリキュラムの展望として、複素数は高校で教える必要がないのでは
>ないかという先生もいらっしゃいますが、
>複素数を扱う必要をとりあえず認めるとして、そのありがたみを感じさせて
>くれる教材が必要です。
複素数のイメージ化(何度もすみません)の一つの提起として捉えてもらえば幸いです。
話は変わりますが、この「mathedu」に、最近参加させてもらい日常的な意見交換、テーマにしぼった研究や自分のペースにあわせた参加方法などネット上での可能性にあらためて感動しました。
これから私たちの研究会からも何名か参加すると思いますが、よろしくお願いします。
ただ、オンラインでの研究とオフラインでの研究会との兼ね合いは他の研究会ではどうなっているのでしょうか。
ホームページでレポートを載せていくことにより、研究会自体への参加の意味合いが薄れる事も懸念されます。
私たちの研究会でも近い将来、そうした悩みを持つかもしれません。
オフラインでの”ライブ性”を生かした魅力ある研究会運営が必要になるのでしょうね。
*******************************************
数学教育実践研究会 運営委員
札幌稲北高校 早苗雅史 (suujitu@nikonet.or.jp)
TEL 011-694-5033 FAX 011-694-5074
ネットワーク型教材データベース「数学のいずみ」
URL http://www.nikonet.or.jp/spring/
*******************************************
●返信9(9月10日)
> 件名 : [mathedu97-00826] Re: 受験数学を作ったのは誰?
> 送信日時 : 1997年9月10日 1:08
>
愛知の飯島です。
In message <199709090902.SAA13670@ningen.human.tsukuba.ac.jp>
"[mathedu97-00820] Re: 受験数学を作ったのは誰?"
"msisoda@ningen.human.tsukuba.ac.jp (Masami Isoda)" wrote:
msisoda> 古川先生
msisoda> 礒田@筑波大です。
msisoda> Akio>世の中に、受験数学というものが本当にあるのでしょうか?
msisoda> Akio>もし、あるとすれば、それを作ったのは誰?
msisoda> 前の文脈抜きに読んだのですが、これ、面白い問題提起ですね!
あまりまじめに議論するつもりはないですが,私は「ある」と思います。
そして,それを作っているのは, いい大学/高校に受かるための最も効果的なトレーニングをしたいという気持ちと, そのためのトレーニング方法を体系化している人々ではないでしょうか。
もちろん,「建前的」には,「ない」と言ってもいいです。しかし,数学が社会における選別の手段として使われてきたことは,一つの事実ですし,そういう「ゲーム」をいかにくぐりぬけるかを考えるときには,「数学とは何であるべきか」という本質論とはまた別のところで,別の数学像が生み出されているのも,事実だと思います。
数学者の活動が数学だと定義することもできますが,より広く考えれば,より多くの人々による数学的活動も数学であり,科学者の活動もそうであり,また学校や受験生が接する世界も,一つの数学であり,ときどき議論される, Street Mathも一つだと思います。
ただ,個人的な考えとしては,次のようなことを思っています。
(1) 「受験数学」の重みは,変わって行くのではないか。
数学を受験科目から外すところが増えているのは事実です。
そしてまた,「一流大学→一流会社→...」という,エスカレーター的に, 「自分が実現したいことを考える」ことよりも,「次のステップに行くためのテクニック」 の習得を重視することの限界と実害が,かなり顕著にあらわれつつあるのが,最近の風潮ではないでしょうか。
高校の中学校での現場では,そうは言っても受験指導は不可欠,という実感はあるでしょうが, グローバルな流れは,少しずつ変わっているのではないかと思います。
(受験関係の雑誌などを見ている限りでは,そういう変化はあまり感じませんが)
(2) 社会の中で「使われる数学」が変化している
かつては,数学を生産し,使用するのは,数学者や科学者,あるいは,技術者だったと思いますが,現在は,その間接的なユーザーは拡大していると思います。たとえば,表計算ソフトの登場だけでも,それによって,処理をできるようになった人は増えたと思います。
(3) テクノロジーの利用による「もっと本質的なものへの回帰」と,「新たに可能になったことの希求」
ついでに言えば,テクノロジーの利用によって,いろいろなことが「可能」になりつつあると思うのですが,そういう中で,「ようするに,数学的なことってなんだ」というのが,問われて行くように思います。あるいは,「数学の授業としてしなければならないこと」かもしれません。
そういう姿を考えたとき,受験数学は,いろいろな素材を提供してくれるので,とても面白い素材集であることはたしかですが,同時に,これまでの受験数学像は,どこかで少しずつ変わって行くと思いますし,また「学校数学」像も変わっていくのではないでしょうか。
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愛知教育大学 数学教室 飯島康之
Yasuyuki IIJIMA
Aichi University of Education, Department of Mathematics
yiijima@auecc.aichi-edu.ac.jp
http://www.auemath.aichi-edu.ac.jp/teacher/iijima/
tel(fax): 0566-26-2329
Math Dep./ tel 26-2334, fax: 0566-26-2320
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●返信10(9月10日)
> 件名 : [mathedu97-00827] Re: 円の交点を通る直線についての ちゃちゃ
> 送信日時 : 1997年9月10日 1:19
>
飯島です。
In message <199709091158.UAA13856@ecc-as03.hongo.ecc.u-tokyo.ac.jp>
"[mathedu97-00823] Re: 円の交点を通る直線についての ちゃちゃ "
"Ichiro FUKUSHIMA
nn66040> 福島です。
nn66040> 本論の方へ戻ります。
nn66040> 昨年度、「複素数平面」の授業をした後の話です。実際に平面に図示できる
nn66040> のだから、実在する数なんだよ、と納得させたつもりでいたのに、
nn66040> 相変わらず「虚数は実在しない数」と思っている生徒がいました。
nn66040> その時の私は、生徒を引き付ける授業になっていなかったのでは、と自分の
nn66040> 力不足に原因を求めました。
歴史的には,「命名した人が悪い」ということかもしれません。
nn66040> 力不足に原因を求めました。いまは、それもあったが、むしろ複素数の
nn66040> ありがたみが実感できる教材が見当たらないことが問題ではないかと思って
nn66040> いるのです。
同感です。
私は教育実習のときに,指導教官から,
「お前,数学教育のことを研究するんだったら,『ベクトル』の指導で,適切な導入を考えてみろよ」
と言われました。
ベクトルは便利な概念だが,その必然性は,「分かっている者にしか分からない」
ということです。
その答えは見つからないままでいます。...
複素数も似たところがあると思います。
ただ,歴史的には,複素数はいろいろなところで,「自然な概念」だということがはっきりしているわけで,本来は,答えがあるはずなんでしょうね。
nn66040> 今後のカリキュラムの展望として、複素数は高校で教える必要がないのでは
nn66040> ないかという先生もいらっしゃいますが、かなり寂しい高校数学じゃないでしょうか。小学校から分数をぬけという議論と同じ程度に。
nn66040> 複素数を扱う必要をとりあえず認めるとして、そのありがたみを感じさせて
nn66040> くれる教材が必要です。
nn66040> 「3次方程式の解の公式」では、お話に終ってしまいます。
例えば,「代数学の基本定理」を,
「どんな方程式でも解がありそう」というのをなんとなく分かる
というのも,一つのトピックにはなるかと思います。
もちろん,代数的には解けませんが,近似的にあることや,「どうもあるらしい」という実感を持つところで止まっても,高校生的な「感触」,そして,大学数学への「素地」はできると思います。
ついでに言えば,その際には,やっぱり,複素平面の概念と,写像としての概念がほしくなるんじゃないでしょうか。
我田引水かもしれませんが,作図ツールは,そういう面は支援してくれます。
ただ,この手のことは,「受験数学」的には,ナンセンス(だって,解法が確立しない)だから,どこまでうけいれらるのかは分かりませんが。
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愛知教育大学 数学教室 飯島康之
Yasuyuki IIJIMA
Aichi University of Education, Department of Mathematics
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●返信11(9月10日)
> 件名 : [mathedu97-00828] Re: 2 円の交点を通る直線の問題について
> 送信日時 : 1997年9月10日 1:31
>
飯島です。
In message <199709091411.XAA20253@mail.nikonet.or.jp>
"[mathedu97-00824] Re: 2 円の交点を通る直線の問題について "
""sanae"
suujitu> 早苗@数実研です。
suujitu> こんなに話がつながるとは思っていませんでした。
議論に値する話題だからだと思います。
suujitu> 話は変わりますが、この「mathedu」に、最近参加させてもらい
suujitu> 日常的な意見交換、テーマにしぼった研究や自分のペースにあわせた参加方法など
suujitu> ネット上での可能性にあらためて感動しました。
suujitu> これから私たちの研究会からも何名か参加すると思いますが、
suujitu> よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
特に,教育関係の研究会や学会というのは,いつの間にか「セクト主義」的になってしまう面があるような気がします。
しかし,数学という素材はもともとかなりニュートラルな存在ですし,また,ネットワークという媒体自体が,そういうものですから,そういう「セクト主義」的なものを超えてみる一つのきっかけになるのではないでしょうか。
suujitu> ただ、オンラインでの研究とオフラインでの研究会との兼ね合いは
suujitu> 他の研究会ではどうなっているのでしょうか。
suujitu> ホームページでレポートを載せていくことにより、
suujitu> 研究会自体への参加の意味合いが薄れる事も懸念されます。
そういう面は,ないとは言えないのかもしれません。
実際,「体は一つ」ですから,限りある自分の時間をネットに割けば,その分,「できないこと」も出て来ます。
しかし,ネットワークでのやりとりというのは,一定の距離を持ったつきあい方であり,また,「興味・関心」で成立している集団というのは,ある意味では,利害や地域で成立する集団よりも強力ですが,やはりある意味では希薄な人間関係であることを考えると,両者の比較の中から,それぞれの持ち味が見えてくるのではないでしょうか。
suujitu> オフラインでの”ライブ性”を生かした魅力ある研究会運営が
suujitu> 必要になるのでしょうね。
そう思います。そしてまた,これまでであれば,そこで実現したことは,そこでしか表現できず,また共有できませんでしたが,オフライン的には参加できないメンバーも,いの一部を共有することに関しては,オンライン的に参加可能になることによって,ネットワークとの併用によって,別の面が出てくるのではないかと思います。
たとえば,「数学の泉」はとても楽しく拝見させていただきましたが,その背景には,それぞれの先生方の「個人」としての味もありますが,同時に,そういう研究サークルで培われたものがあると思います。
これからも,楽しみにしております。
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愛知教育大学 数学教室 飯島康之
Yasuyuki IIJIMA
Aichi University of Education, Department of Mathematics
yiijima@auecc.aichi-edu.ac.jp
http://www.auemath.aichi-edu.ac.jp/teacher/iijima/
tel(fax): 0566-26-2329
Math Dep./ tel 26-2334, fax: 0566-26-2320
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●返信12(9月10日)
> 件名 : [mathedu97-00830] Re: 受験数学を作ったのは誰?
> 送信日時 : 1997年9月10日 8:03
>
堀尾@熊本です。
At 10:08 AM 97.9.10, 飯島(Yasuyuki Iijima) wrote:
> (1) 「受験数学」の重みは,変わって行くのではないか。
> 数学を受験科目から外すところが増えているのは事実です。
> そしてまた,「一流大学→一流会社→...」という,エスカレーター的に,
>「自分が実現したいことを考える」ことよりも,「次のステップに行くためのテクニック」 の習得を重視すること
>の限界と実害が,かなり顕著にあらわれつつあるのが,最近の風潮ではないでしょうか。>高校の中学校での現場では,そうは言っても受験指導は不可欠,という実感はあるでしょうが,
> グローバルな流れは,少しずつ変わっているのではないかと思います。
> (受験関係の雑誌などを見ている限りでは,そういう変化はあまり感じませんが)
> (2) 社会の中で「使われる数学」が変化している
>かつては,数学を生産し,使用するのは,数学者や科学者,あるいは,技術者だったと思いますが,
>現在は,その間接的なユーザーは拡大していると思います。
>たとえば,表計算ソフトの登場だけでも,それによって,処理をできるようになった人は増えたと思います。
> (3)テクノロジーの利用による「もっと本質的なものへの回帰」と,
>「新たに可能になっ>たことの希 求」
>ついでに言えば,テクノロジーの利用によって,いろいろなことが「可能」になりつ
つあると思うの>ですが,
>そういう中で,「ようするに,数学的なことってなんだ」というのが,問われて行くように思い ます。
>あるいは,「数学の授業としてしなければならないこと」かもしれません。
>そういう姿を考えたとき,受験数学は,いろいろな素材を提供してくれるので,とても
>面白い素材集>であることはたしかですが,
>同時に,これまでの受験数学像は,どこかで少しずつ変わって行くと思いま すし,
>また「学校数学」像も変わっていくのではないでしょうか。
飯島先生のこの3つに賛同します。
上記の意味で「受験数学」は存在する、という考え方にも共感を覚えました。
---
堀尾 直史(ほりお なおふみ)(情報教育担当:数学)
horio@jhs.choyo.kumamoto.jp
〒869-14 熊本県阿蘇郡長陽村河陽3645
長陽村立長陽(ちょうよう)中学校 教諭
fax 09676-7-2561 / tel 09676-7-0030
◆「長陽中学校のページ」:
http://aso.jhs.choyo.kumamoto.jp/jhs/jhs.html
◆「長陽村がっこうホームページ」:
http://aso.jhs.choyo.kumamoto.jp/index.html
◆「発見と探求ページ」:
http://meb.h.kobe-u.ac.jp/MathEdu/Classroom/Horio/top.html
----------------------------------------------------------
「ACE九州支部」
http://iwe.kmt-iri.go.jp/School/PRTY/ACE/index.html
●返信13(9月10日)
> 件名 : [mathedu97-00832] Re: 受験数学を作ったのは誰?
> 送信日時 : 1997年9月10日 11:01
>
古川@SEGです。
iijima> あまりまじめに議論するつもりはないですが,私は「ある」と思います。
iijima> そして,それを作っているのは,
iijima> いい大学/高校に受かるための最も効果的なトレーニングをしたいという気持ちと,
iijima> そのためのトレーニング方法を体系化している人々
iijima> ではないでしょうか。
私も、あまり、真剣に議論するつもりはありません。
というのは、この手の議論は、永遠に平行線のままでしょうから。
しかし、上記の意見には同意できません。
もし、受験数学があるとすれば、それを作っているのは、塾や予備校の方ではなく、大学や高校の出題者の側でしょう。
出題者が、毎年毎年、個性のない手抜きの問題を作っているからではないですか?
私が、知る限り、個性的な問題を出題しているのは、ICU だけで、後の大学は、問題を見てもどこの大学かをあてるのは、受験のプロでなければ難しいでしょう。
例えば、
1)電卓持ち込み可 の試験をする とか
2)参考書持ち込み可 の試験をする とか
3)(すごく易しい)証明中心 の試験をする とか
4)すごく良いアイデアの解法には、満点の2倍までの点数を与える とか
5)数学の試験時間を 5時間程度にする とか
6)数学コンクールのような 問題を出題する とか
7)レポートを出させて、それに対する質疑応答にする とか
今の法律的枠組の中でも、大学関係者がその気になれば、(少なくとも後期の試験では)、いろいろ工夫することは十分可能かと思います。
入試に手間暇かけたくない人々が、いわゆる「受験数学」を育ててきたのではありませんか?
本当に、数学教育のことを考えるのなら、入試関係者は、もっと入試に手間暇をかけるべきだし、もっともっと工夫すべきだとは思いませんか?
----------------------------------------------------------------
FURUKAWA Akio Math Teacher of Scientific Education Group
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c/o SEG, 7-19-19, Nishi-Shinjuku, Shinjuku-ku Tokyo, 160, JAPAN
IPadrs 202.33.199.66 Pager 03-6574-2558
URLadrs http://www.seg.co.jp/fakio/
古川 昭夫 〒160 新宿区西新宿7-19-19 SEG気付
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●返信14(9月10日)
> 件名 : [mathedu97-00833] Re: 受験数学を作っ
> 送信日時 : 1997年9月10日 12:37
>
寺尾敦@東京工業大学です。
古川先生の「大学はもっと入試問題に手間暇かけるべき」
というご意見、よくわかります。有名な和田秀樹氏の本でも
「似た問題ばかり出るんだから問題をたくさん暗記した奴の勝ち」という主張もありますね。
もっとも、「似た問題でも簡単には解けない」
というのが80年代の心理学・認知科学の研究から明らかになっていますが。
金曜日に投稿しなければならない論文を抱えていて系統立てたお話を書く時間がないのですが、「工夫された入試問題」について思いつくまま書かせていただきます。
数年前、心理学者の市川伸一先生が「入試の数学でも、なになにという概念について説明せよというような問題を出題したらどうか」という問題提起をしてfj.sci.mathで議論になっていたことがありましたね。
鴨先生もこの議論に参加されていましたね。
結果として市川提案には否定的な意見が多かったようですが、あのような提案を出題者側がどんどん議論してくれれば出題に工夫がされていくのではないかと思います。
私が自分自身の研究から、やってみると結構面白いとここ数年思っていたのは「次の証明を要約せよ」とか、「次の証明を構成していると思われる基本的アイデアはどのようなものか。また、同じアイデアで構成される証明の例を一つ出せ」というものです。
昔、遠山啓先生も、証明を見るとどんなアイデアでこれを作ったのだろうと考えてしまう」と書いておられましたが、これを受験生にやってもらおうというものです。
大学に入って数学関連分野をやる受験生なら、証明の基本的アイデアを理解するとか、テキストの中心的テーマを理解するといった力も重要でしょう。
そうでない受験生でも、「ようするにこういう考え方なのだ」と理解する力は重要でしょう。私は学際的な分野にいるせいもあって細部まではとても理解できない論文(専門分野が違うから)を読んだりもしますが、そんなとき「要するにこういうことがやりたいらしい」とか、「要するにこういうことが基本的アイデアらしい」と理解してます。
なお、「次の証明(解答)を要約せよ」という出題は、今年信州大学がやりましたね。
ちょっとうれしくなりました。
また、京都大学にいらした森先生が著作の中で「要約せよ」という出題を「幻の名問題」(幻=出題した大学がない)と書かれているのを最近見つけました。
まとまりなくだらだら書いて読みにくい記事になってしまいまいました。